2010年12月20日月曜日

ウガンダの反同性愛風潮高まる

ウガンダで、同性愛者に死刑もしくは終身刑を課し、同性愛者を手助けしたり保護したりした人も投獄するといった極端な反同性愛者法案が議会に提出されたことはほぼ一年前に書きました。国際的に強い抗議の声があがっているため、死刑にかんする部分は除外される可能性はあるものの、この法案は来年早々にも討議される予定で、議員の多数は法案を支持しているとも言われています。そうしたなかで、ウガンダ社会における反同性愛者の風潮は高まっており、同性愛者に対する暴力行為も増えているそうです。10月には、『ローリング・ストーン』(アメリカの同名の雑誌とは無関係)というタブロイド紙が、「ウガンダのホモ百人の写真暴露」という記事を掲載し、「処刑しろ」といった言葉とともに、同性愛者百人の名前、顔写真、住所、頻繁に訪れる場所などを公開。このリストに載せられた結果、脅迫文を受け取ったり実際の暴力を受けた人も出ている。火曜日には、同紙が同性愛者の名前を掲載し続けてよいかどうか、判事が判決をくだすそうですが、当然ながら同性愛者たちのあいだには大きな恐怖が広まっているそうです。

ウガンダに限らず、アフリカでは同性愛者に対する偏見や差別の強い国が多いものの、ウガンダの場合は、アメリカの一部の福音主義キリスト教会が絡んでいるらしいというのがさらに問題。こうした一部の団体のメンバーが、「同性愛運動とは巨悪な運動で、結婚に基づいた社会を性的乱交を讃える社会に変えようとするものである」「同性愛とは倒錯した病気であり、治癒できるものである」などといったメッセージをウガンダで布教し、その後まもなくウガンダでの反同性愛運動がさらに高まり死刑法案にいたっている、という背景があります。アメリカの多くの福音主義協会や団体は、こうした運動から距離を置いているものの、「ドント・アスク、ドント・テル」撤回が示す社会の流れとはまったく別の動きもアメリカ国内に確固として存在し、それがこのように国際的に影響をもっているということも、忘れられません。

2010年12月19日日曜日

世界の児童労働の産物

「ドント・アスク、ドント・テル」撤回のニュースは、国内はもちろん、世界各地に派遣されている米軍兵士たちのあいだで大きな反響をもって迎えられています。これまで、危険に身をさらしながら寝食を共にする仲間たちに自分のアイデンティティを隠し、ゲイである(のではないか)という理由で職場で差別を受けても抗議することができなかった人たちや、そうした環境で仕事をすることに訣別してそれまで積み上げてきた実績を後に退職した人たち、また、さまざまな理由で軍への志願を強く望んでいながらもゲイであるがゆえにそれを断念していた人たちにとって、これがどれだけ大きな意味をもつかが伝わってきます。もちろん、世界における米軍の役割や軍事外交のありかたについての問題はまったく別で、同性愛者たちのあいだでも、「軍に志願したいなんていうバカなゲイがいるんだったら、そうする権利が与えられるべきだ」といったコメントをしている人もいます。

さて、先月ハワイで結婚式を挙げた友人の新妻が、もと連邦労働省で仕事をしていた人であることは書きましたが、彼女はとくに児童労働や人身売買の規制が専門。その彼女がFacebookを通じて送ってくれた記事がこれ。世界の児童労働について連邦労働省が最近まとめたデータをもとに、もっとも搾取的な児童労働や強制労働(奴隷制やそれに類似する状況での労働)によって作られている(収穫も含む)産物のリスト。それらがどういった国で作られているかも載っています。搾取的児童労働がもっとも使用されているのは、農業、サービス業、そして工業だそうですが、13のアイテムのトップは金で、アフリカや中南米、北朝鮮などで児童・強制労働により採取されているとのこと。次いで2位は、綿で、産出国は、アルゼンチン、アゼルバイジャン、ベニン、ブラジル、ブルキナ・ファソ、中国、エジプト、カザキスタン、キルギス共和国、パキスタン、パラグアイ、タジキスタン、トルコ、トルクメニスタン、ウズベキスタン、ザンビア。3位は、かつてはハワイの主要産業であった、サトウキビ。今では中南米や東南アジアが主要産出国となっています。残りのリストは以下の通り。簡単に予想できるものもあれば、(少なくとも私にとっては)そうでもないものもあります。

1 金
2 綿
3 サトウキビ
4 タバコ
5 レンガ
6 コーヒー
7 牛
8 米
9 衣類 
10 ダイアモンド
11 石炭 
12 ココア
13 カーペット

