2010年4月29日木曜日

シヴィル・ユニオン法案、ハワイ州議会を通過

このブログですでに何度か言及してきた、同性愛者にも結婚と同様の権利や特典を与えるシヴィル・ユニオン法案が、ついさきほど、ハワイ州議会の下院で可決されました。この法案は、州上院で1月に可決された後で暗礁に乗り上げ、1月の段階では下院の討議を延期するということになっていたのですが、今年度の会期最終日の今日になって、議員のひとりが議論の再開を提案し、ぎりぎりになって投票まで至り、賛成31票、反対20票という結果になりました。この後45日のあいだに、リンダ・リングル知事が法案に署名するかどうかを決めなければなりませんが、彼女が拒否権を発動することも考えられ、そうなると、7月に再び議会で討議されることになります。ゆえに、まだハワイでシヴィル・ユニオンが可能になったと決まったわけではないのですが、それでも、州議会の両院で法案が通過したということは、法案支持者たちにとっては当然ながら非常に大きな希望と勇気を与えるものです。Facebook上でも私の「友達」のあいだではこのニュースの話題でもちきりです。私もEquality Hawaiiなどの団体の運動をささやかながら支援してきたので、とても嬉しいです。

2010年4月25日日曜日

5/22(土)「音楽を語る会」

昨日は、東京オペラシティで、アンジェラ・ヒューイットのピアノ・リサイタルに行ってきました。数年前に彼女はバッハの平均率全曲を世界中で演奏してまわりました(考えてみればものすごいことです)が、今回の演奏会はバッハはなし(アンコールの二曲はバッハでしたが)で、ヘンデルの組曲にハイドン、ベートーヴェン、ブラームスのソナタという演目でした。いやー、素晴らしかった。なにしろ音色が暖かくかつ透明で、大きな音や速くてレガートなパッセージでも決して濁らないし、アーティキュレーションやリズムは歯切れがよく、ヴォイシングが見事でオーケストラを聴いているようでもある。実に素晴らしいの一言でした。ヨーロッパから日本に飛んでくるのに、火山騒ぎで飛行機がキャンセルになり、スウェーデンから列車や船を乗り継いでやっとのことでミュンヘンから成田に飛んだらしいですが、それでも21日に予定されていた名古屋公演はキャンセルになってしまったそうです。名古屋の聴衆には本当に気の毒です。ちなみに、今回の演目に入っていたヘンデルとハイドンはこちらのCDに入っています。

自分とアンジェラ・ヒューイットを一緒にするわけじゃもちろんありませんが、音楽の話題にちなんで、宣伝です。5/22(土)に、音楽キャリア・サポート・ネットというNPOが主催する「音楽を語る会」というシリーズで、私が講演をします。自分と音楽の関わり、とくに、ピアニストになるつもりでせっせとピアノを弾いていた過去の自分と、ピアノとはまるで関係のない分野(今でこそ音楽に関わる研究をするようになったものの、学問の道に入った当初はまるで音楽とは関係のない研究をしていました)で学者になってしまった現在の自分の関係についての考えや、Musicians from a Different Shoreで扱ったアジア人とクラシック音楽の関係についての考察、また、クライバーン・コンクールで観察したことなどについてお話します。どなたでも参加自由ですので、ご都合のつくかたは是非どうぞ。詳細・申し込みはこちらにどうぞ。

5/22(土)14:00ー16:00 
〒101−0065 東京都千代田区西神田2−4−1 (財)東方学会 2F会議室
会費 3,000円(学生2,500円)
E-mail: info@npo-mcsn.org

2010年4月23日金曜日

Kindleか?iPadか?紙の本か?

子供の頃から本を読むということが自分のアイデンティティの大きな一部であり、本を読んだり書いたりすることを仕事にできる非常にありがたい身分になった私には、「本」の従来の形態にはたいへんな愛着があります。よくも悪くもアメリカと比べると日本ではいろんなコンテンツの電子化が遅いので、日本で電子書籍が紙の本を駆逐してしまう日はそう近くは来ないだろうとは思うのですが、それでも、本の種類によっては、電子化がとてもエキサイティングな可能性をもたらすことは確実。たとえば、音楽についての本なら、読んでいる部分で言及されいる曲の一部を聴けたらいいし、今みたいに高いお金を払って美術書や建築書を買わなくても画像が見れたり(それもズームできたりさまざまな角度から見れたり)したら、それは読者にとっては魅力的に違いないでしょう。

私は、少し前から、アマゾンのキンドルの購入を検討していたのですが、そこにiPadが登場し、「うーん、どちらにしよう」と悩んでいるところに、『ニューヨーカー』誌に、電子書籍の現在と将来について検討した記事が載りました。これはたいへん興味深く、知らなかったことを沢山知り、考えさせられることも多かったですが、キンドルにするか、iPadにするか、それともどちらもやめて紙の本を読み続けるかについては、記事を読んでますます決めがたくなってしまいました。

