2011年6月5日日曜日

余韻さめやらず

先週2日に東京に戻ってきました。年齢とともに時差解消に時間がかかるようになるというのは本当で、夜普通の時間に寝ても毎日夜中の1時半だの朝の4時だのに目が覚めてしまいます。昨日は、睡眠不足のまま学会に出てさすがに疲れたので、「今ここで寝てしまってはますます体内時計が狂う」と知りつつも耐えられずに夕方5時半に寝てしまい、その後3回目が覚め、ついに4時半に起き出しました。仕方ないので、朝5時過ぎにジョギングに出かけるという、自分らしからぬ行為に出るのも時差のなせるワザ。出かけてみれば、空気はひんやりと気持ちがいいし、車もほとんどいないし(さすが皇居周り、そんな時間でも他にもランナーはいるけれど、昼間の混雑した時間のように人をよけて走る必要はない)、交番のおまわりさんは「おはようございます」と声をかけてくれるし、けっこういいことづくめ。朝一番で元気が出たところで、たまった雑事や仕事を片付けよう、という気になります。

テキサスでの興奮と刺激と発見に満ち満ちた二週間の後で、日本の政治状況に直面すると、まったくもってげんなりした気持ちになりますが、テキサスで生まれたアマチュアピアニストたちの絆は、フェースブックやメールのおかげで、みんなが世界各地にちりぢりになった後でも、ちゃんとつながっています。ワークショップやコンクールでの音楽体験が、とてつもなく貴重で素晴らしいものだったという気持ちは皆が共有しているもののようで、また、それぞれの日常という現実に戻ってからも、なんとかテキサスで学んだり感じたりしたことを自分の一部にしていこうという思いも共通しているようです。また、ヨーロッパやカリフォルニアや日本で、みんなが時差ぼけと興奮と疲労でなかなか眠りにつけないなか、「寝ようとすると頭のなかにはいつも(コンクールでxが演奏した)スカルラッティが流れている」と私がフェースブックに投稿すると、「僕の頭に流れているのは(yが演奏した)ブラームスのヘンデルのテーマによる変奏曲だ」とフランス人の出場者がコメント、それに続いて同胞日本からの出場者が「僕はドビュッシーのベルガマスク組曲」、さらにニューヨーク在住の日本人出場者は「私は『羊は安らかに草をはむ』」、ヒューストンで医師をしているワークショップ仲間は「私なんてアルカンよ、まいったか」といったやりとりが続いています。仲間以外にはまったく意味をなさないやりとりには違いありませんが、世界の各地に散った人たちが、こうして共に聴いた音楽を、てんでんばらばらの時間帯に、頭のなかで追体験しているなんて、なんとも素敵なことではありませんか。また、私が、「飲み会で銀座に行ったついでに、山野楽器の楽譜売り場に寄って、次はなんの曲をおぼえようかと考えていたんだけれど、あまりの選択肢に圧倒されて優柔不断で決められず、結局手ぶらで帰ってきた」、と投稿すると、それについてコンクール参加者からまたいろいろなコメントが。私は、他の出場者が演奏した曲で自分も弾いてみたい曲は山ほどあるのだけれど、今回の体験で、自分のピアノの腕を一段階上に持って行こうと思ったら、単に好きな曲を次々と弾いているだけではダメで、また、単に練習時間を増やせばいいというものでもない、ということがよくわかったので、ではどうしたらよいかと迷っているあいだに時間が切れてしまったのですが、それについては他の出場者も似たような思いをしている人が多いようです。そのいっぽうで、アマチュアなのだから、とにかく自分が好きな曲を弾くのが第一、という考えも至極もっとも。というわけで、ともかく私も『羊や安らかに草をはむ』を弾こうと思うのですが(これはテクニック訓練にもよさそうだし)、まあとにかく、こんなやりとりが世界のいろんなところのピアノ愛好家と日常的にできるなんて、なんとも面白い。

ところで、フォートワース滞在中は毎日興奮していて、いろいろ書きたいことを落ち着いて書けなかったのですが、音楽体験そのものの他にも今回あらためて実感したのが、テキサスの人々の温かいホスピタリティー。前にも書いたように、私は2009年のコンクールを取材したときの縁で、辻井伸行さんのホストファミリーをつとめたデイヴィッドソン夫妻のところに滞在させていただいたのですが、このふたりの寛大にして温かい歓待ぶりといったら、言葉では言い表せないほど。プロのコンクールと違ってアマチュア・コンクールにはホストファミリー制度はないので、他の出場者はみなホテルなどに滞在しており、デイヴィッドソン夫妻も私を泊める義務などまったくなかったのですが、わざわざ「ぜひともうちに」と言ってくださって、私が居心地よくそして気楽にいられるようにありとあらゆる心遣いをしてくださいました。私の演奏のときにはもちろん張り切って応援に来てくださるし、私がワークショップやコンクールで作った新しい友達の話をすると、とても積極的に興味を示して、彼らについてあれこれと質問をしてくる。私の誕生日がちょうどコンクール最中だったので、コンクールの休みの日にはフォートワースでも有数の素晴らしいレストラン(Eddie V'sというレストラン。食事、サービス、ジャズ演奏、どれをとっても素晴らしいですので、フォートワースに行く機会のある人は是非どうぞ)でご馳走してくださり、また、誕生日当日には、私がワークショップとコンクールで作った新しい友達と一緒にお祝いしようと、午後のコンサートと夜のコンサートのあいだの時間に家でパーティをホストしてくださって、20人ほどのためにワインや食事、ケーキを用意してくださいました。来てくださった友達も、ひとときコンクールの会場を離れ、人の家でテキサスの暮らしを垣間みることができて楽しかったようですし、デイヴィッドソン夫妻も、私を通じてプロのコンクールとはまったく違った出場者の人間性や雰囲気に触れることができてとてもよかったと、おおいに喜んでくださいました。私がダラスの友達のところに出発する日の朝には、「友達のところに行くのにはぴかぴかの車で行ったほうがいいだろう」と、ホストファーザーのジョンさんがわざわざ木の下に停めてあって多少汚れのついた私のレンタカーを洗車にまで持っていってくださいました。そして、コンクールでできた私の友達や、日本の私の親や友達にも、「テキサスに来たらぜひ私たちを訪ねてほしいと伝えてくれ」と本気で言ってくださる。この夫妻に限らず、私が接したテキサスの人たちは、本当にみな温かくオープン。私のふだんの生活では、政治的に保守であり、私とは縁のない富裕層に属している彼らのような人たちとは、親しくなる機会がないのですが、こうして二週間も泊めていただいて、彼らの生活ぶりや人柄に接してみると、いわゆるcompassionate conservativeというのはこういう人たちなんだな、と納得。自分がそうする能力と余裕があるのであれば、ものや時間や気持ちを他の人に分けるのは当然のこと、という、当たり前といえば当たり前の態度のもと、あらゆる行為において信じられないほど寛大。彼らの人間性に触れることができたのも、今回の大収穫でした。

では、テキサスの余韻に浸りながら、まずは、『羊は安らかに草をはむ』の楽譜を手に入れ、そしてのばしのばしにしていた仕事に取りかかることにします。