2010年12月18日土曜日

「ドント・アスク、ドント・テル」撤回

1993年クリントン政権下、軍隊内での同性愛行為を禁じると同時に、兵士が同性愛者であることをみずから公表しない限りは、軍当局は兵士の性的指向を捜査しないことを定めた、通称「ドント・アスク、ドント・テル」法(『現代アメリカのキーワード 』にエントリーがありますので参考にしてください)は、政府による同性愛者に対する差別であるとして、長いあいだ抗議が続けられてきましたが、今日、この方針を撤回する法案が、連邦上院で65対31で可決されました。これは、同性愛者の活動家たちにとってきわめて大きな第一歩で、軍隊における人種差別や隔離を廃止したのと同等の意義があるという人たちもいます。「ドント・アスク、ドント・テル」撤回運動のリーダーとなってきたコネティカットの上院議員ジョセフ・リーバーマン氏は、他の分野での保守的政策によりこれまで民主党左派からはさまざまな批判にあってきたものの、この撤回を実現に導いたことでおおいに名誉挽回となりました。

「ドント・アスク、ドント・テル」撤回を支持する議員たちは、命をかけてまで国に奉仕しようと志願する人たちに、自分たちのアイデンティティについて嘘をつくことを強いたり、性的指向を理由に除隊させたりする(「ドント・アスク、ドント・テル」法の下で、実際に14000人の兵士が性的指向を理由に除隊となったと言われています)ことは、同性愛者に対する差別であるばかりでなく、軍の精神に反するものであり、また、重要な人材を無駄にすることで軍事力低下にもつながっていると主張してきました。さらに、性的指向と部隊の有効性は無関係であるばかりか、兵士の何人かが同性愛者であるということを他の兵士たちが了承している部隊のほうが、そうでない部隊よりも結束が強く実績も高いという調査もあるくらいで、国防長官ゲイツ氏をはじめ、軍の指導者たちの多くも、「ドント・アスク、ドント・テル」撤回を支持してきました。それに対し、元大統領候補のジョン・マケイン氏を含む、撤回に反対する議員たちは、撤回によって部隊の結束が揺らぎ、戦場における効果的な軍事力の動員を低下させ、また、一部の市民が軍に志願するのを妨げる要因となり、現在米軍が戦争に携わっている状況のなかで「ドント・アスク、ドント・テル」を撤回するのは間違っている、と主張。

1月に共和党が下院の過半数を握り、上院でも民主党の影響力が低下する前に、なんとかこの撤回法案を通過させたことは、民主党の大きな実績となりました。Facebookでも、今日は私の「友達」の大勢がこのニュースについての投稿をして大喜びしています。

2010年12月12日日曜日

デジタル時代の雑誌

今日はホノルル・マラソン。去年よりは参加者の数がやや減少したとはいうものの、23,000人弱の人たちが朝5時のスタートを切りました。私はもちろん走りませんが、私のピアノの先生や、オレゴンに住んでいる友達夫婦が、この日のためにせっせとトレーニングをしていて、昨日は一緒にコースの一部を車で走ってチェックしたりもしたので、なんだか私まで興奮・緊張して、夜はよく眠れませんでした(その気になりやすい性格)。なんと日曜だというのに朝の9時から大学で会議があったため、友達をゴールで迎えることができず、会議が始まる前に沿道で応援に行こうと思っても、その時間帯に通るエリアは道路が通行止めになってどう考えてもそこに自分が行き着けない(その先に住んでいる同僚は、通行止めのため会議に来ることができず、車で15分のところに住んでいるにもかかわらずスカイプで会議に参加したという滑稽な事態でした)ので断念。でも、各参加者が10キロごとの地点を何分で通過したということをネットでチェックできるので、ほぼ1時間ごとに彼らの進み具合を確認。初めてのマラソンだというのにかなりいいタイムで完走したことを確認したときには、思わずコンピューターの画面を前にひとりで拍手してしまいました。