私がキンドルまたはiPad購入を考えている主な理由は、この先も一、二年間は、日本とハワイとアメリカ本土を行ったり来たりする生活が続きそうで、職業上どこでもかなりの数の本を買うので、移動のたびにそれらの本を送ったり運んだりするのでは輸送費がたいへん、ということです。日本語の本に関しては電子書籍化がまだまだなので、今後も紙の本を買い続けますが、移動中に使う英語の本は、キンドルかiPadに何百冊も何千冊も入ってしまうのだったらそんなに便利なことはないような気がします。

私と本の関係が、消費者と商品というものだけであるならば、ことは簡単です。同じものを読むのなら、持ち運びが簡単で、安いほうがいいに決まっているでしょう。単純な値段ということで言うならば、キンドルのほうがiPadよりも、機械そのものも安いし、本を買うときの単価も低い。噂に聞くところによると、一回の充電で読める時間もキンドルのほうが長く、目にも優しいらしい。私は基本的に電子書籍を読むための道具を買うのであって、iPadについてくる(あるいはつけられる)さまざまなアプリケーションにはあまり興味がない。すでにiPhoneを使っているけれども、主な用途は外出時のメールのやりとりと電車やバスでiPodを聴くことで、iPhoneをじゅうぶんに活用しているとはおそらく言えないし、iPadを買ったとしてもいろんなアプリを使って仕事をしたり遊んだりするとはあまり思えない。だいたい、すでに家ではMacBook、外出先ではiPhoneを使っているのだから、その上さらにiPadを持たなくてもいいんじゃないか。そして、今すでにメールとFacebookとその他で、中毒とも言えるほどネット漬けの生活なのに、さらにiPadを手に入れてしまったら、超えてはいけない一線を超えてしまうことになるんじゃないかという心配も。

ならばキンドルにすればいいじゃないか、と答えは簡単そうですが、このニューヨーカーの記事を読むと、アマゾンの現行の電子書籍のビジネスのやりかたは、長期的に出版業界そして著者にとってよいとは言えないらしいのです。なんとアマゾンは、キンドル用電子書籍の多くの本を出版社から13ドルで買って9.99ドルで消費者に売っているのだそうです。一冊の本を売るたびに3ドルも損失を出しながらも、低価格で商品を提供することによって、市場シェアを拡大し、キンドル販売を促進して、現在ではアマゾンは電子書籍市場の8割を手中に入れているそうです。しかし、そうやって恣意に書籍の価格を低く設定することは、出版社の利益を減らすことになり、著者にとってもよろしくない。また、すでにそうした動きが一部でありますが、バーンズ&ノーブルなどの物理的な書店やアマゾンなどのネット上の書店が、出版事業にも手を出すようになると、著者の獲得をめぐって書店と出版社が競合するようになる。そうした事態を避けるために、出版業界はアマゾンのような電子書籍を扱う書店に対して、「エージェンシー型」をとるよう求めている、とのこと。この「エージェンシー型」とは、出版社が売り手で、アマゾンのような電子書籍の書店はその商品を扱うエージェンシーに徹する、ということらしい(でも、この記事の説明では、現行のシステムと「エージェンシー型」がどう違うのか、私にはいまいちよくわからない)。そうした状況のなかで、アップルが提示しているiPad用の電子書籍ビジネスモデルは、アマゾンのそれよりも、出版社に価格などのより大きなコントロールを与えるので、出版業界にとってはよい、とのこと。詳しいことはなかなか複雑なので(そしてこの記事を読むと、出版業界の基本的なビジネスのありかたが、相当に非効率的なものであることがわかります)私にも100パーセントは理解できないのですが、要は、単なる一消費者の立場からすればキンドルのほうがよし、出版業界の長期的な将来を考えるならば多少機械と本の値段は高くてもiPadのほうがよし、ということのようです。安いにこしたことはないし、旅行先などで長時間本を読むのに便利なほうがいいし(今、世界各地の空港で何日間も足止めを食らっている人たちにとって、電子書籍はいいでしょうねえ)、目は悪くならないほうがいいですが、本を書く人間としては、出版業界が健全に活力を持ち続けてくれなくては困るので、出版社の基本を覆すようなことには加担したくないし...困ったなあ...と、困って決めかねているあいだに、どんどんと重い紙の本が増えていくような気がします。

それにしても、日本でも電子化が進むと、出版社の役割はずいぶんと変わってくるのでしょうが、そうすると、出版社の本来の仕事を高レベルでやる出版社と、そうでない出版社のあいだで明らかな差が出て、前者は電子化をうまく利用してさらに発展し、後者は淘汰されていくのではないでしょうか。有能な編集者が、本にすべきアイデアや原稿を見つけ、著者を育てたり励ましたり叱咤したりし、議論や文章を整え、内容にふさわしい体裁を作り、その本を読むべき読者の目や手に届くようにする。そういう出版社は今後も元気にいてくれるでしょう(と願いたい)ですが、まともな編集作業をしない、印刷屋に毛の生えたような出版社は、アマゾンやグーグルが出版事業を拡大したら、やることを失って消えていくことでしょう。いや、アマゾンやグーグルが入らずとも、著者本人が、編集者の介在なしにとにかく文章を世に出したいと思ったら、このようにブログで書けばいいわけだし、それを読者が読むのを有料化することだってできるだろうし...ネットの普及によって言論行為が民主化するという一面も確かにあるでしょうが、言論媒体が多様化することによって、言論そのものの質にも格差が広がってくるのじゃないかと私は思います。

では、これより重い紙の本を抱えてベッドに入ります。

2010年4月17日土曜日

結婚は健康にいいか?

