2013年5月30日木曜日

第14回ヴァン・クライバーン国際ピアノ・コンクール 準本選進出者発表!

今日の午後で残り6人の2回目の予選演奏が終わり、1時間半の待ち時間を経て、いよいよ準本選に進出する出演者が発表されました。もったいぶっても仕方ないので、結果から先に報告すると、30人の出場者のうち、準本選に進むことが決まった12人は以下のとおりです。

Nikita Abrosimov
Sean Chen
Alexey Chernov
Alessandro Deljavan
Fei-Fei Dong
Jayson Gillham
Claire Huangci
Vadym Kholodenko
Nikolay Khozyainov
Nikita Mndoyants
Beatrice Rana
Tomoki Sakata


昨晩の私の予想のうち、準本選に残らなかったのはひとり(Yekwon Sunwoo。彼が残らなかったのは本当に不思議です)だけなので、おおむね私の判断は当たっていたようです。阪田くんが残ったのは本当に嬉しい。発表の後で阪田くんのお母さんと少しお話しましたが、「本当に活き活きとして、伸びやかな素晴らしい演奏でした」と言ったら、「今回は本人も楽しんで演奏できているようです」とおっしゃっていました。Alessandro Deljavanに「あんなにエキサイティングなショパンのエチュードは聴いたことがない」とお祝いを言ったら、私の手をじっと握って「ありがとう」と言っていましたが、たしかにかなり変わった人物ではあるけれど、相手にかかわらず人の目をちゃんと見て話をする人だなあという印象。

逆に、「この人は準本選には行かないだろう」と思っていたのに進出したのはひとりだけ(Claire Huangci。2回目の演奏はとてもよかったけれど、彼女の1回目の演奏と比べたら、ずっといい演奏をした人が何人もいたと思いました)。あとは、とくに驚かない結果でした。Steven Linをもう見られないのは実に残念ですが(笑)、結果発表のあと「あなたの大ファンです」といって一緒に写真を撮ってもらったので、Deljavanの写真とともに載せておきます。Luca Burattoが残らなかったのも残念。



もちろん、準本選進出かなわなかった出演者たちはみな大きく落胆しているはずですが、さすがこのコンクールに出るようなレベルの人たちはみな他にたくさんのコンクールで経験を積んできているし、審査にはいろいろな要素が絡んでいて、ここで落選したからといって音楽家として劣っているわけでは必ずしもない、ということをちゃんとわかっているのでしょう、目に見えて落胆や悲しみや怒りを顔に出している人はいませんでした。これぞプロというものです。

2009年のコンクールのときは、結果発表までの時間に、出演者はみな控え室で卓球をしたりしながら待っていて、発表が始まるとホストファミリーや聴衆に混じって客席に座っていたのですが、今回は発表の形式が少し変わり、発表の時間が午後7時とあらかじめ指定され、クライバーン財団の理事長の挨拶の後、財団長が30人の出場者の名前を呼び、全員が舞台に出てコンクール参加の賞状を受け取りました。そして、30人が出そろったところで、会場に集まった聴衆全員が総立ちで、1週間すべてをかけて自分たちの音楽を披露してくれた出場者たちに、大きな拍手を何分間もと思われる長い時間送りました。若い芸術家たちに心からの拍手を送るこの会場の空気に、私はじーんとして涙ぐんでしまいました。



これまで1週間、午前11時から午後10時過ぎまで演奏を聴きっぱなしで、他のことはなにもできない状態でしたが、明日は聴衆にとっては一日お休み。ただし、準本選進出者は、室内楽のリハーサルなどが詰まっているし、もちろんこれからの演奏の準備をしなければいけないので、喜んだり休んだりしている場合ではありません。でも、少しは休んで、2日後からまた自分たちの演奏を存分に聴かせてくれることを期待しています。準本選の演奏スケジュールはこちらで見られます。

2013年5月29日水曜日

予選第2段階3日目

さて、予選第2段階も後半に入りました。今日は、1回目の演奏で度肝を抜かれたAlessandro DeljavanとFei-Fei Dongの両方の演奏があり、私はおおいに注目していたのですが、これがなかなか、「こうだった」と言い切れない複雑な結果になりました。こういうことがあるからこそ、やはり予選が2段階あるというのは面白いです。

Alessandro Deljavanは、モーツアルトの、グルックの「愚かな民が思うには」による変奏曲K455と、シューマンの幻想曲作品17と、シューベルトのディアベリのワルツによる変奏曲D718の3曲。予想通り、最初のモーツアルトから、アーティキュレーションやヴォイシングがきわめて個性的な演奏。私はとてもよいと思ったけれど、私の同伴者は、「ちょっとやり過ぎで、ラインが途切れることがあるから、マイナスに判断されるんじゃないか」と言っていました。そして2曲めは、狂気におかされ精神病院に隔離されたシューマンと同様、Deljavan自身が精神病院に入ってしまうんじゃないかと思わせるような様相の演奏で、ある意味作品にふさわしいとも言えるけれど、ついて行けないかも、と感じないこともない。楽章の途中で拍手をする聴衆がいたかたわら、シューマンからシューベルトのあいだには拍手を許さず休みなくそのまま移行。全体として、まさに浮き世の常識人とは別の世界に生きている芸術家の演奏、という感じで、はたしてこういう人が審査員にどう評価されるかはとても興味の湧くところです。これだけの人が準本選に進まないということはありえないと思うけれど、はたして本選に残るのか、はたまた入賞するのか。こういう人が優勝するということはまずないと思いますが、彼が3位以内に入賞したら、私はクライバーンの審査員にあらたな尊敬を抱くでしょう。

ちなみに、Deljavanのことを個人的に知っている私の友達によると、彼は舞台の外でも、きわめて独特な人物で、実際かなり複雑な精神をもった人のようです。いったん舞台に出れば、あれだけ自分独自の声をもって、コンクールの常識などはおかまいなしの個性的な演奏を堂々とするにもかかわらず、自分の演奏にはとても悲観的で、はるばるヨーロッパからフォートワースまでやってきておきながら、コンクールが始まる前のオープニング・ディナーのときになって、「僕はまるでだめだ、棄権しようかと思ってる」と不安いっぱいの表情で言っていたそうです。自分の声を究極まで追求しようという姿勢と、自分の演奏についての不安が、頭や心のなかでものすごい勢いで渦巻いているのでしょう。芸術家というのは本当にたいへんだなあ。。。