というわけで、やはりインターネットというのは便利なものですが、今日のニューヨーク・タイムズに、紙の新聞や雑誌が次々と廃れていくなかで、デジタル化の波にうまく乗ることで大きな赤字を黒字に転じ大幅に収益をあげた『アトランティック』誌についての記事があります。『アトランティック』誌は、153年間も続いている老舗の権威ある知的な雑誌で、『ニューヨーカー』や『ハーパーズ』と同じように、著者にとってはこの雑誌に記事が掲載されればたいへんな名誉だし、読者にとってはこの雑誌に目を通していることが一種の知性の象徴となるような媒体。知的な意味での評判はつねに高かったにもかかわらず、ビジネスとしてはおおいに苦戦し、David Bradley氏が同誌を買い取った1999年に450万ドル落ちた収益がその後の数年間でさらに落ち続けました。たいていの媒体ならそのまま下降を続けて倒産に至るところでしょうが、ここで『アトランティック』の巻き返しに決定的な役割を果たしたのが、ニューヨーク・タイムズ紙からJames Bennettという人物を引き抜き編集者にしたこと。Bennett氏のもとで、『アトランティック』は雑誌という紙の媒体のありかたを大きく考え直し、編集・営業の両方において紙とデジタル部門の垣根をなくし、若い編集者を多数採用した結果、2005年には収益が倍増、そのうちの約半分が広告収入で、広告収入のうちの40%がデジタル広告だそうです。素人にはこの数字の意味はわかりにくいですが、雑誌業界では広告収入の40%がデジタルというのは驚異的な数字らしい。

私も、キンドルを購入して以来、愛読誌の『ニューヨーカー』はキンドルで読んでいます。『ニューヨーカー』は毎号の表紙のデザインも紙質も独特で、紙の形態には愛着があるのですが、紙の雑誌だと、どうしても読まないまま数カ月ぶんが積ん読になってしまうことが多く、読みたいと思う記事でも結局読まないまま雑誌ごとゴミ箱行きになってしまいがち。読んだ記事でも、面白いと思ったものをいちいち切り抜いてファイルするなどというマメなことはめったにしないので、「いつかあのへんで読んだ」といった記事も記憶の彼方にいってしまう。それに対して、キンドルだと、過去の号も空間をとることなく全部アーカイブしておけるし、検索しやすい。といった点で、やはり電子版はとても便利。新聞や雑誌がジャーナリズムや言論活動の場として21世紀に力を発揮しつづけていくためには、良質なコンテンツへのコミットメントを続けると同時に、デジタル媒体の有効な使い方を模索していくことが大事だと、あらためて認識。

2010年12月10日金曜日

奴隷制地図

一昨日は、我が家の洗濯機兼乾燥機(たいていアメリカの家庭では驚くほど大きな洗濯機と乾燥機が並べてありますが、私のマンションは場所が限られているため、キッチンをリフォームするときに洗濯・乾燥が一台でできる韓国製のこじんまりとしたものに買い替えました)が不調なため修理に来てもらったのですが、「午後一時から三時のあいだに来る」とのことだったのに、実際に修理工さんが現れたのは五時四十分というあたり、いかにもアメリカ的。こうした点ではまだ日本的な感覚の残っている私は、大いにイライラしてしまうのですが、現れた修理工さんがなかなか感じのいい人だったので、簡単に機嫌を直してしまう私。ハワイでは、こうした熟練ブルーカラーの職業についている人は、アジアからの移民であることが多いのですが、今回の修理工さんもベトナム人の男性でした。電話の応対は奥さんがやり、修理自体は彼がすべてひとりで請け負い、島じゅうどこにでも出かけていく。そもそも私は、機械の修理などといったことについては自分がまったくの無能なので、即座に問題をつきとめてきぱきと機械を分解して直す様子を見ているだけで、深く感服してパチパチと拍手してしまうのですが、移民の人たちがこうやって技術を身につけ、小ビジネスを起業し、腕ひとつでこつこつと社会の階段を昇っていくというのが、たいへんアメリカ的で、私は素直に感動します。

さて、まるで関係ないですが、ニューヨーク・タイムズに載っている、Visualizing Slavery、つまり「奴隷制を視覚化する」という記事がなかなか面白く、私は貴重な午前中の時間をかなりこのサイトで遊ぶことに使ってしまいました。米連邦政府が国勢調査で南部の奴隷の数を最後に記録したのが1860年。その数カ月後に、海岸線の調査をする政府機関が、国勢調査のデータをもとに、奴隷の分布を視覚的に示した地図を制作したのですが、ひとくちに南部といっても奴隷の分布はなかなか複雑で、奴隷制と南北戦争の展開とが密接に結びついている(当たり前のようでいて、実際はなかなか複雑)ということがよくわかる。この地図で示されていることが、連邦側の戦略にどのように使われたかということもよくわかるし、この地図自体が奴隷制解放に至る過程で果たした役割も説明されていて、なかなか面白い(この記事に使われている、リンカーンその他を描いた絵の上でカーソルを移動すると絵の細部が見られます。これだけでも私なぞは子供のように喜んでしまう)。なんといっても、こうした視覚資料をニューヨーク・タイムズがネット上でこうした形で使うというのが面白い。

