2010年12月7日火曜日

真珠湾攻撃の記憶ふたたび





忙しいときにはいろんなことが重なるもので、私の学部で採用する新任教員のポジションの公募の最終候補(サンアントニオの学会で面接をした人たちをさらに数人に絞ったもの)たちのキャンパス訪問の真っ最中に、日本から母と叔父が数日間やってきました。

『アメリカの大学院で成功する方法』でも説明していますが、大学教員のポジションの選考の最終段階であるキャンパス訪問というのは、いわゆる「面接」とは違って、たいていの場合、ほぼ2日間にわたり、候補者は、研究発表やら模擬授業やらに加えて、dean(日本語では「学部長」と訳すようですが、アメリカの大学は日本と組織が違うので、deanは学部長とは役割がずいぶんと違い、大学の運営者側に位置する人です)いろいろな教員や大学院生と会って話をしたり、食事の席で社交をしたりしなくてはいけません。食事のときの会話も、「この人とは同僚としてスムーズにやっていけるか」「自分の専門以外のことにも幅広く興味をもって積極的に仕事に取り組む人か」といった点においてけっこう重要な判断基準になるので、候補者は呑気にお酒を飲んで楽しんでばかりはいられない(かといって、あまり生真面目で退屈な人間だと思われるのもマイナスなので、一緒にいて楽しい人間であるということも示せなければいけない)し、採用するほうも、自分たちの学部が協調的で居心地のいい職場であるということをアピールしないといけないので、お互いなかなか大変です。今回は、ふたつのポジションの公募を同時に行っているので、2週間のあいだに5人の候補が次々と訪問し、こちらも5人それぞれと一度は食事に行かないといけないので、スケジュール調整だけでもけっこうややこしい。それでもやはり、とくに私のいるような小さな学部では、ひとりの教員だけでもかなり大きな変化をもたらすので、新任教員採用はとても重要なことで、みんな張り切ってのぞんでいます。最先端で研究をしていて教育にも熱意まんまんの若い人たち(と言ってしまうあたり、自分がオバサンであるのを実感)と話をするのはとても刺激的です。

母と叔父の訪問は、3泊だけの短いものでしたが(日本人にとっては3泊のハワイ旅行というのはそれほど珍しくないかもしれませんが、アメリカ人にとっては、わざわざ日本からハワイにやってくるのになぜそんなに短いあいだしかいないのか、まったく不可解らしく、私の友達は一人残らず、「なんでそんなに短いの?」と聞いていました)、短期間のあいだにけっこういろんなところを見て、なかなか楽しんでいたようでした。日本から来る人を案内するたびに、自分はもう慣れてしまってなんとも思わなくなったことについて、改めて新鮮な目で観察するようになるので、興味深いです。日本から来る人が例外なく驚くのが、レストランで出てくる食べ物の量の多さ(たしかに多い)と、身体の大きい人の桁外れの大きさ(たしかに大きい)です。

観光コースの一部として、パール・ハーバーにも行きました。行ったのは2日前ですが、今日は真珠湾攻撃69周年の日です。今朝は例年通り、真珠湾攻撃を体験した退役軍人たちやコミュニティの人々が出席する式典が行われましたが、とくに今年は、この日に合わせてアリゾナ記念館に新しい博物館がオープンし、その記念も合わせて行われました。私たちが行ったときは、まだ博物館が開いていなかったので新しい展示がどんなものだか私はまだ見ていませんが、真珠湾攻撃にいたるまでやその後の戦争の歴史、日系アメリカ人を含む当時のハワイの社会などについて、従来の展示よりもより複層的な視点から歴史を語った展示になると言われていたので、近いうちに見てくるつもりです。以前は、港からアリゾナ記念碑(沈没した戦艦アリゾナの上に建てられた記念碑まで、ボートに乗って行き、記念碑から海面を見下ろすと戦艦の一部が見え、ときには油が水面にあがってくるのも見える)に行くボートに乗っている最中も、日本人には居心地の悪い、ナショナリズムに満ちた解説が流れていましたが、今回はその解説もなくなっていました。もう解説はしないことにしたのか、それとも博物館オープンとともに新たな解説がなされるようになるのか、そのへんも次回行ったときに見てきます。多くの日本人の意識のなかでは、真珠湾攻撃というのは、広島や長崎、あるいは沖縄戦と比べると、小さな位置を占めていると思われますが、パール・ハーバーはハワイの最大の観光スポットのひとつであり、真珠湾攻撃を体験した生存者が年々少なくなっていく現在でもこうして毎年式典が行われ、多額の資金をかけて博物館がリニューアルされるということを考えると、アメリカ人の歴史観のなかで真珠湾攻撃がいかに大きなものかということが認識されます。そうした歴史観の差異を理解するだけでも、とても重要なことだと思います。