先週のニューヨーク・タイムズ・マガジンに、「結婚は健康にいいか?」という記事があります。19世紀なかばにイギリスでなされた調査以来、ごく全般的に言って、結婚している人のほうが、未婚の人や配偶者と死別した人とくらべて、健康で長生きする、ということが統計的に示されてきました。結婚という形態をとらずに共同生活をする男女や同性愛者、離婚を選択する男女などが多い現代社会においては、19世紀の前提や調査結果をそのまま当てはめるわけにはいかないものの、結婚している人のほうがそうでない人よりも健康である、という全体的な傾向は当たっているそうです。(といっても、結婚と健康に相関関係があるからといって、必ずしも因果関係があるとは言えない、との注記もあります。結婚したから健康を保てる、というよりは、健康な人のほうがそもそも結婚する確率が高い、ということもあるからです。)ただし、そのおおまかな統計をもう少し具体的に見てみようということで、結婚生活の質と健康の相関関係を調べた現代の調査結果が、この記事に述べられています。「まあ、そりゃあそうだろう」と思うようなものが多いのですが、具体的な調査方法や結果は、なかなか興味深いです。

ぶっちゃけた話、結婚生活がうまく行っている人は、未婚者や離婚経験者と比べて確かに健康だけれども、結婚生活に問題がある人は、未婚者と比べて免疫力が低いなどの健康上の問題が見られ、夫婦関係のストレスは身体的な症状となって表れるのが明らか、ということです。そして、それを単にいっときの調査結果(つまり、被験者の健康診断の結果と、自己申告による結婚生活についての満足度の相関関係をみる)だけでなく、時間を追って夫婦関係における葛藤と健康上の数値を調べる、という調査もあるそうです。たとえば、幸せに暮らしている(と思える)新婚男女にチューブをつけてもらい、24時間にわたって、定期的に看護士が採決をしながら、家事、セックス、義理の両親など、問題を引き起こしやすい話題について話し合ってもらう。また別の調査では、夫婦の腕に小さな傷をつけて、愛情深い暖かい会話をするときと、葛藤のある会話をするときで、その後傷が治るまでにかかる時間に差があるかどうかを調べる。よくもまあこんな調査に参加する人たちがいるもんだなあと、それに感心してしまいますが、実際に何十組もの夫婦がこの調査に同意し、出た結果はたいへん明瞭。葛藤の多い会話をした男女は、てきめんに免疫力が低下して、傷が治るのにずっと時間がかかるのだそうです。

だから、結婚生活においては、なにか問題が感じられたら初期のうちにそれを話し合うなりなんなりして解決への努力をするべきで、そうしないと長期的には心臓病や糖尿病など健康上の問題へも発展しがちである。そして、そうした問題に向き合って取り組んでいこうという意思があるのなら、もちろんその努力はするべきであるが、その意思がないのなら、健康上の観点からいえば、結婚生活をやめたほうがよい。(ただし、離婚がもたらす健康上の問題は小さくはなく、その後で新たに幸せな結婚生活をするようになった人でも、離婚で負った健康上の傷は完全には癒えない、ということらしいです。)といっても、どんな夫婦でも多少の言い争いをするのは当たり前で、喧嘩をするか否かということよりも、喧嘩のしかたが問題であり、双方が自分の言い分を主張するときにも、相手を傷つけたり嫌悪感をあらわにするような言い方でなく、相手への愛情や暖かみをもった言い方をすることで、健康上の問題に発展するようなストレスはずっと和らげられる、とのことです。まあ、当たり前と言えばその通りなのですが、こうしたことが実際の数値で結果となってあらわれるというのが、やはり面白いです。

2010年4月12日月曜日

村上春樹『走ることについて語るときに僕の語ること』

村上春樹の『走ることについて語るときに僕の語ること』を読みました。「村上春樹」という名前だけで、今や人はいろいろなことを思う、村上春樹とはそういう存在になっているので、あまのじゃくの私などは村上春樹というだけで「別にいいや」という気になってしまうというのが正直なところです。『1Q84』なぞは、世界じゅうで驚異的な売れ行きをみせていると言われるだけで、「じゃあ私が読まなくてもいいだろう」などという気持ちになってしまいます(が、書店で一応手に取ってめくってみると、ヤナーチェクという名前が出てきたので、ちょっと読んでみようかという気をそそられたことは確か。しばらく前に、ヤナーチェクのオペラについての執筆を頼まれたことがあって、ヤナーチェクについてちょっと勉強したので)。たくさんではないけれど彼の作品の代表的なものは読み、とくに嫌いでもないけれど、とくにファンというわけでもない。ありがちな反応であるのは承知であえて言うなら、彼の描く世界、とくに中年男性の頭のなかを描いたものには、ちょっとつき合いきれないものを感じ、彼の描く女性像にも納得がいかないことが多いし、「言いたいことはもうわかった」という気になるのです。作品のなかでは、長編小説よりも短編のほうが好き(カポーティやフィッツジェラルドやカーヴァーを愛する人だけあって、短編で世界を構成するクラフトは見事だと思います)です。