私は最近、さまざまな視覚資料を研究や教育活動のために無料で提供しているARTstorというデータベースがたいへん気に入って(ARTstorのメンバーになっている大学や美術館などに所属している人でないとブラウズできないようです、あしからず)、これまた何時間もこれで遊んで時間を使ってしまうのですが、資料のデジタル化というのは本当にすごいものです。大学院生の頃、図書館でNew York Times Indexという、ニューヨーク・タイムズの過去の記事を各年ごとにすべて項目化した分厚い本を、一冊一冊辛抱強く調べていった頃のことを考えると、リサーチというものの性質がまったく変化したのを実感します。せっかちな性格の私がよくもまああんな地道な作業をやっていたものです。

2010年12月8日水曜日

オバマ政権、高所得者層への減税策延長

ミドルクラス層のための減税や失業者への手当の延長と引き換えに、ブッシュ政権下に施行された高所得者層への減税策を2年間延長する、というオバマ大統領の案に、多くの民主党議員そしてオバマ大統領を支持してきた国民の多くが、大きな落胆と憤りを示しています。私自身も、いくらオバマ大統領のビジョンが正しくても政治プロセスというのは複雑なものだし、ここまで悪くなった経済というのは急によくなるものではないしと、さまざまな点において譲歩や妥協を強いられてきたオバマ政権に対し、辛抱と期待をもち続けてきましたが、これはさすがにイカン。高所得者層への減税延長は、民主党が綱領として掲げてきた理念の根本を揺るがすもので、ミドルクラスの各家庭にせいぜい数千ドルにしかならない減税と引き換えに、億万長者たちに巨額の減税を提供し続けるというのは、どう考えてもおかしい。この政策を正当化するのは、高所得者層への減税を延長することは景気対策になり、また、これと引き換えに、ミドルクラスや失業者への支援が手に入れられるのならば、今の現実において多くの国民を支援することになる、という理屈らしいけれども、この減税策で得をする高所得者層は、それで節約できるぶんのお金を、ものを買ったり人を雇ったりすることに使うわけではなく(もちろんそれもするでしょうが)、その財産をより増やすための資産運用に使う可能性が高いわけで、それが国民の生活や経済全体に直接及ぼす影響というのは比較的少ないはず。高所得者層への減税をやめて、財政赤字を減らし、手元のお金は日常的な出費にまわすミドルクラスにより多くの現金がまわるようにすれば、景気が向上するはず。というのは、数字に弱く経済に疎い私が単純に思うことですが、こう思うのは私ばかりではないということが、この政策を強く批判するさまざまなメディアで明らか。なかでも、左派メディアの象徴とされているコメンテーターのKeith Olbermannのコメントは、その激しさと鋭さにおいて圧倒的。(こうしたネット上の動画は、アメリカの外では見られないことが多いので、日本の皆さんには見られないかもしれません。あしからず。)左派のオンライン・メディアのSalon.comに載っているブログ論説も興味深いです。

先月の選挙で上院の過半数が共和党にわたった結果、高所得者層への減税廃止案が上院を通過する見込みがなくなってしまったために、譲歩・妥協策としてオバマ大統領が共和党のリーダーたちとともにこの案を出したわけですが、これでは、なんのための民主党政権なのかわからなくなってしまう。いくら共和党に譲歩をしたところで、核となる共和党支持者層が民主党にまわるわけはなし、これによって民主党支持者がオバマ大統領から離れてしまったら、2012年のオバマ大統領再選は難しいのではないかと思われます。あー、本当に困ったことになってきました。

ここ2日間の話題は、これに加えて、昨日は民主党の元大統領候補、ジョン・エドワーズの妻、エリザベス・エドワーズが亡くなったというニュース。私は、選挙選の初期には、経済・社会政策においてエドワーズが一番よいと思っていましたが、妻ががんで闘病中の不倫騒ぎで彼の政治生命が終わってしまい、いろんな意味で悲しいやら呆れるやらでした。今回、エリザベス・エドワーズについての記事をいろいろ読んで、私はなんだか知り合いが亡くなったような悲しみを覚えています。

2010年12月7日火曜日

真珠湾攻撃の記憶ふたたび





忙しいときにはいろんなことが重なるもので、私の学部で採用する新任教員のポジションの公募の最終候補(サンアントニオの学会で面接をした人たちをさらに数人に絞ったもの)たちのキャンパス訪問の真っ最中に、日本から母と叔父が数日間やってきました。