いっぽう、Fei-Fei Dongは、スカルラッティのソナタ2曲とドビュッシーのダンス、そしてリストのロ短調ソナタ。スカルラッティは、1回目の演奏のときと同じ、きわめて強い声があってとてもよかった。ドビュッシーは、数カ所ちょっとしたミスがあったけれど、全体としては、リズムが利いた、はっきりしていて明るい演奏でした。そして、すでに何人かの出演者が演奏している(2009年のコンクールでは、この曲を演奏した人がたしか5人いました)リストのソナタ。ファウスト伝説にもとづいた(他にもいろいろと解釈はあるそうですが、ファウストがもっとも一般的)この大きなソナタ、技術的な困難もともかくとして、表面的に物語を追って感情をつけることはそう難しくなくても、作品の根底にある精神性をきちんと理解して表現することはたいへん難しい。そうしたことを、彼女の演奏がどれだけ実現していたのかは、専門的な知識のない私には判断できませんでした(私の周りには、「彼女はちゃんと理解しないで弾いている」と言っている人もいました)が、情熱的な演奏で聴衆に訴えかけるという点では、群を抜いていました。なにしろ、彼女の直前の演奏が、Sean Chenの、ベートーヴェンの「ハンマークラヴィアー」ソナタ一本(2009年に辻井伸行さんが準本選で演奏した曲。あまりにも難解で、演奏がよかったのか悪かったのか私には判断できない)という順番だったので、難解かつ長大な一曲を45分近く座って聴いたばかりの一般聴衆にとっては、彼女の演目そして演奏は、たいへんわかりやすいものでした。はたして審査員がそれをどう評価するかは、明日のお楽しみ。

他に今日の演奏のなかでとてもよかったのが、韓国のYekwon Sunwoo。1回目の演奏もよかったですが、今日はさらに光って、しっかりとした骨太でクリーンな、非のつけどころのない演奏でした。準本選進出はほぼ間違いないと思います。

明日、残り6人の演奏があった後、審査員の評価が集計され、準本選に進む12人が発表されます。その集計にどのくらい時間がかかるのか(同位の人がいる場合は、その人たちについて審査員が投票しなおす)はまったく不明。出演者はもちろんですが、聴衆もドキドキです。まだ演奏し終わっていない6人がいるので、きちんとした予想はできませんが、明日の演奏と審査発表のあいだにブログを更新する時間があるとは思えないので、今の時点での私のまったく主観的な予想をあえて書いておくならば、私が準本選進出間違いないと思うのは、
Alessandro Deljavan
Fei-Fei Dong
Beatrice Rana
Tomoki Sakata
Yekwon Sunwoo
の5人。さらに、個人的な好みとしてはLuca Burattoの演奏も、派手ではないけれど、偽りのない誠実ないい音楽で、彼の人格が表れていると思いました(今日ホールのロビーに彼がいたので、そのむね伝えておきましたが、とても感じのいい青年でした)。それから、Steven Linも、とにかくその笑顔をもっと見たいので一票入れておきます(笑)。残りは、私にはなんとも言えないなあ、という感じです。

ところで、拙著で、このコンクールでのメディアの役割について書きましたが、今回も、ドキュメンタリー映画そしてウェブキャストのクルーが、始終出演者たちを追っている上に、2009年以上の数の報道関係者が集まっています。そのいっぽうで、そうしたカメラが出演者たちにもたらす負担をなるべく減らす工夫がされているのが感じられます。前回は、舞台上数カ所そしてピアノそのものの先端や横端に取り付けられたカメラに加えて、ピアノの頭上にぶら下げられた大きなカメラが演奏の最中360度まわっていたのですが、今回は、舞台上には、客席から向かって右端と、ピアノの斜め後ろに、黒いカバーで覆われたカメラが設置されているだけ(私は前から4列目の真ん中に座っているにもかかわらず、2日目までこれらのカメラの存在に気づきませんでした)で、ピアノ自体にはカメラがついているようには見えない。客席前列の鍵盤側にカメラマンがひとり。そして、前回同様、ピアノの頭上に吊られた移動カメラはありますが、演奏者の視界には入らない角度にしか移動しないようになっている。これらはやはり、出演者の集中をなるべく妨げないようにとの配慮からきているのだと思います。それでも、広報やマーケティングを得意とするクライバーン・コンクールなので、ウェブキャストや映画その他のためのインタビューなどで出演者はけっこう忙しいらしいので、私は今のところ、邪魔にならないようにインタビューの依頼は控えているところです。




では、明日の残りの演奏、そして準本選進出者発表をお楽しみに!

2013年5月28日火曜日

予選第2段階2日目

宣伝するようなことでもないですが、今日(テキサスでももう夜中を過ぎてしまったので正確には昨日ですが)28日はワタクシの誕生日でした。一日じゅう生の音楽に浸り、自分にはなんの縁もないはずだったテキサスのフォートワースの街で、昼も夜も夜中もたくさんの友達にお祝いをしてもらって、幸せな一日でした。世界から選りすぐられて集まってきた、自分の半分(以下)の年齢の若者たちが、芸術に生涯を捧げ、コンクールで自分のすべてをさらけ出しているのを舞台の目の前で一日じゅう見ていると、とても刺激が多いと同時に、謙虚な気持ちにさせられます。

夜中過ぎに帰ってきたのでもうすぐ寝ますが、今日の報告の目玉は、阪田知樹くんの2回目の演奏。私だけでなく、会場の聴衆がみんな、終わったとたん、瞬発的に立ち上がって「ブラボー!」と声をあげて拍手してしまうくらい、素晴らしい演奏でした。準本選進出は間違いなし、これは本選進出もかなり有望で、もしかしたら3位以内に入賞するかもしれない、と思わせる出来でした。プログラミングもとてもよかった。最初のモーツアルトは、音にも解釈にも、けがれがなく、とてもクリーンで、清らかな演奏。「こういうふうに弾くのが深い演奏だ」といったわざとらしさやいやらしさがなく、きわめてまっすぐでピュアな音に心が洗われる気持ちがしました。そして、次のアルベニスの「イベリア」第2巻が最高でした。この3曲めの「トリアナ」を私も演奏したばかり(これがもう、難しいのなんのって。。。)なので楽しみにしていたのですが、昨日の夜ネットで見つけた阪田くんの演奏は、いくら10代の青年だからといっても、いくらなんでもこの曲に必要な色気、そしてその色気を出すための間の緩急がなさすぎだろう(私に言われちゃあおしまいですが)と、感心しなかったのですが、今日の演奏は、同じ人物の演奏とはまるで思えないほど、フレージングも呼吸も彩りも豊かで、心から感動しました。いくつか音のミスはあったけれど、全体の流れが素晴らしく、音のミスなどはまるで問題にならない。最後の「エフゲニ・オネイギン」の編曲も、キャラクターがよく出ていて、とてもよかった。ベートーベンやブラームスのソナタといった作品で深遠さを表現するのももちろん重要だけれど、こうした作品で自分の音楽性を表現するのも立派な音楽的行為。前にも書きましたが、変な背伸びをせず、自分の音楽を素直に演奏する姿勢が、聴衆にまっすぐ伝わってきました。ブラボー!

