2009年2月25日水曜日

ハワイ州シヴィル・ユニオン法案をめぐる議論

昨日のオバマ大統領の議会演説や、ルイジアナ州知事による共和党の返答演説など、書きたいことはたくさんあるのですが、それについては日本でも報道があるでしょうから、それよりハワイで今たいへんな騒ぎになっているトピックについて書きます。

しばらく前に映画『ミルク』にも登場するクリーヴ・ジョーンズ氏について投稿したときに、今期のハワイ州議会でシヴィル・ユニオンを設定する立法が提出される、ということを書きましたが、HB444 HD1というこの法案は今月前半に無事下院を通過し、現在上院で審議中。昨日上院の委員会で公聴会が開かれました。この公聴会に先立って、今週日曜日には州議事堂前で数千人を動員した集会が行われ、この法案に反対する人々の多くが抗議の意を表明しました。事前に陳述書をメールで提出した人は誰でも公聴会で証言できます。(私も、ホノルル・シンフォニーの支援に関する法案について公聴会で証言したことがあります。)公聴会は平日の昼間に行われるので、陳述書を提出した人のほとんどは実際に公聴会で証言することはできないのですが、昨日の公聴会では1400人の人が証言の申し込みをし、朝からぶっつづけで15時間にわたって陳情が続きました。私は昼間は仕事なので朝9時に始まる公聴会には行けないと思っていたのですが、夜家に帰ってテレビをつけてみるとなんとまだやっているのに仰天し、私の友達や知り合いの姿も見えるので、夜中の1時まで4時間ほど公聴会の様子をテレビで見ました。一部がこの新聞記事のサイトからも見れるので、ぜひ見てみてください。

えんえんと続く陳情は、もちろんさまざまな団体の代表や弁護士や学者などによるものもありますが、ほとんどはいわゆる「一般市民」によるものです。人前でスピーチをすることなどまったくない人も多いので、、必ずしも雄弁で理路整然としたものではない陳述も多いのですが、ローカルな政治の文化や社会問題に関する人々の感覚を知るには、こうした公聴会は本当に格好の材料です。ハワイでは労働運動や先住ハワイ人の独立運動などの活発な社会運動の歴史もあるいっぽうで、『ドット・コム・ラヴァーズ』でも書いたハワイの「ローカル文化」においては、表立った議論などを回避する文化もあり、地元の人々が政治議論をかわすといったことは珍しいとも言えます。そうしたなかで、このシヴィル・ユニオンの問題がこれだけの人々を動員し、それぞれの立場の人が熱のこもった陳情をするということは、この問題がコミュニティにとってもつ社会的・文化的意味の大きさを示しています。

シヴィル・ユニオンとは、異性愛者の夫婦と同様の「権利、特典、保護、責任」を同性同士のカップルに適用するというものです。教会や社会一般による認知を伴わない純粋に法的な関係であること、また、シヴィル・ユニオンや同性婚を認めない他州では認知されない、といった点で、「結婚」とは法的にも社会文化的にも位置がかなり違います。もちろん、同性愛者の人々の多くは、社会的認知や宗教的儀式を含む結婚をも求めていますが、一般市民の多くがそれを受け入れられるようになるためにはまた時間が必要だろうという認識から、とりあえずは異性愛者と同じ法的な権利を手に入れることを目指しているわけです。同性愛者同士のパートナーシップが認められていないことにより、同性愛者のカップルは、健康保険の加入、税金、相続などにおいて、夫婦が得られる扱いを受けることができません。同性愛者であるがゆえに、他の国民がもっている権利や特典を得ることができないというのは、公民権法に反する不平等である、というのが、シヴィル・ユニオンをサポートする人たちの基本的な立場です。

公聴会で証言した人々は、中学生から看護婦、教師、弁護士、大学教授までさまざまでしたが、法案に反対する人のほとんどが教会関係の人々であるのが証言からあきらかでした。教会はかなりの組織力をもっているので、多数の人々を動員してこうした場に姿を現すことができます。自分たちの立場を示す赤の洋服を身にまとった人々の数の力は強く、彼らの証言には聖書からの引用や、イエス・キリストや神、道徳、罪、「伝統的な結婚」といった言葉を何度も出てきました。それに対し、法案支持の立場をとる人たちは、これは「結婚」の問題でも、男女の性的役割分担の問題でも、性的行為やライフスタイルの問題でもなく、法的な平等の問題であるということを中心の証言をしていました。最近カム・アウトした高校生から何十年ものあいだパートナーと同居生活を送っている高年者まで、ゲイ・レズビアンの人々も多く証言し、「私たちは特別な恩恵を求めているのではない、他の人がみな持っているのと同じ権利を求めているだけだ」というメッセージを繰り返していました。また、こうした問題は議会で立法されるのではなく、住民投票を通してコミュニティの人々自身の声によって決められるべきだ、という立場(これは法案反対派の人々が使う議論のひとつ)に対しては、「社会的少数派の人々の権利や安全を守るのは、選挙によってえらばれた政治家の仕事であって、一般市民の仕事ではない。1954年に、公立学校における人種隔離をなくすかどうかが一般市民の投票によって決められていたら、どうなっていただろうか。1943年に、アジア人に差別的な移民法を撤回するかどうかが一般市民の投票によって決められていたら、どうなっていただろうか。少数派の基本的な公民権を守ることに関しては、一般市民の投票に頼ることは多数による圧政につながりかねない」という意見を、ハワイ大学ロー・スクールの教授が雄弁に発言していました。

この公聴会があきらかにしたのは、この問題はいわゆる「リベラル」派と教会に属する「保守」派の対立というだけではなく、社会階層そして人種・民族の軸が密接にからんだ対立である、ということです。賛成の証言をした人々のほとんどは白人で、大学教授や弁護士などの専門職につく人や大学生、そしてそのほとんどは自身が同性愛者。反対の証言をした人々の多くは、先住ハワイ人やサモア人、ローカルのアジア人。証言に使われる言葉や論理、話しかたや身のこなしからも、この境界が階層の差異とも結びついていることがあきらかでした。以前の投稿でも書いたカリフォルニア州のProposition 8についても同様のことが言えますが、シヴィル・ユニオンへの支持を広げるには、この運動を、同性愛者という少数派が自分たちの権利を求める運動から、社会におけるすべての人の平等を目指してさまざまな階層や文化的背景の人々が連帯する運動にしていかなければいけないということを、強く認識させられました。特に、異性愛者の人々が法案支持を表明することがいかに重要かということが認識され、今後こうした公聴会などがあれば万難を排してでも参加しなければいけないと思いました。

結局、この公聴会直後の委員会の投票は三対三で、今後この法案が上院の全体審議に進むかはまだ未定です。

1 件のコメント:

Ty さんのコメント...

こんにちは。
2度目の投稿です。

この問題、そしてそれに対する人々の処し方。
とても興味深いものがあります。
人間としての、生きるための、社会に存在するための
当たり前の権利。
その言葉がとても重いです。

アメリカの友人もゲイとしてカミングアウトし、
prop8の反対運動などにも積極的に参加していますが、
その一方で、カミングアウトしていない友人のことをゲイであると、
その家族知人に公表した人間に対しては
厳しい態度を取っています。
それこそが、「当たり前」の権利を求める側の
知性なのだろうし、同時に深い苦悩でもあるのだろうと
思います。