2010年4月2日金曜日

映画『靖国』

今学期を日本で過ごす留学生グループが到着し、大学でのオリエンテーションが始まったところです。興奮と不安の混じった表情をした学生たちと話をするのは、なかなかいいものです。

今学期は、日本を扱ったアメリカ紀行文学についての授業と、太平洋戦争の歴史の記憶の日米比較についての授業を教えるのですが、後者のクラスで使えるかと、映画『靖国』をDVDで観てみました。右翼の圧力から上映をとりやめた映画館があったり、映画制作において文化庁所管の日本芸術文化振興会の助成金を受けているということで映画に「政治的な訴え」「政治的偏向」がないかを一部の国会議員が問題にしたり、また主なキャストのひとりである刀匠が、取材に応じたときに理解していた映画の意図と違う取り上げられかたをしているので自らの映像の削除を求めているとの報道があるなど、いろいろな議論を巻き起こした作品です。上映中には観に行く機会がなかったのですが、観てみると、想像していたよりもずっとバランスのとれた映画だという印象を持ちました。それほどの議論をかもす作品なのだったら、もっと断定的で一方的なメッセージが前面に出ているのかと思っていたのですが(はっきりとしたメッセージをもった作品なら、それはそれでいいと私は思いますが)、この作品は、様々な立場の人の戦中戦後の歴史や合祀のありかたや政治家の公式参拝については、確かに批判的な視点を明らかにしながらも、靖国に参拝をするさまざまな人たちについても決してひとくくりにして扱っているわけではなく、その人間性にもじゅうぶんなシンパシーをもって取り上げていると思いました。戦友や家族を弔う人びと、戦争の犠牲になった人びとに慰霊の意を表す人、戦争は二度と起こしてはいけないという気持ちを表すつもりで参拝する人は、狂信的な右翼とはあきらかに区別して描かれているし、宗教的な場での儀式というものに人びとがなぜ意味を見出すのかということも示唆されていると思いました。前にこのブログでも言及したフレデリック・ワイズマン監督のドキュメンタリーにも似て、ナレーションなどのない、さまざまな画像をつなげることでメッセージが伝わる手法でできています。もちろんその画像の選択や編集にプロパガンダ的操作があると感じる人も多いのでしょうが、実際には右翼のなかにもこの作品を傑作だと評価している人もいるらしいですから、映されているものをどう解釈するかは受け止める側次第ということでしょう。問題の刀匠の扱いについては、どうせ彼を映画の語りの枠として使うのなら、もうちょっと上手い使いかたがあったのではないかと思いました。とにもかくにも、「戦争の歴史と記憶」の授業で、学生にものを考えさせて議論をさせるにはいい映画だと思います。みなさんも、自分で観て考えてみてください。