さらに、今日最後に演奏したウクライナのVadym Kholodenkoもかなりよかったです。すでにもう何人かが「ペトルシュカ」を演奏していますが、そのなかではもっとも説得力がある演奏でした。

全体としては、今日演奏した9人は、1回目の演奏と比べてずっとよかったとかずっと悪かったという人はなく、おおむね1回目の印象を確認した、という感じでした。Lindsay Garritsonは、ショパンのバラードの後半でミスをしてから、ガタガタと崩れ、最後のリストではもう自暴自棄になったような、必要以上のスピードと音量で突っ走る、といった結果になって、気の毒でした。その30倍くらい低い次元で、私自身そうした状況には非常に共感できる(ミスをすると、あせる。あせると、他の箇所も不安になる。不安になると、その部分が早く終わってほしいので、急いで駆け抜けようとして、必要な区切りをつけずに先を急ぐ。急ぐと、音符だけで頭がいっぱいで、フレージングや音色がおろそかになり、全体がどんどんと崩れていく)のですが、やはりこういう場では、ミスをしても動揺せず、鉄の精神をもって音楽の全体性を貫かなければいけないのだなあと、あらためて実感。本番にすべてがかかっている演奏というのは、本当に大変です。

他にもいろいろ書きたいことはありますが、また後日。明日もまる一日予選が続きます。

2013年5月27日月曜日

予選第2段階スタート

今日の午前の3人のコンサートで、出場者30人全員が1回目の演奏を終え、午後からは予選の第2段階、つまり2回目のソロリサイタルが始まりました。1回目と同じ順番で演奏するので、今日で6人の出場者が2回の演奏を終えたことになります。予選で2回のリサイタルをするというのは、これまでのコンクールと大きく違う点ですが、今日の6人の演奏を聴くと、この2回目のリサイタルがあることのメリットが実感されました。1回目よりもずっといい演奏をした人もいれば、1回目と比べるとそうでもなかった、という人もいるし、1回目いまひとつで、今回もやはりいまひとつ、という人もいる。また、1回目も素晴らしかったけれど2回目でさらにその実力が確証された、という人もいる。こうやって2回めの演奏を総合して評価すれば、各ピアニストの力量がより正確に判断できる、という理屈は間違ってはいないと思います。

今日2回目の演奏をした6人のうち、1回目よりよかったのは、Claire HuangciScipione Sangiovanni。Huangciは、1回目は音の鳴りがいまひとつだったのに対して、今回は演目と楽器そして本人の音楽的なキャラクターがよく合って、前回よりずっといい演奏でした。Sangiovanniのベートーベンはやや重たすぎる印象はあったものの、彼も1回目より説得力のある演奏でした。

それに対して、Steven Linの演奏は、ハイドンはよかったけれど、ショパンは日本食に中華料理のソースをかけたような、ちょっと濃すぎる感あり。そして、最後のリストの「ドン・ジオヴァンニの回想」は、やたらめったら音が多い曲の超絶技性は見事に実現していたものの、アクロバティックな要素を超えた音楽の深みはあまり感じられず、途中からは音色もちょっと一面的だった印象を受けました。疲れが出てきたのかもしれません。(あれだけの音を弾けば、そりゃ疲れもするわさ、というような曲です。)1回目の演奏と比べると、切れ味も少し欠けたような気もしました。が、前回も書いたように、なにしろ彼はルックスがとにかくキュート。笑顔がたまらない。彼の笑顔を私たちが見られるためだけにでも、準本選に彼を進めてほしい、と思うくらい。隣に座っている女性とも、後ろの列に座っている女性とも、振り向き合っては「He's so cute!!!」と何度も言ってしまうくらいの、本当に信じられないようなキュートな容姿で、後ろの女性は、「女性の出場者に花束を渡す男性ファンがいるんだから、女性が彼に花束をあげたっていいわよね?準本選に彼が進んだら、私花束を持って来ようと思う」と張り切っています。ヴァン・クライバーン氏がチャイコフスキー・コンクールで優勝したときも、ソ連の女性たちがたくさん花やらプレゼントやらを彼に差し出したのだから、Steven Linに花束をあげて悪いはずはないわよね、と周りの席の人たちのあいだで盛り上がっていました。

1回目、繊細さはあるけれど迫力にいまひとつ欠ける、と思ったMarcin Koziakの今回の演奏は、ベートーベンはパワーがなさすぎ、ブラームスは逆にパワーばかりで音質がよくない、と思いました。また、ダラス出身で地元ファンが多いAlex McDonaldの1回目の演奏は、私は悪いところはないけれどもとりわけ心を打つようなものでもないなあと思ったのですが、今回は、1回目より全体として出来はよいけれども、やはりとりわけ芸術性を感じるものでもない、という印象。

そして、今日のスターはなんといってもBeatrice Rana。1回目の演奏もとてもよかったけれど、今回はそれよりさらに光って、「これは準本選進出間違いなし、本選にもほぼ間違いなし、入賞の可能性も大」という評価を確実にしました。ラヴェルの「夜のガスパール」はここ3日間ですでに何回も演奏されていますが、断然彼女の演奏が一番よかった。音色の彩りの豊かさ、音の層の重なり具合、多くの部分からなる曲全体の整合性、どれをとっても申し分なし。そして最後のバルトークの「戸外にて」がなんといってもすごかった。曲に馴染みのない聴衆にとってはともすると聴きにくい作品であるにもかかわらず、技巧と構想と演出で、みごとに曲の面白さを伝えていました。演奏後の彼女の表情も、1回目のときよりも明るかったので、本人も満足のいく演奏だったのでしょう。

というわけで、予選の2段階めはまだまだこれから。意外な展開がみられるかもしれません。他にもいろいろ書きたいことがあるのですが、今日は演奏のあとクライバーン財団の人たちと一杯飲んでから帰ってきたので、他の話題はまた後日にとっておくことにして、もう寝ます。

2013年5月26日日曜日

予選3日目

クライバーン・コンクール、今日もさらに9人の出演者がコンサートをしました。ここまでレベルが高い人たちばかり30人近くの演奏を立て続けに聴いていると、素晴らしく上手、というだけでは印象に残りません。実際のところ、すでに10人くらいは頭のなかでごっちゃになっていて、誰がどうだったのだかよく思い出せなくなっています。そうしたなかでも、人と一線を画しキラリと光る特別ななにかを伝える演奏をする人は、決して忘れない。