『アメリカの大学院で成功する方法』でも説明していますが、大学教員のポジションの選考の最終段階であるキャンパス訪問というのは、いわゆる「面接」とは違って、たいていの場合、ほぼ2日間にわたり、候補者は、研究発表やら模擬授業やらに加えて、dean(日本語では「学部長」と訳すようですが、アメリカの大学は日本と組織が違うので、deanは学部長とは役割がずいぶんと違い、大学の運営者側に位置する人です)いろいろな教員や大学院生と会って話をしたり、食事の席で社交をしたりしなくてはいけません。食事のときの会話も、「この人とは同僚としてスムーズにやっていけるか」「自分の専門以外のことにも幅広く興味をもって積極的に仕事に取り組む人か」といった点においてけっこう重要な判断基準になるので、候補者は呑気にお酒を飲んで楽しんでばかりはいられない(かといって、あまり生真面目で退屈な人間だと思われるのもマイナスなので、一緒にいて楽しい人間であるということも示せなければいけない)し、採用するほうも、自分たちの学部が協調的で居心地のいい職場であるということをアピールしないといけないので、お互いなかなか大変です。今回は、ふたつのポジションの公募を同時に行っているので、2週間のあいだに5人の候補が次々と訪問し、こちらも5人それぞれと一度は食事に行かないといけないので、スケジュール調整だけでもけっこうややこしい。それでもやはり、とくに私のいるような小さな学部では、ひとりの教員だけでもかなり大きな変化をもたらすので、新任教員採用はとても重要なことで、みんな張り切ってのぞんでいます。最先端で研究をしていて教育にも熱意まんまんの若い人たち(と言ってしまうあたり、自分がオバサンであるのを実感)と話をするのはとても刺激的です。

母と叔父の訪問は、3泊だけの短いものでしたが(日本人にとっては3泊のハワイ旅行というのはそれほど珍しくないかもしれませんが、アメリカ人にとっては、わざわざ日本からハワイにやってくるのになぜそんなに短いあいだしかいないのか、まったく不可解らしく、私の友達は一人残らず、「なんでそんなに短いの?」と聞いていました)、短期間のあいだにけっこういろんなところを見て、なかなか楽しんでいたようでした。日本から来る人を案内するたびに、自分はもう慣れてしまってなんとも思わなくなったことについて、改めて新鮮な目で観察するようになるので、興味深いです。日本から来る人が例外なく驚くのが、レストランで出てくる食べ物の量の多さ(たしかに多い)と、身体の大きい人の桁外れの大きさ(たしかに大きい)です。

観光コースの一部として、パール・ハーバーにも行きました。行ったのは2日前ですが、今日は真珠湾攻撃69周年の日です。今朝は例年通り、真珠湾攻撃を体験した退役軍人たちやコミュニティの人々が出席する式典が行われましたが、とくに今年は、この日に合わせてアリゾナ記念館に新しい博物館がオープンし、その記念も合わせて行われました。私たちが行ったときは、まだ博物館が開いていなかったので新しい展示がどんなものだか私はまだ見ていませんが、真珠湾攻撃にいたるまでやその後の戦争の歴史、日系アメリカ人を含む当時のハワイの社会などについて、従来の展示よりもより複層的な視点から歴史を語った展示になると言われていたので、近いうちに見てくるつもりです。以前は、港からアリゾナ記念碑(沈没した戦艦アリゾナの上に建てられた記念碑まで、ボートに乗って行き、記念碑から海面を見下ろすと戦艦の一部が見え、ときには油が水面にあがってくるのも見える)に行くボートに乗っている最中も、日本人には居心地の悪い、ナショナリズムに満ちた解説が流れていましたが、今回はその解説もなくなっていました。もう解説はしないことにしたのか、それとも博物館オープンとともに新たな解説がなされるようになるのか、そのへんも次回行ったときに見てきます。多くの日本人の意識のなかでは、真珠湾攻撃というのは、広島や長崎、あるいは沖縄戦と比べると、小さな位置を占めていると思われますが、パール・ハーバーはハワイの最大の観光スポットのひとつであり、真珠湾攻撃を体験した生存者が年々少なくなっていく現在でもこうして毎年式典が行われ、多額の資金をかけて博物館がリニューアルされるということを考えると、アメリカ人の歴史観のなかで真珠湾攻撃がいかに大きなものかということが認識されます。そうした歴史観の差異を理解するだけでも、とても重要なことだと思います。