またしても大変ご無沙汰いたしました。4月末から5月あたまにかけて、16人の学生の卒論をゴールまで導き、大学院生の各種試験を行い、ピアノリサイタルをし、そしてここ半年ほど自分がリードしてきた仕事にかんする非常に大きなニュースを受け取り(これについては、正式な手続きが済んでから内容を公表いたします)、大興奮のなか、卒業式で教え子たちの晴れの姿を見届け、その日の夜の飛行機でテキサスに出発するという、嵐のような数週間でした。ピアノリサイタルは、間もなく自分が45歳になるので、今回は"Midlife C...oncert"と題して、それぞれの作曲家が45歳のときに作曲または出版された曲ばかりを集めたプログラムにしてみました。演目は以下のとおりです。
バッハ パルティータ第6番
ブラームス 作品76 第7番&第8番
ブラームス ヴァイオリン・ソナタ第1番 作品78 第1楽章
ショスタコヴィッチ プレリュードとフーガ 第15番
アルベニス 『イベリア』第2巻より 「トリアナ」
こうして集めてみると、45歳のときにはみんなやたらと難しい曲を書いていたものだなあと実感します(笑)が、自分と同じ年齢のときに(とはいっても、18世紀や19世紀の45歳と、現代の45歳では意味合いが違いますが、それはまあおいといて)これらの巨匠たちがどんなことを考えていたのかを探るのは、なかなか興味深いプロセスでした。ヴァイオリン・ソナタを共演してくれたのは、なんとハワイ・シンフォニー(以前このブログでも書いたとおり、前称ホノルル・シンフォニーが倒産後、ハワイ・シンフォニーの名で再生したものの、今シーズンは再び休眠状態)のコンサートマスターであるIgnace Jang。こんな立派な音楽家に演奏を頼めるほどの腕前ではまるでないのですが、45歳(まであとわずか残っていますが)という年齢のよいところは、自分がなにかをしたいと思ったら、恥もためらいもなく(いや、一応少しはためらったのですが)とにかく頼んでみる、という図太さができること。Musicians from a Different Shoreにも登場する彼は以前からの友達で、私の過去のリサイタルにも、ピアニストの奥さんと一緒に律儀に足を運んでくれるので、試しに頼んでみたところ、すんなりと快諾してくれました。2回しかリハーサルをする時間がなかったのですが、本番はけっこう上手くいって、ふだんソロしか弾くことのない私は、これほど高度な音楽性を備えた演奏家と一緒に音楽を作ることの、身体的・情感的な快感を10分間ほど味わって、しごく幸せな気持ちになりました。今回のリサイタルには、いろいろな分野の友達がたくさん来てくれたほか、私の大学院生が何人も聴衆にまざっていました。私は、ピアニストを含めプロの音楽家の友達がたくさんいるので、彼らの前で演奏するのは本当に緊張するのですが、それとはまた別の意味で、学生の前で自分をさらけ出して演奏するのは緊張するもので、舞台に上がって彼らの姿をみた瞬間、「しまった、学生は招待しなければよかった」という思いが頭をよぎったのも事実(笑)。でも、終わった後、学生のみんなは、音楽もとてもよかったし、ふだんとは違う私を見れてとてもよかった(うーむ、どういう意味だろう?:))と言ってくれたので、素直にそれを受け入れることにします。
学期末のいろいろな片付けをする間もないまま、テキサスのオースティンに飛び、先週一週間は、ジョンソン大統領図書館に缶詰になって史料集めをしていました。大統領図書館というのは、それぞれのアメリカ大統領にかんするあらゆる公文書や書簡・音源・画像・映像などを保管・公開している史料館で、アメリカ国立公文書記録管理局(National Archives and Records Administration)が運営しています。私は大統領図書館でリサーチをするのは今回が初めてだったのですが、まずは図書館自体の物理的な規模そして史料の莫大さに圧倒され、そして司書さんたちの専門性に舌を巻き、情報がまだデジタル化されない時代に収集・分類された史料の整理のされかたの綿密さに目が点になりと、驚くことばかり。しかし、滞在予定は一週間のみだったので、驚いているヒマもなく、片っ端から自分の関心に引っかかりそうな史料の箱を取り寄せて、朝から晩までフォルダーに入ったものに目を通すばかり。私が大学院生だった頃とくらべると、リサーチという作業は信じられないくらい便利になったもので、以前は目の前にある史料はいったいなんなのかを見極め、高いお金を払ってコピーをする(お金がかかる)か、それとも手書きまたはパソコンで内容を写す(時間がかかる)か、といった選択をいちいち迫られていたのが、今は、とにかく片っ端からiPadでデジタル写真に撮り、後からじっくり読んで整理すればよい。デジカメを持ってきていない人には、図書館が高性能のデジカメを貸してくれて、撮った写真をCDにまとめてくれさえもする。そんなわけで、最初の2日間は見境なく写真を撮りまくった結果、900枚もの写真がiPadにたまってしまい、いくらなんでもこれでは、後から目を通すのも整理するのも無理そうだ、というわけで、残りの3日間は、写真を撮るに値するものとそうでないものを分別するのにもう少し時間をかけるようにしました。結果、5日間で撮った写真は全部で1800枚ほど。これらの史料をいったいどうするのかは、後から考えることにいたします(笑)。