今日の9人のなかで、私にとって群を抜いていたスターは、中国出身のFei-Fei Dongでした。顔やお辞儀のしかたなどは、可愛らしく無垢で謙虚な雰囲気が漂っているのですが、いったんピアノの前に座ると、音楽の霊がのりうつったような迫力で、クレメンティでもシューマンでもショパンでも、それぞれの曲想を全身全霊で体現している。なにしろ、自分独自の声をとても強くもっている。このコンクールに出るような人は誰でも驚くほど大きな音量は出せますが、より本質的な意味での「強い声」というのはこういう音を指すんだなあと感じながら聴きました。そして、最後に演奏したリーバーマンのガーゴイルがすごかった。「すごかった」という意外に形容のしかたが思いつかないところが物書きとしては情けないのですが、その迫力といい、彩りといい、とにかくすごかった。演奏が終わってから、私が友達と夕食を食べた同じ店で、彼女がホストファミリーと一緒に食事をしているのに気づいたので、後から「素晴らしい演奏だった」と声をかけに行ったのですが、そのときの様子も、実に謙虚で地に足のついた感じで、きわめて好印象をもちました。

現在ジュリアード在籍中のSara Daneshpourの演奏も、繊細で叙情的な感性豊かでとてもよかったのですが、こうした舞台では、他の出演者と比べるといまひとつパワーに欠ける印象。もちろん、音楽というのは、いわゆる筋力的なパワーの他にもっと大事なことがたくさんあるので、詩的な音楽性を評価するなら彼女のような人が上位に入るべきですが、はたしてこういうコンクールで審査員が彼女をどう評価するかは興味のあるところです。

その他は、私にとってはとくに誰が素晴らしいということもなく、みんなたいへんご立派な演奏。でも、正直言って、3日目となると、やたらとたくさん音符の詰まった、オクターブや大きな和音が飛び回るリストやらプロコフィエフやらラフマニノフやらの曲は、もうお腹いっぱいです、と言いたくなってきます。そうしたなかで、シューベルトやらモーツアルトを気品と威厳をもって演奏してくれると、実にほっとした気分になります(私はシューベルトもモーツアルトも、聴くのも弾くのもあまり得意ではないのですが)。

拙著でも書いたように、このコンクールをホールで見にくる人たちのあいだには、なんとも特別なつながりが生まれるのですが、今回も3日目にしてすでにいろいろな人たちと面白い出会いがあります。今日の午後、私の隣に座ったアジア人の男性は、北京の中央音楽学院でチェロを学んだのち、今はフォートワース周辺でIT関係の仕事をしているという人。話しているうちに、実は彼はハワイ大学で民族音楽学の修士をとっており、私と共通の知り合いもたくさんいるということが判明。まさかフォートワースのクライバーン・コンクールの会場で、ハワイ大学の卒業生と隣の席に座るとは思いませんでした。他にも、大学でピアノを勉強したけれど演奏には生き甲斐を感じないと気づいて方向転換し、今は小学校の教師をしているという、白人アメリカ人の父親と韓国人の母親をもつ男性は、デトロイトからこのコンクールを見学するためにフォートワースに滞在中で、数週間後には、日本の教育制度について学ぶために日本に研修旅行に出かけるらしいです。また、昨日隣に座った女性は、フォートワース近くの大学の工学部の教授で、私と同様アマチュアのピアニスト。また、このエリアでピアノを教えているという人たちも聴衆のなかにはたくさんいます。でも、休憩時間の周りの人たちの会話を聞いている限りでの印象では、聴衆の過半数は、とくに音楽について専門的な知識をもっていない、まったくの素人。そういう素人が、こうしたイベントにせっせと足を運び、一生懸命耳を傾け、気に入った演奏には立って「ブラボー!」と叫びながら拍手をし、気に入らなかった演奏については自分なりにあれやこれやと文句をつける。自分の意見はなんの権威も影響力ももっていないとじゅうぶん承知の上で、あれこれうんちくを傾けることを楽しんでいる。その様子が、見ていて面白いのです。こうした一般の聴衆の反応は、審査員の評価とはまったく無関係ですが、クライバーン・コンクールがここまで立派な世界的イベントに発展してきたのは、こうした一般の人たちが、音楽に素直な興味をもち、このコンクールを街の誇りとして、世界から集まってくるトップレベルの若い芸術家たちの演奏に注目する、そうした習慣を育むことに、クライバーン財団が成功してきたからだと改めて感じます。

明日さらに3人の演奏が終わってからは、予選の第2段階、つまりもう1回のソロリサイタルが始まります。頭のなかには「ペトルシュカ」のメロディーが流れていますが、頑張って眠りにつくことにします。

2013年5月25日土曜日

予選2日目

予選2日目、今日も朝から晩までエキサイティングな演奏に浸った一日でした。

2日間で18人の演奏を聴いた現時点での私の評価は、今日の最後に演奏したAlessandro Deljavanが断然トップ。彼の演奏が終わって45分ほどたった今でも、興奮さめやらず、頭のなかで演奏を反芻し続けている状態です。Deljavanは、前回2009年のコンクールにも参加したイタリアのピアニスト。前回も私は彼の演奏は素晴らしいと思い、とくに室内楽がよくて、彼は本選まで残ると思っていたのですが、準本選どまりでした。で、彼の演奏をまた聴くのを楽しみにしてはいたのですが、今日のコンサートはそんな期待を大きく大きく上回る、鳥肌がたち本当にワクワクする演奏でした。演目は、バッハのパルティータ第5番とショパンのエチュード作品25全曲。バッハには、「芸術というものはこういうものだ」というこだわりが感じられ、「ずーっとこの人の演奏を聴いていたい」という気持ちにさせられましたが、なんといってもすごかったのがショパンのエチュード。第1番からして、「これがエチュードか」と思うような物語性がある。そして2番、3番と続くに、ああ、この人は各曲のなかでも、そして12曲全体を通しても、自分の物語を語っているんだ、と感じさせるのです。これがエチュードであるなんてことはまるで頭からなくなり、とにかく彼の世界に引き込まれる。ポリーニの演奏を彷彿とさせながら、ときに一般的な演奏とはずいぶんと変わった解釈を加え、アルトの声部を強く出したり和声を強調したりするのですが、奇をてらっているといった感じはまったくなく、すべてが有機的に物語を構成している。聴いていて、心から感動と興奮をおぼえる演奏で、今日最初のコンサートから12時間近くがたっているにもかかわらず、この人の演奏を聴いていられるならあと1時間でも2時間でも喜んでここに座っていたい、という気持ちになりました。彼の解釈や演奏はかなり個性的なので、こういうコンクールで1位になるタイプのものではないかもしれませんが、彼が準本選そして本選に行かなかったら、私は今後クライバーン・コンクールをボイコットするぞ、というような演奏でした。とにかく、コンクールの結果がどうであれ、彼はいい芸術家として生きていくはずだし、彼の演奏を聴くためなら私は今後もお金を払って遠いところまで出かけて行くぞ、と思いました。今日の彼の演奏を聴いただけでも、今回コンクールを観に来た甲斐があったと思わせてくれる素晴らしい演奏でした。ぜひぜひ見てみてください。

