2011年2月10日木曜日

水村節子『高台にある家』

ちびりちびりと味わいながら読み進めていた、水村節子『高台にある家 』を昨晩読み終えました。水村節子さんとは、私が深く敬愛しこのブログでも何度も言及している水村美苗さんのお母様です。水村美苗さんの作品(もちろんフィクション化されている部分もいろいろとあるでしょうが)そしてエッセイなどにお母様はたびたび登場し、たいへん興味をひかれる人物なのですが、お母様は数年前にお亡くなりになりました。この本は、そのお母様が、70歳を過ぎてから文章教室に通いながら書き、出版にあたり美苗さんが手を入れて作品に仕上げた自伝的小説です。(ちなみにこの本は、ほぼちょうど一年前に私の父が亡くなってから、母がようやっと家にパソコンを導入した際、私がアマゾンの使い方を説明するときに、「今買いたい本はある?」ときいたところ、母が指定した本です。それもなんだか面白い . . . かな?)

水村美苗さんのファンにとっては、お母様の生い立ちやお祖母さまの人生を知る、というだけでも強烈に面白いのですが、美苗さんと切り離してひとつの小説としてだけ読んでも、たいへん引き込まれる作品です。美苗さんが「祖母と母と私」というあとがきに書いていらっしゃるように、「事実そのもののおもしろさ」があり、「時代そのもののおもしろさ」があり、お母様の「驚嘆すべき記憶力」があり、お母様の文体独特の「艶と妙」があります。そしてなんといっても私の心を打つのは、自分の育った環境や周りの人間たち、そして自分自身に、お母様が、どきっとするほど冷徹でありながら、かつ血の通った人間らしい温かさをもった目を向けていることです。登場する人物(家族関係がかなり複雑なので、私のようにごろごろ寝転がって読んでいると混乱します)たちはたいてい皆、弱さ・虚栄・傲慢・無教養・浅薄さ・ずるさなど、なんらかの欠陥を抱えた人物なのですが、語り手である著者は、それぞれの年齢の視点で、それらを見極めながらも、彼らの善良さや情のあつさ、実直さ、威厳などをもきちんと捉えていて、どの人物もとても人間臭く憎めない描き方になっている。とくに、自分の母親に対する、羞恥や鬱憤ややるせない気持ち、そしてそれらとないまぜになっているがために最後まで素直には表現できない愛情や感謝や尊敬の気持ちが、とても鮮明かつ繊細に描かれている。そして、若かりし日々の自らの、憧れや野心や虚栄、そして経験や視野や想像力の限界をも、とても冷静に振り返っています。私は70を過ぎたときにこんなふうに自分の過去を客観的に捉えられるだろうかと、考え込んでしまいます。

とくに、第二部最終章の「夏の闇」がたいへんリアリティがあり、最後のシーンは実に胸に迫るものがあります。

美苗さんの「祖母と母と私」にも、感じること考えることをたくさん与えられます。ぜひどうぞ。