というわけで、村上春樹にはとくになんの思い入れもないのですが、この本は、小説ではないということ、走ることがテーマだということに興味をもったので、読んでみました。(ちなみに私は、ハワイ大学のキャンパス周辺を村上氏が走っている姿を何度か目撃したことがあります。村上氏が奥さまと一緒にホノルルのレストランで食事をしているところも見たことがあります。だからどうした、と言われれば答に窮するのですが。)そして、この本はたいへん共感をもって読みました。私はハワイにいるときは週に3、4回はジョギングに行くようにしているのですが、村上氏のような規律と目標をもったランナーではないし、マラソンを走ってみようなどという野心も意志もない。単に、極端に運動神経が欠如している自分でも、右足と左足を交互に前に出すことならできるし、走るのには相手や道具が必要ない、というそれだけの理由で、健康のためにちょろっと走るだけです。それでも、この本で書かれていることには、納得のいくことが多い。それは、走る云々ということよりも、ものごとを身につけるというプロセスについての洞察に説得力があるからだと思います。そして、走るということを通じて、村上氏の作家としての職業観、人生観が誠実に語られていて、素直に面白い。私は、職業人としても人間としても、村上氏とはまるで違うタイプですが、人生における優先順位の設定のしかたとか、才能や集中力や持続力についての考えかたとかについては、たいへん共感しました。
ただ僕は思うのだが、本当に若い時期を別にすれば、人生にはどうしても優先順位というものが必要になってくる。時間とエネルギーをどのように振り分けていくかという順番作りだ。ある年齢までに、そのようなシステムを自分の中にきっちりこしらえておかないと、人生は焦点を欠いた、めりはりのないものになってしまう。まわりの人々との具体的な交遊よりは、小説の執筆に専念できる落ち着いた生活の確立を優先したかった。僕の人生にとってもっとも重要な人間関係とは、特定の誰かとのあいだというよりは、不特定多数の読者とのあいだに築かれるべきものだった。僕が生活の基盤を安定させ、執筆に集中できる環境を作り、少しでも質の高い作品を生み出していくことを、多くの読者はきっと歓迎してくれるに違いない。それこそが小説家としての僕にとっての責務であり、最優先事項ではないか。そういう考え方は今でも変わっていない。読者の顔は直接見えないし、それはある意味ではコンセプチュアルな人間関係である。しかし僕は一貫して、そのような目には見えない「観念的」な関係を、自分にとってもっとも意味のあるものと定めて人生を送ってきた。(58ー59)
私自身は、文章が公になるようになって不特定多数(不特定少数というべきか)の読者とのコンセプチュアルな関係というものをわずかながらにも築けるようになり、それが自分にとって大きな実りになってもいますが、日々の生活のなかでは特定の誰かとの具体的な交遊やねちねちした関係にたいへん重きを置く人間なので、この毅然として孤高な生き方は、真似はできないししようとも思いませんが、その姿勢を尊敬はします。
僕自身について語るなら、僕は小説を書くことについて多くのことを、道路を毎朝走ることから学んできた。自然に、フィジカルに、そして実務的に。どの程度、どこまで自分を厳しく追い込んでいけばいいのか?どれくらいの休養が正当であって、どこからが休みすぎになるのか?どこまでが妥当な一貫性であって、どこからが偏狭さになるのか?どれくらい外部の風景を意識しなくてはならず、どれくらい内部に深く集中すればいいのか?どれくらい自分の能力を確信し、どれくらい自分を疑えばいいのか?もし僕が小説家となったとき、思い立って超距離を走り始めなかったとしたら、僕の書いている作品は、今あるものとは少なからず違ったものになっていたのではないかという気がする。具体的にどんな風に違っていたか?そこまではわからない。でも何かが大きく異なっていたはずだ。(113−114)
これに関しては、私自身は、学者として研究をすること、あるいは物書きとして執筆をすることについて多くのことを、ピアノを弾くことから学んできた(また逆も真なり、かな)、と言えるかもしれません。私は今はピアノを村上氏の走りのように真剣にやっているわけではないので、到底比較にはなりませんが、ものごとを身につけるプロセス、という意味では共通項がたくさんあると思います。意識的に考えることと実際にやってみること、その両方をひたすら繰り返すことでしか、身につけられないことは沢山あって、またそうやって身につけたことは、他のいろんなことに応用できるものでもあるでしょう。『ピアノを弾くことについて語るときに私の語ること』という本が書けるくらい、私もまた真剣にピアノに取り組もうと、思ったりします。