そして今日の演奏のなかでとてもよかったもうひとりが、阪田知樹くん。「くん」づけするのも失礼でしょうが、なにしろ彼は19歳で今回の参加者のなかで最年少。私は彼が秋に浜松のコンクールに出場したときの演奏を聴いていないのですが、そのときの演奏を聴いたある人物に言わせると、クライバーン・コンクール出場が決まったのはすばらしいけれど、入賞が期待できるほどの成熟さはまだないと思う、ということだったので、正直なところそれほど期待していなかったのですが、今日の演奏は、思わず「おお〜!」と声が出そうなよいものでした。いい意味で若さがある。前回のコンクールのときに、ハオチェン・チャンの演奏について、ある審査員が、「19歳の彼が、35歳や60歳の芸術家になったつもりの演奏をしているのではなく、自分自身の音楽を誠実に演奏しているところにこそ、彼の音楽家としての真摯で成熟した姿勢が表れている」と言っていましたが、今日の阪田くんの演奏にも私は同じことを感じました。まっすぐで、真摯で、そして、こわいものを知らない。ベートーベンの音色も、リストのダイナミックな技巧も素晴らしかったし、なにしろ最後のスクリアビンのソナタ第5番の彩りの豊かさがよかった。昨日と合わせても、彼は私のなかでトップ3入りです。予選の2回目のコンサートでは、私が最近勉強しているアルベニスの曲が演奏されるらしいので、今から楽しみです。

その他には、イタリア勢のもうひとりのAlessandro Tavernaも、個性と正統性がいい具合に合わさったとてもいい演奏でした。また、各地のコンクールで入賞して注目を浴びている20歳(顔は12歳くらいに見える)のロシアのピアニスト、Nikolay Khozyainovの演奏。彼のハイドンは、「ハイドンが自分の曲を思う通りに弾いたらこういう演奏になるんだろう」と思うような絶妙な演奏で、何千人もの聴衆が集まる大きなホールであるにもかかわらず、自分ひとりのためだけに語りかけてくれているような親密さがあり、思わずため息が出ました。が、コンサート後半は、ちょっと疲れが出たような、いまひとつ切れとパワーが欠けた印象。そのほか、ロシアそしてウクライナのピアニストたちの演奏があり、それぞれとくに非のつけどころはなかったけれど、とりわけ感動を覚えたかというと、私はそれほどでもなし、という感じでした。

明日もまたまる一日予選なので、そろそろ寝ますが、昨日は頭のなかに音がいっぱいでなかなか眠りにつけなかったので、最後にDeljavanを聴いてしまった今日は、ますます眠れないかもしれません。。。

2013年5月24日金曜日

クライバーン・コンクール予選第1日目

いよいよ第14回クライバーン・コンクール本番が始まりました。予選のまる一週間は、朝11時から夜の10時過ぎまで、1日9人のリサイタルがあります。集中力を保って聴くのも大変だし、昼食・夕食の時間が1時間半ほどしかないので、近くのお店に入ってもそうゆっくりしていられず、忙しいことこの上なし。これでは、誰かにインタビューしたいと思っても、実際の演奏を生で聴こうと思ったらこちらの時間がない。まあ、クライバーン・コンクールについてもう一冊本を書くことがあるとは思えないので、ともかくは、演奏自体を体験することを最優先しようと決め込みました。

前回と同じく、今回の私の席は最前列から4列めのど真ん中、ピアノの側面からまっすぐのあたりで、残念ながら演奏者の手はほとんど見えない位置。ネットで注意して見ると、客席にカメラが向いたときにときどき私の姿が見られます。前回隣の席でずっと一緒だったジェリーについては拙著で書きましたが、今回も彼とはあいだにひとつ席を置いたところに座っています。他にも、クライバーン・コンクール名物の、いつもアロハシャツを着ている大きなサンタクロースのようなRon DeFordさんも、同じ列にいますし、4年前から顔を覚えている人たちや、アマチュア・コンクールの参加者も何人も会場にいます。これはまさに、ひいきのスポーツチームを応援に試合があるたびにやって来ては顔を合わせる人たちのコミュニティのよう。


さて、抽選で最後に名前を呼ばれたが故に演奏順が初日の最初になってしまったのがClaire Huangci。技巧だけでなくきわめて高い芸術的成熟度が要求されるベートーベンのソナタ第28番から始めるという、勇気あるプログラミングでした。とてもきちんとしたいい演奏でしたが、どうも、音の鳴りがいまいちな印象。これは、演奏順が最初ということが大きいのではないかと思いました。こうした大きな舞台で聴衆を前にした生演奏というのは、まさに生もの。演奏者の本来の腕前は、ホールの空気や、聴衆の集中度などに呼応して、膨らんだり縮んだりもするし、楽器そのものも、その空間でしばらく演奏されているうちにだんだんと響きがよくなってくるものです。だからこそ、演奏者の緊張は別にしても、やはりコンクールで最初に演奏するというのはとても難しいものだと思います。実際、今日一日の演奏は、もちろんそれぞれの演奏のよしあしはいろいろでしたが、「鳴り」という意味では日がたつにつれて大きくなっていったように感じました。

今日はなぜかイタリア勢の演奏が多く、今回参加している6人のイタリア人のうち4人が今日演奏しましたが、彼らの演奏はアメリカやアジア出身のピアニストたちとはなにかひと味違います。いわゆる正統的な解釈とはちょっと違うこともよくあるけれど、ひとりひとりがこだわりのある独特の音楽性を持っているのです。独特すぎてコンクールのような舞台には向かないと思われる解釈もあるけれど、聴いていて退屈はしない。といったわけで、とくに今日演奏した4人のイタリア人のうち、Beatrice RanaLuca BurattoGiuseppe Grecoの3人は今日全体のトップに入ると思いました。