今回のリサーチの目的は、ジョンソン政権期の文化政策、とくにジョンソン大統領在任中に成立したNational Endowment for the Artsや、ジョンソン政権が終わってから開館したものの、その成立への道筋にはジョンソン大統領が決定的な役割を果たしたJohn F. Kennedy Center for the Performing Artsにかんする史料を集めることだったのですが、この一週間で見つけたなかで一番ワクワクする史料は、National Endowment for the ArtsともKennedy Centerとも直接は関係のないものでした。アーカイブ調査というのは概してそういうもので、探していたものはとんと見つからないけれども、思いがけないところに面白い発見があって思考が意外な局面に広がり、プロジェクトそのものが当初の計画とはまったく違った方向に向かうようになったりするものです。新しい研究のため、一次史料にどっぷり浸かる、という作業をしばらくしていなかったので、そのフラストレーションも興奮も、久しぶりに体験しました。こうしたリサーチは、独特の気力と体力を要するもので、私には、いっときに一週間が限度だと実感しました。
今回見つかったなかで私にとって一番面白かった史料をひとつだけご紹介します。1965年6月14日に、ホワイトハウスでWhite House Festival of the Artsというイベントが開催されました。アメリカの現代芸術文化の祭典として、音楽・映画・演劇・ダンス・絵画・写真・彫刻・文学など、あらゆる芸術分野のリーダーたちをホワイトハウスに招待して、彼らの作品を披露すると同時に、文化人と政治家たちの交流をはかる、という主旨で、このような文化芸術イベントをホワイトハウスが主催したのは史上初のことでした。いろいろな意味で画期的だったこのイベントの企画・運営にかかわる史料が山ほど出てきました。もともとこのイベントで作品を朗読するよう招待されていた詩人のロバート・ロウエルが、ジョンソン政権のベトナム戦争政策に抗議するため参加を拒否した、ということは以前に読んで知っていたのですが、彼がホワイトハウスに送った電報や、彼に賛同して同じくイベントに出席を拒否したさまざまな文化人たちの電報が出てきたときには、思わず「おお〜!」と声が出ました。さらに、ピアニストのルドルフ・ゼルキンがこのイベントで演奏を依頼されていたのですが、彼はちょうどそのとき日本を演奏旅行中。ライシャワー駐日大使を通じて電報を受け取ったゼルキンは、日本での最後の予定を変更してぜひホワイトハウスへの招待を受けたいが、どんな演目を何分間くらい演奏すればよいのか連絡してほしい、とこれまたライシャワー氏を通じて打診。このイベントは、現代アメリカの芸術を讃えるのが主旨なので、存命中のアメリカ人作曲家の作品を十数分演奏してほしい、との返事を受け取ると、残念ながら現在自分のレパートリーには現代アメリカ作品は入っておらず、本番までのわずか数日間で演奏を準備することはできない、ベートーベンやブラームスのソナタなら演奏できるが、現代アメリカ作品の演奏が目的なら、別のピアニストがいくらでもいるはず、と招待を辞退して、15年間まったく休暇をとっていなかった彼は予定通り日本からの帰途ハワイでバケーションに出かけた、ということがわかる一連の電報。他の人にはまったく面白くないかもしれませんが、私にはよだれが出るほど面白く、これが見つかっただけでも一週間缶詰になった甲斐がありました。
図書館を訪れる人は前もって自分の研究トピックと図書館訪問予定をスタッフに知らせ、その分野を専門とする司書がリサーチの手助けをしてくれるのですが、初めて行った日には、専門の司書が一対一で30分以上にもわたるオリエンテーションをしてくれるというご丁寧さ。そして、この図書館の閲覧室は、いっときにせいぜい15人ほどが入れるスペース。ここでリサーチをしている人のほとんどは、世界各地から短期間ここを訪れて集中的に史料集めをしている人たちなので、そこにいるあいだは朝から晩まで(といっても開館9時から閉館5時までですが)ずっと同じ部屋のなかにいることになる。閲覧室では静かにしていなければいけないので、おしゃべりをしたりということはほとんどないものの、同じ空間で大きな意味で共通のトピックにかんする史料を調べまくっている人たちのあいだには、不思議な一体感が生まれる。ちなみに、私の滞在の2日めから5日めには、ジョンソン大統領についての非常に緻密でかつダイナミックな伝記を何冊も書いてピュリツアー賞も受賞している著名な作家、Robert Caro氏が来ていました。ジョンソン大統領図書館に行ったら、Robert Caroがいたりするのかなあ、などと思っていたら、本当にいたのでビックリ。ジョンソン大統領の研究を生涯の使命としているような人なので、その彼がジョンソン大統領図書館にいたってもちろんなんの不思議もないのですが、彼と同じ空間で自分がリサーチをしているということに、感慨を抱きました。
さて、オースティンでの一週間を終えた私は、そこから車で3時間ほどのフォート・ワースに再び来ています。今週金曜日からは、またヴァン・クライバーン国際ピアノ・コンクールが開催されるので、その見学です。クライバーン氏本人亡き後、そしてクライバーン財団のスタッフの顔ぶれが大きく変わってからのコンクールがどのように展開されるのか、いろいろと注目されるところです。明日の夜は、予選の出場順を決める抽選が行われる、ガラ・オープニング・ディナー。拙著でも書いたように、このディナーはblack tie、つまり男性はタキシード、女性はイヴニング・ドレス着用のフォーマルにしてゴージャスなイベントです。私は、さすがに4年前と同じ姿で行くのも哀しいので(でもこのコンクール見学には何枚もドレスが必要なので、一応それも持ってきました)、2年前にアマチュア・コンクールに出場したときに着たドレスを持ってきてみました。叔母にいただいた絞りの着物をドレスにしたもので、シンプルではあるけれど、こうした場では喜ばれるのではと期待。一緒に出かける相棒は、レンタルしたタキシードを先ほど受け取ってきたところです。コンクールの模様、また逐次ここでご報告いたします。