「ハワイの公立学校を救え!」座り込み


ハワイの州予算の大幅カットの必要に迫られ、公立学校の授業日数が年間17日間減らされ月に2回は学校が休みになるという、とんでもない事態になっていることはずいぶん前の投稿でお知らせしましたが、教員組合と州知事の交渉が暗礁に乗り上げてまったく先が見えないことに業を煮やした市民グループが、先週水曜日からリンダ・リングル知事のオフィスで座り込みを始めました。座り込みをする許可は得られたものの、夕方4時半から朝7時半までは外部から人が入ったり、中にいる人がトイレに行くために外に出てから戻ってくることが許されないため、夜のシフトを買って出た人たちは、さまざまな工夫をして夜を明かしたらしいですが、金曜夜から月曜朝までずっとトイレを使わないことはさすがに無理があるため、週末は座り込みの場所を州議事堂の向かいにある知事邸前の大通りに変更し、夜を徹して通り行く車や歩行者、そしてもちろん知事に「学校を救おう!」とのメッセージを送っています。

この運動を組織しているのはSave Our Schools-Hawai‘iという市民団体で、私の大学の同僚も中心的リーダーとして活動しています。実際に毛布持参で夜を徹しての座り込みをしたり、何時間も道路脇でサインを掲げている人たちは、自分の子供が学校で学ぶ機会を減らされている親たちももちろん多いですが、自分には子供がいなくても、教育という社会投資を減らすことがハワイの将来にもたらす意味について憂慮する人々も何人もいます。また、弁護士や大学教授などとしてフルタイムで仕事をしながら複数の子供を育てている人たちが、仕事が終わり次第かけつけて夜を徹してこうした活動をしている姿(がFacebookを通じてたくさん送られてきます)には、本当に心打たれます。そして、そうした人々は、学校に行けない子供たちを連れて参加していて、幼稚園や学校に行けない子供たちが「私は勉強したい!」といったサインを持ってこの社会運動に参加している姿が印象的です。この親や子供たちの直接行動は、地元メディアだけでなくニューヨーク・タイムズを初めとする全国・国際メディアでも報道されています。

ハワイで私の周りにいる人たちは、たいてい皆が左翼活動に普段から積極的に参加している人たちで、抗議デモ集会やストのピケットに赤ん坊や子供を連れて参加することが多いのですが、子供が物心ついた頃からそうした場にしょっちゅう連れて行くことで、子供が政治参加や社会運動といったものを学ぶことが重要と考えているわけです。また、私の友達のなかにも、1960年代から1970年代の社会運動の第一線で活動をしていた親にそうした場に連れて行かれて育った、という人が何人もいます(そういう人たちをred diaper babyと言います)。

話はちょっとそれますが、そうした現場の社会教育が功を奏して、献身的な社会活動家として成長する人も多いいっぽうで、なかにはそうした親への反発で親とは正反対の政治思想を信奉するようになる若者もいます。私の仲良しの友達の息子は、ある時期からやたらと保守的な政治理念を唱えるようになり、とうとうYoung Republicans Partyに入会してしまいました。親への反発からくる一時的なものだろうと、周りは面白可笑しい思いで見ています(親への反発が、身体のあちこちにピアスをしたり麻薬をやったりというのでなく、共和党員になるという形をとるというのがなんだか可笑しい)が、日常的に家でティーンエージャーの共和党員(しかもその息子はとても口が達者でかつ知識豊富で、エリート高校の弁論部にも入っているので、ものすごい勢いで議論をする)と大議論を交わさなくてはいけない親としてはたまらないようです。(笑)

それにしても、日本ではゆとり教育への反省から教科書が厚くなったり、土曜日の授業の復活が検討されていたりするのに、ハワイではただでも少ない授業数をさらに減らして、いったいこれからの社会を担う人たちをどうしようというのか、本当に頭を抱えたくなります。市民たちの直接行動が実を結んで、早期に普通の教育活動が再開できることを願っています。

2010年4月8日木曜日

カンボジア旅行




ふと思い立って、数日間カンボジアのシェムリアップにひとりで旅行し、今朝帰ってきました。とにもかくにも想像以上の暑さで、夜でも気温は30度を超し、昼間は40度近くにもなる蒸し暑さ、外で立って
いるだけで身体じゅう汗がぐっしょりになります。アンコールワットを初めとする遺跡観光は、急な階段をたくさん昇ったり降りたりしなければいけないので、たいへんハード。年配の観光客もたくさんいましたが、倒れる人が出ないのが不思議なくらいでした。(しかも、奥行きが10センチくらいしかなく足を横向きにしなければ昇れない階段などを、ものすごい数の観光客が昇り降りするのもすごい。日本だったらあんなところは一般人には通行禁止になるでしょう。)東京の夏も暑いですが、今回はあらためて「暑い」という単語の意味を学んだ気がします。