そしてまた「うわ!」という演奏だったのが、ジュリアード在籍中のSteven Lin。オーディションを聴きに行ったジェリー氏が、「演奏順が最後の最後だったけど、疲れてきている聴衆全員が目を一気にさまして終わるなり総立ちの拍手になるようなすごい演奏だった」とメールで報告してきていたのですが、たしかに今日の演奏もすごかった。バッハでもメンデルスゾーンでも、音の構築や層の重なりがとてもはっきりしているし、最後に弾いたVineの現代曲は、決して耳に馴染みやすい曲ではないにもかかわらず、彼の演奏だととてもわかりやすい。2009年のハオチェンや、ヨルム・ソン、そしてディー・ウーの演奏に感じた、一種のスター性を感じる演奏でした。そして、演奏にはもちろん無関係だけれども、言わずにはいられないくらい、彼は容姿がキュート。嵐のメンバーか韓流ドラマのスターかと思うような顔をしているし、お辞儀をするときの様子なんかはとにかく「キュート」というより形容のしようがない。私の周りに座っていた女性たちなみんな口々に「キュート」の単語を口にしていました。

他の人たちの演奏も、これといって非があるようなものはひとつもなく、どれもたいへん高レベルなものでしたが、ここまでみんなが高レベルだと、私のようにそれほど高度な音楽的知識をもっているわけではない聴き手にとっては、誰が上手いとか上手くないとかいうよりも、単純に「心を動かされる演奏か」「この人の演奏をもっと聴いてみたいと思うか」を基準に判断するしかありません。しかし、予選の前半だけでもまだあとまる2日半もあります。明日も頑張って聴かねば!

ちなみに、コンクールのチケットすべてとその他のアメニティをまとめて購入する定期会員がワインなど飲みながら休憩時間を過ごせるラウンジが、ホールの道向かいに設置されているのですが、そこで今日見つけたのが、クライバーンのロゴの入ったM&Mチョコ。なんだか妙に感心してしまったので、写真を載せておきます。


2013年5月23日木曜日

第14回ヴァン・クライバーン国際ピアノ・コンクール開幕

辻井伸行さんが優勝して日本で大旋風を巻き起こしてからまる4年、第14回ヴァン・クライバーン国際ピアノ・コンクールが、テキサス州フォート・ワースでふたたび幕を開けました。昨夜22日がオープニング・ディナーおよび予選の演奏順を決める抽選会でした。

『ヴァンクライバーン 国際ピアノコンクール』でも書いたように、このイベントは、男性はタキシード、女性はイブニング・ドレス着用と指定されているフォーマルなガラ・ディナー。私が2009年に初めて行ったときには、わざわざそのためにドレスを買わなければいけない状態でしたが、今回は持ち前のドレスに、前日に慌てて買った靴。また、前回はひとりで出かけた上に、まだ誰も知っている人がいなかったので心細かったけれども、今回は同伴者もいるし、この4年間で不思議にもフォート・ワース地域そしてクライバーン関係者にたくさん知り合いができたので、心に余裕をもって登場しました。それでも、その場に行ってみると、やはりこのイベントの豪華さには圧倒されます。全部で600人ほどの参加者がいたかと思いますが、その人たちみなが盛装してワインを手に、フォート・ワース・シンフォニーのメンバーが優雅に室内楽を演奏しているのがまったく聴こえないくらいの賑わいのなか歓談している様子を見るだけで、私がコンクール出場者だったら逃げ出したくなるだろうなあと思うようなゴージャスな雰囲気。




前回のコンクール以来、クライバーン財団長も理事長もかわり、ヴァン・クライバーン氏本人も亡くなりで、変化の多かったこのコンクールですが、少なくともこのパーティの空気は、そうした変化をとくに感じさせないものでした。ディナーに着席すると、現財団理事長のCarla Thompsonがクライバーン氏追悼の挨拶をし、クライバーン氏本人そしてコンクールの歴史を追うスライドショーが流れました。そして、辻井伸行さんが録画された映像で、会場にかけつけたハオチェン・チャン(彼とはカクテルの時間にも少しおしゃべりをしましたが、少し前にハワイで会ったときよりもさらに大人の風格でした)が舞台上で、出場者たちに向けたスピーチをしました。ハオチェンのスピーチは、「このコンクールは、メディアや聴衆から絶え間ない注目を浴びるなか、大きな舞台で次々と演奏をしなければいけない、とてもプレッシャーの大きなコンクールで、出場者にはとても負担が大きいものです。でも、そうしたプレッシャーのなかで、さまざまな要素を除外して、自分の演奏だけに自分のすべてを集中させ、音楽と向き合う、という訓練の場としては、これほど格好の場はありません。そうした機会を得られたということは、演奏家にとってとても幸いなことです。この機会を存分に活かして自分の音楽を演奏してください」という主旨のもの。さすが。

さて、このイベントの主な目的のひとつは、予選の演奏順を決める抽選。これはディナーの最後に行われます。前回は、出演者ひとりひとりが、演奏順の番号が書かれた紙を大きなボウルのなかから一枚取り出す、という方法でしたが、今回は、ハオチェンがボウルのなかから出演者の名前が書かれた紙を一枚ずつ取り出し、最初に選ばれた人から、自分の演奏日時を選べる、という方法でした。今回は予選がなんと2段階で行われ、つまり出演者は全員予選段階で2回のソロ・リサイタルをすることになっています。一週間のあいだに、まったく違う演目のリサイタルを2回しなければいけないので、体力・精神力の調整のためにも、演奏順を選ぶにはかなり神経質になるだろうと思います。2日目、3日目からどんどんと埋まっていき、呼ばれるのが30人の最後になったClaire Huangciはやはり初日の最初の演奏、という結果になりました。結果はともかく、自分がいつ演奏するのかがわからない状態よりは、決まっていたほうが精神的にいいでしょうから、ディナーの後ホスト・ファミリーの家に帰った出演者は、それぞれの思いを抱えながら準備に向かっていることでしょう。この抽選で決まった予選の演奏順は、こちらで見られます。


リチャード・ロジンスキ氏の後継者として、クライバーン財団長を務めているのが、モントリオール出身のジャック・マルキー(Jacques Marquis)氏。ピアノ演奏の学位と、ピアノおよびオーケストラの両方の運営にかかわり、ビジネス経営やファンドレイジングの経験も豊かな、このポジションにはぴったりの人物です。私の同伴者の昔からの友達でもあるので、私も以前に一緒に食事をしたことがありますが、若い(といっても、年齢は私の数年上)エネルギーと人なつっこさ、モントリオールの人らしい国際的な感性を兼ね備えた人物です。また、財団のスタッフも、4年前とはずいぶんと顔ぶれが変わってはいるものの、相変わらず有能でてきぱきと仕事をする女性たちばかりで、4年前に私がリサーチをしていたときや、2年前にアマチュア・コンクールに出たときに会っただけの人も、ちゃんと私のことを覚えていてくれて、おおいに感心。

