この映画は、現代アメリカの食品産業のありかたを取り上げたドキュメンタリー。ここ数年間に、Eric Schlosserの『ファストフードが世界を食いつくす』やMichael Pollanの『雑食動物のジレンマ』などの著書やそれをもとにした映画などで、アグリビジネス(ちなみに『現代アメリカのキーワード 』の「アグリビジネス」の項もどうぞ参考にしてください)の現状が衝撃的にレポートされてきましたが、この映画もたいへんショッキングです。前にこのブログでRuth Ozekiの小説『イヤー・オブ・ミート』について言及しましたが、私はこれを読んだとき、一瞬ベジタリアンになろうかと考えたものの、面倒くさがりの私はそのまま肉を食べ続けてきました。しかし、こういうものはやはり、映画という形でビジュアルを目の前にすると衝撃度が違います。
もともとジェファーソンの時代からヨーマンとよばれる自営農民を国民の理想としてきたアメリカでは、今でも農業というと中西部でオーバーオールを着たおじさんとおばさんが広大な農場でせっせと働いているといったイメージが強いものの、実際は、一般消費者が口にする食品のほとんどは、一握りの大企業によって「高度に」工業化された食糧生産によって、さまざまな形で加工されたもの。短期間に効率的に大量の食糧を生産するため、さまざまな技術を使って、急速に太らされた鶏が、自分の身体を足で支えられず、歩くこともできない、そもそも歩くような空間は与えられておらず、何万もの動物が窓もない飼育場にぎゅうぎゅうに詰め込まれそのまま屠殺場に送られる。牧草の代わりに廉価なトウモロコシが牛に与えられ病気を防ぐため抗生物質がどんどん投与される。
そういった現実は、隠しカメラで撮影された映像を含め実際の光景を目にすると確かにものすごい衝撃を受けますが、私にとってそれよりさらに憤りを感じたのは、農業に従事する人間たちのありかた。事実上の雇用主である大企業からのプレッシャーで、「効率化」を求めて次々と新しい設備や機械を購入しなければならず、巨額の借金を抱え(アメリカの平均的な農家は、50万ドルの借金を抱え、年間の収入は1万8千ドルだという数字が出てきたような気がしますが、そんなことって本当にありうるんでしょうか???)、企業の指示に従わなければさっさと契約を破棄されてしまう。翌年のためにと種をとったり、少しでも産業に批判的な発言をすれば、大勢の弁護士を抱えた企業に特許法違反や名誉毀損で訴訟を起こされ、裁判の費用だけで倒産してしまう。また、動物にとっても不健全で非倫理的な環境のなかで、屠殺などの危険な作業に従事するのは、メキシコなどから非合法移民でやってきている労働者たちで、労働基準法などに守られないまま何年間、ときには何十年間も低い賃金で働いた彼らは、移民局の摘発にあい強制帰国となっても、雇用者はなんの手助けもしない。そしてまた、真面目にせっせと働いてもまともな給料ももらえず、ゆっくりと料理をする時間も余裕もない消費者たちは、安いファースト・フードなどの食事についつい手を伸ばしてしまい、結果、低所得者層や人種的マイノリティのなかで、肥満や糖尿病が蔓延する。
といった調子で、観ていて実に暗い気持ちになるのですが、それと同時に、こうした状況のなかでも、農業の本来あるべき姿に忠実に、動物にも地球にも労働者にも消費者にも健全な農業を営んでいる人の姿や、食の安全を求めて政府に働きかける活動家の姿も出てくるし、我々一般の消費者が日常的にできることも具体的に提案(当たり前といえば当たり前のことですが、なるべく地元で作られた、無農薬・有機栽培の食品を、ファーマーズ・マーケットなどで買うこと、スーパーで食品を買うときにはどこで作られたもので、それに何が入っているのかちゃんとチェックすることなど)されているのがよいです。
日本にいるかたも、DVDやiTuneで観られるので、ぜひどうぞ。