今回の旅は、私は初めて体験するタイプの旅行でした。大学のときは『地球の歩き方』を手にヨーロッパをあちこち歩き回ったりしましたが、大学院に行ってから後は、優雅に旅行などするお金がまるでなくなったので、どこか外国に出かけるといえば仕事にかこつけてその周辺を少し旅行するくらいですが、私はアメリカ研究を専門にしているため残念ながら学会はたいていアメリカ国内で、今のところ海外で行ったことのある学会はヨーロッパ、オーストラリア、韓国だけです。今回は、日本やアメリカの感覚からすれば物価がかなり安い発展途上国に行き、高級ホテルに泊まり(今回私が泊まったのはシェムリアップのなかでは「最高級」とランクづけされるホテルですが、多少時間をかけてインターネット検索すれば、正規料金だと一泊三、四万円するところに一万円弱で泊まれます)、タクシーやトゥクトゥク(バイクの後ろに屋根付きの力車をつけた乗り物)で移動し、休憩時間にはホテルでゴージャスにマッサージやフェイシャルをする、という、言ってみれば「結構なご身分」の旅行で、それゆえに考えること感じることも多く、複雑な気分にもなりましたが、ふだん世界観が日本とアメリカの二項対立で成立されている私には、ほんの数日間でもこうした第三国をちらりと見るのはとてもいい経験でした。

シェムリアップに行ったのは、言うまでもなくアンコールワットを見てみたかったからですが、確かにアンコールワットとその周辺の遺跡群は壮観です。が、それと同時に、何世紀にもわたる放置と、クメール・ルージュによる破壊、密輸業者による盗難などで、とてつもない混沌をなしてもいます。若い頃にこうした遺跡に触れ、その研究や修復を生涯の仕事にしようと心に誓う若者が出てくるであろうことは容易に想像できるくらい、いろいろな謎やロマンに満ちた場所でもありますが、私のようなせっかちな性格の人間には職業選択としてはまるで向いていないと思うくらい、修復には気が遠くなるような長い道のりがありそうでした。日本を初め、フランス、インド、韓国などとの協同プロジェクトで修復作業が進められている、ということが各地の看板で説明されていましたが、そうしたプロジェクトについてもっと知りたいと思いました。

遺跡などの観光地では、飲み物や土産物を売りつけようと、小さな子供たちがかなりしつこくつきまとってきます。ものを売るのではなく、単純な物乞いをしている、ほとんど衣服を身につけていない小さな子供もたくさんいます。貧しい途上国なのだから、そういう場面に遭遇するのは当たり前でしょうが、そういった経験をほとんどしたことがない私は、正直言ってやはり当惑しました。そして、そういった子供たちが、なんとも流暢でしかも媚びたような(バーに男性を呼び入れるホステスのような)英語を話すのが、さらに哀しさを増大させます。私が泊まっていたホテルのすぐ隣には、子供病院があり、病院がないような地方の村から何百人という人たちが子供を連れてやってきて、建物から溢れている人たちが道路で順番を待っています(泊まりがけで来るのですが、泊まる場所もお金もないので、路上で夜を明かすらしいです)。私の運転手をしてくれた人の話によると、そうやって遠くから来ても、公立の病院ではろくな診療もしてもらえないのだけれども、こうした人たちは民間の医者にみてもらうこともできないので、何時間もバイクの後ろに乗ってやってくるのだそうです。そういう場所のすぐ隣に、プールからゴルフコースからスパからなんでも揃った別世界があり、自分は暑さに耐えられなくなるとそこで冷房にあたりながらカクテルを飲んでいるわけですから、複雑な気持ちですが、かといって、今の私が地域の人々の助けになれるのは、ふだんよりは多めにお土産を買ったりチップを渡したりすることくらいで、これまた観光という歪んだ経済的・社会的力学に自ら参加してしまっているわけです。

プノンペンやカンボジアの他の地域はどうなのかわかりませんが、シェムリアップは観光で成り立っている場所ゆえでしょうが、驚くほど英語が通じます。資格試験をパスした公認の観光ガイドはもちろんですが、タクシーやトゥクトゥクの運転手や、市場の売り子なども、平均的な日本の大学生やサラリーマンよりよっぽどきちんとした英語を話します。生活の必要に迫られ日常の実践に根ざして練習すれば、それほど教育程度の高くない層でもここまで英語ができるようになるのかと思うと、あらためて日本の英語教育の大失敗に目を覆いたくなります。が、英語が通じるということが私のような観光客にとっては便利なのはよいとして、あそこまで外国人観光客向けに町の経済や社会全体が成り立っている(英語が通じるばかりでなく、観光客が行くようなところでは米ドルが基本通貨となっています。私は到着したときに一応二万円ほど現地通貨リエルに換金しましたが、どこに行ってもすべてドルで値段が表示されているので、リエルはほとんどまるで使わないままでした。まったく換金しなくてもよかったくらいです)のは、やはり健全でないように思いました。