ディナーのあと、ホテルのバーで、友達数人そしてコンクール関係者と飲みながらさらにおしゃべりをしたのですが、そのときに、マルキー氏に聞いたところによると、今回は審査のしかたを変更したそうです。前回までは、審査員は各演奏を相対評価で得点をつける方法だったのが、今回は、予選・準本選では、それぞれの演奏について、「この出演者の演奏をもっと聴きたいかどうか」をイエスまたはノーで答えるだけ。予選でイエスの数がもっとも多い12人が準本選へ、そのなかからさらにイエスの数がもっとも多い6人が本選に進出します。そして、本選では、それぞれの審査員が、6人のうちで1位にもっともふさわしい出演者の名前を書き、13人の審査員の7人以上から名前を挙げられた人は自動的に1位となり、もしも誰も7人の審査員から名前が挙げられなかった場合は、上位2人のあいだで審査員が再投票する、という方法をとるそうです。審査員にとって、前の方法とこの方法のどちらがやりやすいのかは私にはわかりませんが、予選が2段階で行われるとなると、30人の演奏x2回をすべて総合して相対評価するのは至難の業だと思われるので、少なくとも予選から準本選にしぼるには、新方式が向いているような気はします。

それにしても、2009年のときも、予選で30人のリサイタルを聴くのは、興味深いながらも非常にスタミナを要するものだったのが、それがさらに2倍となると、明日からこちらもさらに気合いを入れてのぞまなければいけません。前回と同様、演奏はすべてウェブキャストされますので、ぜひごらんください。コンクール期間中、演奏についての感想に加えて、私が見聞きするいろいろな話題をこちらで逐次ご報告いたします。

2013年5月21日火曜日

"Midlife C...oncert" および ジョンソン大統領図書館での一週間

またしても大変ご無沙汰いたしました。4月末から5月あたまにかけて、16人の学生の卒論をゴールまで導き、大学院生の各種試験を行い、ピアノリサイタルをし、そしてここ半年ほど自分がリードしてきた仕事にかんする非常に大きなニュースを受け取り(これについては、正式な手続きが済んでから内容を公表いたします)、大興奮のなか、卒業式で教え子たちの晴れの姿を見届け、その日の夜の飛行機でテキサスに出発するという、嵐のような数週間でした。ピアノリサイタルは、間もなく自分が45歳になるので、今回は"Midlife C...oncert"と題して、それぞれの作曲家が45歳のときに作曲または出版された曲ばかりを集めたプログラムにしてみました。演目は以下のとおりです。

バッハ パルティータ第6番
ブラームス 作品76 第7番&第8番
ブラームス ヴァイオリン・ソナタ第1番 作品78 第1楽章
ショスタコヴィッチ プレリュードとフーガ 第15番
アルベニス 『イベリア』第2巻より 「トリアナ」


こうして集めてみると、45歳のときにはみんなやたらと難しい曲を書いていたものだなあと実感します(笑)が、自分と同じ年齢のときに(とはいっても、18世紀や19世紀の45歳と、現代の45歳では意味合いが違いますが、それはまあおいといて)これらの巨匠たちがどんなことを考えていたのかを探るのは、なかなか興味深いプロセスでした。ヴァイオリン・ソナタを共演してくれたのは、なんとハワイ・シンフォニー(以前このブログでも書いたとおり、前称ホノルル・シンフォニーが倒産後、ハワイ・シンフォニーの名で再生したものの、今シーズンは再び休眠状態)のコンサートマスターであるIgnace Jang。こんな立派な音楽家に演奏を頼めるほどの腕前ではまるでないのですが、45歳(まであとわずか残っていますが)という年齢のよいところは、自分がなにかをしたいと思ったら、恥もためらいもなく(いや、一応少しはためらったのですが)とにかく頼んでみる、という図太さができること。Musicians from a Different Shoreにも登場する彼は以前からの友達で、私の過去のリサイタルにも、ピアニストの奥さんと一緒に律儀に足を運んでくれるので、試しに頼んでみたところ、すんなりと快諾してくれました。2回しかリハーサルをする時間がなかったのですが、本番はけっこう上手くいって、ふだんソロしか弾くことのない私は、これほど高度な音楽性を備えた演奏家と一緒に音楽を作ることの、身体的・情感的な快感を10分間ほど味わって、しごく幸せな気持ちになりました。今回のリサイタルには、いろいろな分野の友達がたくさん来てくれたほか、私の大学院生が何人も聴衆にまざっていました。私は、ピアニストを含めプロの音楽家の友達がたくさんいるので、彼らの前で演奏するのは本当に緊張するのですが、それとはまた別の意味で、学生の前で自分をさらけ出して演奏するのは緊張するもので、舞台に上がって彼らの姿をみた瞬間、「しまった、学生は招待しなければよかった」という思いが頭をよぎったのも事実(笑)。でも、終わった後、学生のみんなは、音楽もとてもよかったし、ふだんとは違う私を見れてとてもよかった(うーむ、どういう意味だろう?:))と言ってくれたので、素直にそれを受け入れることにします。

学期末のいろいろな片付けをする間もないまま、テキサスのオースティンに飛び、先週一週間は、ジョンソン大統領図書館に缶詰になって史料集めをしていました。大統領図書館というのは、それぞれのアメリカ大統領にかんするあらゆる公文書や書簡・音源・画像・映像などを保管・公開している史料館で、アメリカ国立公文書記録管理局(National Archives and Records Administration)が運営しています。私は大統領図書館でリサーチをするのは今回が初めてだったのですが、まずは図書館自体の物理的な規模そして史料の莫大さに圧倒され、そして司書さんたちの専門性に舌を巻き、情報がまだデジタル化されない時代に収集・分類された史料の整理のされかたの綿密さに目が点になりと、驚くことばかり。しかし、滞在予定は一週間のみだったので、驚いているヒマもなく、片っ端から自分の関心に引っかかりそうな史料の箱を取り寄せて、朝から晩までフォルダーに入ったものに目を通すばかり。私が大学院生だった頃とくらべると、リサーチという作業は信じられないくらい便利になったもので、以前は目の前にある史料はいったいなんなのかを見極め、高いお金を払ってコピーをする(お金がかかる)か、それとも手書きまたはパソコンで内容を写す(時間がかかる)か、といった選択をいちいち迫られていたのが、今は、とにかく片っ端からiPadでデジタル写真に撮り、後からじっくり読んで整理すればよい。デジカメを持ってきていない人には、図書館が高性能のデジカメを貸してくれて、撮った写真をCDにまとめてくれさえもする。そんなわけで、最初の2日間は見境なく写真を撮りまくった結果、900枚もの写真がiPadにたまってしまい、いくらなんでもこれでは、後から目を通すのも整理するのも無理そうだ、というわけで、残りの3日間は、写真を撮るに値するものとそうでないものを分別するのにもう少し時間をかけるようにしました。結果、5日間で撮った写真は全部で1800枚ほど。これらの史料をいったいどうするのかは、後から考えることにいたします(笑)。

