水村美苗さんのファンにとっては、お母様の生い立ちやお祖母さまの人生を知る、というだけでも強烈に面白いのですが、美苗さんと切り離してひとつの小説としてだけ読んでも、たいへん引き込まれる作品です。美苗さんが「祖母と母と私」というあとがきに書いていらっしゃるように、「事実そのもののおもしろさ」があり、「時代そのもののおもしろさ」があり、お母様の「驚嘆すべき記憶力」があり、お母様の文体独特の「艶と妙」があります。そしてなんといっても私の心を打つのは、自分の育った環境や周りの人間たち、そして自分自身に、お母様が、どきっとするほど冷徹でありながら、かつ血の通った人間らしい温かさをもった目を向けていることです。登場する人物(家族関係がかなり複雑なので、私のようにごろごろ寝転がって読んでいると混乱します)たちはたいてい皆、弱さ・虚栄・傲慢・無教養・浅薄さ・ずるさなど、なんらかの欠陥を抱えた人物なのですが、語り手である著者は、それぞれの年齢の視点で、それらを見極めながらも、彼らの善良さや情のあつさ、実直さ、威厳などをもきちんと捉えていて、どの人物もとても人間臭く憎めない描き方になっている。とくに、自分の母親に対する、羞恥や鬱憤ややるせない気持ち、そしてそれらとないまぜになっているがために最後まで素直には表現できない愛情や感謝や尊敬の気持ちが、とても鮮明かつ繊細に描かれている。そして、若かりし日々の自らの、憧れや野心や虚栄、そして経験や視野や想像力の限界をも、とても冷静に振り返っています。私は70を過ぎたときにこんなふうに自分の過去を客観的に捉えられるだろうかと、考え込んでしまいます。
とくに、第二部最終章の「夏の闇」がたいへんリアリティがあり、最後のシーンは実に胸に迫るものがあります。
美苗さんの「祖母と母と私」にも、感じること考えることをたくさん与えられます。ぜひどうぞ。