といったふうに、途上国の観光力学(私はふだんハワイに住んでいて、観光についても多少研究したことがあるので、そうしたことはよく考えるのですが、途上国での観光は、観光する人とホストする人の関係があまりにもあからさまで、いちだんと心が痛みます)について考えることも多いのですが、それと同時に、ほんの数日間の表面的な観察だけであえて印象を述べるなら、シェムリアップにいる観光客は、私がこれまで行ったことのある場所にいる観光客とは、ちょっと種類が違うように思いました。つまるところ、シェムリアップに来る人は、皆アンコールワットを見にやってくるわけですから、歴史に興味があり、遺跡を見るためにアジアの途上国を旅する不便(上の段落で、英語が通じるし不便はないと書きましたが、それでも平均的な欧米人にはこうしたアジアの町はかなりハードルが高いと思われます)を承知の上ではるばるやってくる人たちなわけで、ある程度の知性と冒険心をもった人が多く、夜のシェムリアップの外国人向けのバーやレストランが密集したエリアでも、観光地の繁華街にありがちな下品な大騒ぎは目にしませんでした。

観光一日めは遺跡めぐり、二日めはシェムリアップの町を散策、三日めはクメール文化を展示した博物館とテーマパークに行ったのですが、このテーマパークが面白かった。どこの国にもこういうテーマパークがあるのだなあと思うくらい、展示自体はあまり深く考えられたものではないし、それほどお金がかかったものでもないのですが、一応カンボジアの人口を構成するさまざまな民族の文化が展示されていて、ダンスを初めとするショーが午後いっぱい行われています。私にとって面白かったのは、遺跡など他の観光地にいる人はほとんどが外国人観光客なのに対して、このテーマパークではほとんどが地元の人々だということです。英語もほとんど通じないのでこちらは多少不安にはなるものの、地元の人々、特に子供たちの様子を観察するにはよかったです。そして、クメールの伝統的婚礼を舞台で演じるショーがあったのですが、その始まりを待っているあいだに、私は百人を超す観客のなかから一人選ばれ(いかにも外国人観光客らしかったからでしょう)、舞台に上がらされ、ショーの一部となりました。一人旅ゆえ、その様子を写真に撮ってくれる人がいなかったのが残念ですが、こうしていかにも外国人観光客という風貌の人を舞台に上げるというのは、国を超えてこうしたショーの定番なんだなと実感しました(ハワイにあるポリネシア文化センターでも、まったく同じ形式のショーがあります)。

カンボジアの人びとは、きわめて愛想がよく暖かい印象を受けました。これが、もともとの民族性によるものか、観光客を歓待する必要によるものか、その両方なのかよくわかりませんが、飛行機の乗り継ぎをしたハノイ空港での印象が打って変わって官僚的で、パスポートをチェックする軍服姿の役人も売店の店員もにこりともしない(共産党の力が生活の隅々にまで行き届いているからでしょうか)のにはびっくりしました。ほんの数日間の旅でしたが、世界には日本とアメリカの他にも実にいろいろな場所があるのだという、当たり前のことをあらためて学ぶ数日間でした。

2010年4月2日金曜日

岡田暁生『ピアニストになりたい!』

私が今住んでいるのは、名前からしていかにものどかそうな「小山田桜台」というところなのですが、私の家のすぐ横にある緑道で、今日は「さくらまつり」が行われています。普段は実に静かなエリアなのですが、今日は早朝から、よくもまあこんなに人が集まるなと思うほどの賑わいです。ちょっと散歩をしてきましたが、桜はちょうど八分咲きくらいで、お花見にはぴったりです。私は日本で桜を見るのは実に18年ぶり。改めて、桜っていうのはほんとにきれいだなあと素直に感動しています。そして、桜という花を見るためだけにイベントを催したり遠くまで出かけて行ったりする日本人とは、やはり風流な人々だなあとも思います。

