2010年1月7日木曜日

非クライバーン・コンクール的才能発掘

去年の5月から6月にかけて行われたヴァン・クライバーン国際ピアノコンペティション(通称クライバーン・コンクール)についての本をただ今せっせと執筆中なのですが(このブログを読んでいるであろう出版社のKさんとMさん。書いてますよ!:))、一昨日のニューヨーク・タイムズに、クライバーン・コンクールのような形式とはまるで違った形で若い才能を発掘し支援する賞についての記事載っています。

4年に1度発表されるギルモア芸術賞という音楽家のための賞を今回受賞するのが、ロシア出身アメリカ国籍のKirill Gersteinというピアニスト。この賞を受賞するのは彼が6人めで、過去の受賞者には日本でも大人気のアンスネスなどが含まれています。この賞は、30万ドルという、芸術家のための賞としては巨額な賞で、そのうち初めにぽーんと与えられる5万ドルはなんでも好きなことに使ってよく、残りの額は受賞者の芸術家としてのキャリアや活動を促進する目的で、賞主催者の許可をとれば、なんにでも使ってよい、ということになっています。この賞を運営しているギルモア財団の創設者は、ミシガン州の資産家ギルモア氏。デパート経営で財をなした家族の資産を相続し、みずからは小さなアパートに住んで質素な生活を営みながら、アマチュア・ピアニストでもあり、自分の財産を音楽家支援に使いたいと思って財団を設立したということです。毎年、学問や芸術の分野で創造的な活動をしている20数名に50万ドルの賞金を与えるMacArthur Fellows(世間では通称Genius Award、つまり天才賞と呼ばれている)というプログラムは有名ですが、このギルモア賞はそのピアノ版のようなものです。クライバーン・コンクールのような、非人間的ともいえるほど過酷でプレッシャーの高い状況のなかで音楽家たちを競争させるのではなく、この賞は、選考委員が推薦を募り(国籍や年齢の制限はなし)、候補者たちの数々のレコーディングや演奏を本人たちには内緒で聴き、審査をする、という仕組みになっています。候補者たちは、自分が賞の候補になっていることを知らないので、今回のGernstein氏がそうであったように、ある日突然受賞を知らされて仰天するわけです。過去の受賞者は、30万ドルを、楽器を買ったり、演奏活動をしばらく休んで練習に集中するための生活費にあてたり、作曲家に作品を委嘱したり、広報スタッフを雇ったりすることに使うのが一般的でした。Gernstein氏はすでに各種のピアノ5台をもっていることから、楽器を買うことには使うつもりはないが、作品を委嘱したり、ブゾーニの作品をレコーディングしたり、視覚メディアやダンスと音楽を合わせたプロジェクトを考えている、とのことです。

真に才能のある芸術家をどうやって見極めるのか、そして彼らの才能や活動をさらに伸ばしていくにはどういう形の支援がもっとも有効なのか、というのはとても難しい問題です。1958年にチャイコフスキー・コンクールで優勝した後のクライバーン氏自身も、また、過去にクライバーン・コンクールで優勝したピアニストたちの多くも、せっかくコンクールで華々しいデビューを飾りながらも、そこで得た知名度がかえって災いして、各地でひっぱりだこになって練習をしたりゆっくりものを考えたりする時間がなくなり、芸術家としての成長が滞ってしまう、ということもあります。その点、賞金を、まさに演奏活動を休止して勉強に励むために使える、というのはとても立派なことです。また、コンクールのような人工的な状況のもとでのパフォーマンスよりも、実際の聴衆を前にした本来の演奏活動を審査の素材にする、というこの賞の方針も、おおいに納得できる部分もあります。それと同時に、芸術というのは、評価のための一律な基準もないし、才能や活動の形もさまざまなので、どういう形の審査が「公平」なのかは、答の出しようがない問題でもあります。

この記事のリンクから、Gerstein氏の演奏のレコーディングもずいぶんたくさん聴けますので、よかったらどうぞ。