今回のリサーチの目的は、ジョンソン政権期の文化政策、とくにジョンソン大統領在任中に成立したNational Endowment for the Artsや、ジョンソン政権が終わってから開館したものの、その成立への道筋にはジョンソン大統領が決定的な役割を果たしたJohn F. Kennedy Center for the Performing Artsにかんする史料を集めることだったのですが、この一週間で見つけたなかで一番ワクワクする史料は、National Endowment for the ArtsともKennedy Centerとも直接は関係のないものでした。アーカイブ調査というのは概してそういうもので、探していたものはとんと見つからないけれども、思いがけないところに面白い発見があって思考が意外な局面に広がり、プロジェクトそのものが当初の計画とはまったく違った方向に向かうようになったりするものです。新しい研究のため、一次史料にどっぷり浸かる、という作業をしばらくしていなかったので、そのフラストレーションも興奮も、久しぶりに体験しました。こうしたリサーチは、独特の気力と体力を要するもので、私には、いっときに一週間が限度だと実感しました。

今回見つかったなかで私にとって一番面白かった史料をひとつだけご紹介します。1965年6月14日に、ホワイトハウスでWhite House Festival of the Artsというイベントが開催されました。アメリカの現代芸術文化の祭典として、音楽・映画・演劇・ダンス・絵画・写真・彫刻・文学など、あらゆる芸術分野のリーダーたちをホワイトハウスに招待して、彼らの作品を披露すると同時に、文化人と政治家たちの交流をはかる、という主旨で、このような文化芸術イベントをホワイトハウスが主催したのは史上初のことでした。いろいろな意味で画期的だったこのイベントの企画・運営にかかわる史料が山ほど出てきました。もともとこのイベントで作品を朗読するよう招待されていた詩人のロバート・ロウエルが、ジョンソン政権のベトナム戦争政策に抗議するため参加を拒否した、ということは以前に読んで知っていたのですが、彼がホワイトハウスに送った電報や、彼に賛同して同じくイベントに出席を拒否したさまざまな文化人たちの電報が出てきたときには、思わず「おお〜!」と声が出ました。さらに、ピアニストのルドルフ・ゼルキンがこのイベントで演奏を依頼されていたのですが、彼はちょうどそのとき日本を演奏旅行中。ライシャワー駐日大使を通じて電報を受け取ったゼルキンは、日本での最後の予定を変更してぜひホワイトハウスへの招待を受けたいが、どんな演目を何分間くらい演奏すればよいのか連絡してほしい、とこれまたライシャワー氏を通じて打診。このイベントは、現代アメリカの芸術を讃えるのが主旨なので、存命中のアメリカ人作曲家の作品を十数分演奏してほしい、との返事を受け取ると、残念ながら現在自分のレパートリーには現代アメリカ作品は入っておらず、本番までのわずか数日間で演奏を準備することはできない、ベートーベンやブラームスのソナタなら演奏できるが、現代アメリカ作品の演奏が目的なら、別のピアニストがいくらでもいるはず、と招待を辞退して、15年間まったく休暇をとっていなかった彼は予定通り日本からの帰途ハワイでバケーションに出かけた、ということがわかる一連の電報。他の人にはまったく面白くないかもしれませんが、私にはよだれが出るほど面白く、これが見つかっただけでも一週間缶詰になった甲斐がありました。



図書館を訪れる人は前もって自分の研究トピックと図書館訪問予定をスタッフに知らせ、その分野を専門とする司書がリサーチの手助けをしてくれるのですが、初めて行った日には、専門の司書が一対一で30分以上にもわたるオリエンテーションをしてくれるというご丁寧さ。そして、この図書館の閲覧室は、いっときにせいぜい15人ほどが入れるスペース。ここでリサーチをしている人のほとんどは、世界各地から短期間ここを訪れて集中的に史料集めをしている人たちなので、そこにいるあいだは朝から晩まで(といっても開館9時から閉館5時までですが)ずっと同じ部屋のなかにいることになる。閲覧室では静かにしていなければいけないので、おしゃべりをしたりということはほとんどないものの、同じ空間で大きな意味で共通のトピックにかんする史料を調べまくっている人たちのあいだには、不思議な一体感が生まれる。ちなみに、私の滞在の2日めから5日めには、ジョンソン大統領についての非常に緻密でかつダイナミックな伝記を何冊も書いてピュリツアー賞も受賞している著名な作家、Robert Caro氏が来ていました。ジョンソン大統領図書館に行ったら、Robert Caroがいたりするのかなあ、などと思っていたら、本当にいたのでビックリ。ジョンソン大統領の研究を生涯の使命としているような人なので、その彼がジョンソン大統領図書館にいたってもちろんなんの不思議もないのですが、彼と同じ空間で自分がリサーチをしているということに、感慨を抱きました。

さて、オースティンでの一週間を終えた私は、そこから車で3時間ほどのフォート・ワースに再び来ています。今週金曜日からは、またヴァン・クライバーン国際ピアノ・コンクールが開催されるので、その見学です。クライバーン氏本人亡き後、そしてクライバーン財団のスタッフの顔ぶれが大きく変わってからのコンクールがどのように展開されるのか、いろいろと注目されるところです。明日の夜は、予選の出場順を決める抽選が行われる、ガラ・オープニング・ディナー。拙著でも書いたように、このディナーはblack tie、つまり男性はタキシード、女性はイヴニング・ドレス着用のフォーマルにしてゴージャスなイベントです。私は、さすがに4年前と同じ姿で行くのも哀しいので(でもこのコンクール見学には何枚もドレスが必要なので、一応それも持ってきました)、2年前にアマチュア・コンクールに出場したときに着たドレスを持ってきてみました。叔母にいただいた絞りの着物をドレスにしたもので、シンプルではあるけれど、こうした場では喜ばれるのではと期待。一緒に出かける相棒は、レンタルしたタキシードを先ほど受け取ってきたところです。コンクールの模様、また逐次ここでご報告いたします。