さて、しばらく前にこのブログで岡田暁生さんの
『音楽の聴き方』を称賛しましたが、同じく岡田さんの『ピアニストになりたい! 19世紀 もうひとつの音楽史』を読みました。これがまたたいへん面白い!同じ音楽を扱っているとはいえ、『音楽の聴き方』とはずいぶん違ったタイプの本で、こちらは、一九世紀すなわちロマン派音楽の時代のピアノ演奏美学に焦点を当て、その根底に流れる技術性と精神性の関わりを追ったものです。「技術性と精神性の関わり」というといかにも小難しそうに聞こえるかも知れませんが、要は、いわゆる「曲」「楽曲」とは別個の「練習曲」や、指の技術的な訓練のための音階やドリルの数々、はてには指の強化のために使われた非人間的な器具が、そうした機械的なものとは対極にあるように思われがちな「ロマン派」の一九世紀に誕生し発達したのか、ということを問うたものです。とくに音楽に詳しくなくても近代史に興味のある人ならば誰でも面白く読めますが、ピアノをやったことのある人、そしてハノンだのチェルニーだのに苦しめられた人(あるいはそういったものを楽しんで練習した人)にはとりわけ刺激的です。十本の指をある程度均質化しコントロール力をつける技術訓練には、もちろんそうした指練習は有益ではあるものの、何年も何十年もたってから、近所で子供がハノンの最初に出てくる「ドミファソラソファミ」を練習しているのを聴いて、懐かしいと同時に耳を塞ぎたくなるような思いをする人は少なくないのではないでしょうか。あれはいったいなんだったんだろうか、ということをこの本は教えてくれます。岡田氏曰く、
音楽史の一九世紀は、一切の世俗を超越した精神性を宣伝してきた。しかしながらーー表向きの超俗性とは対照的にーー「ピアノの練習」というその下部構造を支配していたのは、体操や軍隊や工場における大量生産や弱肉強食といった、それが公式には最も軽蔑してきたはずの近代資本主義社会の論理だった。練習曲と指矯正器具で指を鍛え上げた多くの学習者たちが、何の疑問も感じず、同じそのマッチョな指でもって、粛々とバッハやベートーヴェンやショパンを奏でていたーーそれが一九世紀音楽史のもう1つの顔だったのである。(210)
さらに、このオソロしくもあり滑稽でもある一九世紀ピアノ練習の歴史に向き合う岡田氏の思いが、あとがきにとても人間的に書かれています。
だが正直に言えば、今の私はこの「一九世紀ピアノ学習狂詩曲」に対して、微苦笑を伴う密かな親近感と愛情を感じている(実際私自身も小さい頃、似たり寄ったりのピアノ・レッスンを嫌々受けさせられていた)。今日の目から見てどんなに愚かしく思えようとも、やはり一九世紀の人々は熱烈に音楽を愛していた。「いかなる手段を使ってでも(=当座は音楽そっちのけになったとしても)」、彼らは音楽を自分の手の中に入れたかった。自分の手で数々の珠玉の名作を弾いてみたかったのである。その情熱は浅薄なものであったかもしれないし、社会的な見栄といった世俗的な利害関心だって絡んでいただろう。だが「音楽」などという、金銭的にはたいして利益にならないものに対して、彼らはかくも大いなる情熱を燃やすことが出来た。当時の上流ブルジョアたちにとっては、ただ単に「お金持ち」になることだけが人生の目的ではなかった。金銭とは無縁の遠い遠い理想を求めて日々励むということーー恐らく彼らにとってそれは、神のいなくなった一九世紀における宗教の一種であって、これこそ彼らが「文化」とか「教養」と呼んだものだったに違いない。生きるということが、どんどん剥き出しの経済原理のみに還元されていく二一世紀に生きる私には、たかだかピアノ学習ごときにあれだけ熱中することの出来た一九世紀の悲喜劇が、たとえようもなく愛しく感じられる。(271−272)
音楽の演奏に数値で優劣をつけることの不毛さを感じながらも、クライバーン・コンクールを見学して想像以上の感動と興奮を覚えたその気持ちを、言い表してくれているようでもあります。

映画『靖国』

今学期を日本で過ごす留学生グループが到着し、大学でのオリエンテーションが始まったところです。興奮と不安の混じった表情をした学生たちと話をするのは、なかなかいいものです。

今学期は、日本を扱ったアメリカ紀行文学についての授業と、太平洋戦争の歴史の記憶の日米比較についての授業を教えるのですが、後者のクラスで使えるかと、映画『靖国』をDVDで観てみました。右翼の圧力から上映をとりやめた映画館があったり、映画制作において文化庁所管の日本芸術文化振興会の助成金を受けているということで映画に「政治的な訴え」「政治的偏向」がないかを一部の国会議員が問題にしたり、また主なキャストのひとりである刀匠が、取材に応じたときに理解していた映画の意図と違う取り上げられかたをしているので自らの映像の削除を求めているとの報道があるなど、いろいろな議論を巻き起こした作品です。上映中には観に行く機会がなかったのですが、観てみると、想像していたよりもずっとバランスのとれた映画だという印象を持ちました。それほどの議論をかもす作品なのだったら、もっと断定的で一方的なメッセージが前面に出ているのかと思っていたのですが(はっきりとしたメッセージをもった作品なら、それはそれでいいと私は思いますが)、この作品は、様々な立場の人の戦中戦後の歴史や合祀のありかたや政治家の公式参拝については、確かに批判的な視点を明らかにしながらも、靖国に参拝をするさまざまな人たちについても決してひとくくりにして扱っているわけではなく、その人間性にもじゅうぶんなシンパシーをもって取り上げていると思いました。戦友や家族を弔う人びと、戦争の犠牲になった人びとに慰霊の意を表す人、戦争は二度と起こしてはいけないという気持ちを表すつもりで参拝する人は、狂信的な右翼とはあきらかに区別して描かれているし、宗教的な場での儀式というものに人びとがなぜ意味を見出すのかということも示唆されていると思いました。前にこのブログでも言及したフレデリック・ワイズマン監督のドキュメンタリーにも似て、ナレーションなどのない、さまざまな画像をつなげることでメッセージが伝わる手法でできています。もちろんその画像の選択や編集にプロパガンダ的操作があると感じる人も多いのでしょうが、実際には右翼のなかにもこの作品を傑作だと評価している人もいるらしいですから、映されているものをどう解釈するかは受け止める側次第ということでしょう。問題の刀匠の扱いについては、どうせ彼を映画の語りの枠として使うのなら、もうちょっと上手い使いかたがあったのではないかと思いました。とにもかくにも、「戦争の歴史と記憶」の授業で、学生にものを考えさせて議論をさせるにはいい映画だと思います。みなさんも、自分で観て考えてみてください。