また、金物屋(?)に電球を買いに行くと、包みもせずに剥き出しのままの電球をそのまま渡されるので笑ってしまいます。電球といっても、小さい丸電球ではなく、天井につける大きなU字型の電球で、包むといっても難しいし、どうせすぐ外に停めてある車に乗せるのだから、たしかに包装などしてくれなくてもいいのですが、車まで持って行くときに、ふたつのU字型電球をぶつからないように両腕に下げて歩いているのもちょっと滑稽な姿だし、日本だったらU字型だろうが何字型だろうが、丁寧に包んでくれるだろうなと思うと、なんだか可笑しかったです。
大学では、留守中に届いていた学術雑誌の山を前に目次に目を通したり、必要な本を探しに図書館を歩き回ったりしていると、「よーし、勉強するぞー!」というやる気が湧いてきます。正直言って、ハワイ大学は、アメリカの他の大学と比べてとくに知的な空気が充満しているというわけでもないのですが、それでも、アメリカの大学には「勉強しよう」と思わせる独特な雰囲気があると私は思います。また、私が帰ってきたのを喜んでくれる同僚や友達もたくさんいるし、とくに今私のいる学部の同僚は9割がたが、ビジョンとやる気を共有した仲間たちなので、財政やスタッフの不十分という構造的な問題を除いては(これがたいへん大きな問題なのですが)、仕事環境としてはとても恵まれていると実感します。
さて、話題は変わって、クライバーン財団です。クライバーン・コンクールを現在のような国際的に権威のある芸術イベントに、かつ多くの市民に支えられ地域コミュニティに根ざしたイベントに育てあげた、リチャード・ロジンスキ氏が、2009年のコンクールを最後に辞任し、今度はクライバーン・コンクール誕生のきっかけとなったモスクワのチャイコフスキー・コンクールの運営に携わるというニュースが出たことは『ヴァンクライバーン 国際ピアノコンクール』の最後で書きました。ロジンスキ氏の他にも、重要なポジションについていたスタッフの何人かが、それぞれ別の理由でクライバーン財団を次々に辞め、財団は大きな転換期を迎えています。とにもかくにも、コンクールの運営責任者かつ財団のさまざまな活動を総括する財団長が決まらないことには、次回のコンクールを含め長期的な運営計画が立てられない。そして、ロジンスキ氏の実績が示したように、財団長次第でコンクールも財団全体も大きく成長できる(いっぽうで、まったくダメになってしまう可能性もある)。というわけで、財団理事たちは、ふさわしい人材を世界から公募し慎重な選出を行っていたのですが、このたび新財団長が決まりました。就任が決まったのは、David Chambless Wortersという人物。
Worters氏は(私と同じ)42歳。ボストン郊外で育ち、母親はジュリアードでヴァン・クライバーン氏の師でもあったロジーナ・レヴィン氏に師事したピアニスト。デイヴィッド氏本人も子どもの頃からピアノを学び、ニューイングランド音楽院の予科に通って高校卒業時には賞をとったものの、大学では音楽の道には進まず、ハーヴァードで経済学を専攻。ハーヴァード在学中に、全米最古の男声合唱団であるハーヴァード・グリークラブに在籍し運営に携わったのが、アート・マネージメントにかかわるきっかけとなる。その後、Boston Musica Vivaという室内楽団、そして24歳のときに北西インディアナ・シンフォニー・オーケストラの運営に当たり、シラキュース・シンフォニー・オーケストラを5年間運営した後、1999年からノースカロライナ・シンフォニーの会長を務めてきた、という人物です。この経歴をみても、アート・マネージメントに携わる人々は、仕事のあるところを転々としてキャリアを築いていく(日本と違って、アメリカで「転々とする」というのは国内でも時差のあるような距離を移動するわけですから、かなりのおおごとです)のだということがわかります。ロジンスキ氏ももともとはテキサスとは関係のない人であるにもかかわらず、フォート・ワースというコミュニティの特性を深く理解し、自ら地域の生活にコミットして強いネットワークを築き、クライバーン・コンクールを世界的かつ地域的なイベントに育て上げていったわけです。新会長の指揮下で、クライバーン・コンクールが、そしてクライバーン財団全体が、どういう方向に進んでいくのか、見るのが楽しみです。自分と同い年の人が運営しているかと思うと、さらなる親近感をもって注目しそうです。