2009年5月15日金曜日

ヴァン・クライバーン・ピアノ・コンペティション

ハワイ大学は今週が学年末の試験週間です。昨日、アメリカ女性史の試験があったので、私は今日と明日で急いで採点を終えて、日曜日にはテキサスに出発します。前にもちょっと言及したと思いますが、ヴァン・クライバーン・国際ピアノコンペティションを見学に行くのです。

クラシック音楽ファンなら誰でも知っていることですが、このコンペティションは、世界でももっとも権威あるピアノコンクールのひとつです。冷戦さなかの1958年に、テキサス出身の青年ヴァン・クライバーンが、モスクワでの第一回チャイコフスキー・コンクールで優勝したときには、音楽や芸術の世界を超えてものすごいセンセーションとなり、クライバーンがアメリカに帰国したときにはニューヨークで凱旋パレードまで行われました。軍人やスポーツ選手ならともかく、クラシックの音楽家がアメリカでこんな扱いを受けるなんてことは、後にも先にもないことです。私は3月にニューヨークに行ったときに、少しこのときのことをリサーチしたのですが、調べれば調べるほど、それがいかに大事件であったか、認識を強くしました。ひょろひょろと背が高くシャイでなんとなくぎこちないクライバーンの様子と、彼が巻き起こした世界的なセンセーションのミスマッチが、リンドバーグを喚起します。

そのクライバーンにちなんで1962年に始まったこのコンペティションは、四年に一度開催され、チャイコフスキー、ショパン、ブザンソンなどと並んで世界的にもっとも権威のあるコンクールのひとつとなっています。世界中から500人以上のピアニストが応募し、アメリカ、ヨーロッパ、ロシア、アジアのいくつもの都市でのオーディションを経て、30人ほどの参加者が選ばれるので、フォート・ワースの舞台に立つだけでも大変なことです。近年はとくにアジア出身の参加者が多く、今回はなんと30人の参加者のうち16人がアジア人です。私はMusicians from a Different Shoreでヴァン・クライバーン・コンペティションについて言及しているものの、実際にこのコンペティションを見に行ったことがないので、今回実際に現地に行ってみることにしました。アジア人とクラシック音楽というトピックそのものについてはこれ以上研究を続けようとは思いませんが、芸術とコミュニティの関係や文化政策といったテーマに興味があるので、そのケース・スタディのひとつとして、このコンペティションを検討してみたいと思っています。クラシック音楽の世界についてももちろんそうですが、フォート・ワース市にとってヴァン・クライバーン・コンペティションはたいへんな一大事で、市の行政や企業スポンサーが多額の資金を投入するのはもちろんのこと、1200人もの一般市民がボランティアとして軍隊さながらの規律で動き、このイベントのスムーズな運営を支えています。クライバーン財団長のRichard Rodzinskiという人が私の仕事にとても興味をもってくださっているおかげで、私は参加者のピアニストや審査員だけでなく、市長や市の観光局、地元新聞社の編集長や、企業スポンサーなど、各方面の関係者にインタビューができる予定です。ツーリストとしてちらっと見学に行くつもりが、なんだかだんだんとおおごとになってきて自分でもびっくりしていますが、こんなに段取りよくいろいろな人とコンタクトがとれるというのは、研究者としては天国のようなので、とてもありがたいです。

この準備として、過去のクライバーン・コンペティションについてのドキュメンタリー映画(このドキュメンタリー映画がまたこのコンペティションの特色のひとつでもあります)をここ二日間でたて続けに見ました。これがまたとても面白い。参加者の人間ドラマももちろん、このコンペティションのいろいろな意味での意義も伝わってくるし、ドキュメンタリーの作りかたとしても興味深いです。また、今回は、コンペティションの様子がネットでも流されます。私は、コンペティションの最中はずっと、A列に座っていますので、観客にカメラが向いたら私の姿がちらっと見えるかも知れません。よかったらどうぞ。

その前に私は採点を終えなければいけないので、ひとまずは答案の山に向かいます。