ハワイ大学アメリカ研究学部教授、吉原真里のブログです。『ドット・コム・ラヴァーズーーネットで出会うアメリカの女と男』(中公新書、2008年)刊行を機に、アメリカのインターネット文化や恋愛・結婚・人間関係、また、大学での仕事、ハワイでの生活、そしてアメリカ文化・社会一般についての話題を掲載することを目的に始めました。諸般の事情により、2014年春から2年半ほど投稿を中止していましたが、ドナルド•トランプ氏の大統領選当選の衝撃で長い冬眠より覚め、ブログを再開することにしました。
2009年5月28日木曜日
セミファイナル第一日
こんなことを世間に公表してもしょうがないですが、今日は私の誕生日なんです。誕生日を、こうして素晴らしい音楽にあふれて過ごせるというのは、本当に幸せなことです。
今朝は、先日のブログで紹介した坂本真由美さんをインタビューしました。彼女は残念ながらセミファイナルに残らなかったのですが、演奏は本当に素晴らしかったし、とても興味深いお話を聞くことができました。坂本さんは、芸大を卒業後、ドイツのハノーヴァーで勉強をし、チャイコフスキー・コンクールをはじめとする世界のいろいろな大きなコンクールの経験があるので、他のコンクールとクライバーン・コンペティションの比較について、洞察力のあるお話を聞かせていただきました。それについては後日またゆっくり書きます。
さて、今日はセミファイナルの第一日です。セミファイナルでは、クライバーン財団によって委嘱された現代曲一曲を含む60分のソロリサイタル(曲目は予選とはすべて違うもの)と、タカッチ・カルテットとの室内楽の協演ですが、それぞれの人のリサイタルと室内楽は別の日にあります。というわけで、今日は、3人のリサイタルと、それとは別の3人の室内楽でした。面白いもので、予選のときに聴いたのと印象が違う人もいます。私はこんなに長期間緊迫する状況に自分が身をおいたことがないので想像でしかできませんが、セミファイナルというのはおそらく気力体力的にかなり難しいのではないでしょうか。予選が終わったばかりでまだ疲れも残っているだろうし、予選とセミファイナルのあいだが短いのでセミファイナルの曲を練習する時間が限られているし。ファイナルだと、もうこれが最後だと思って最後の一滴まで自分を出し切るという勢いがあるでしょうが、ファイナルに残ったらまだ後にも大きなコンチェルト(がなんとふたつ!)とリサイタルが残っている(でも残っていないかもしれない)などと思うと、なんだか中途半端で、集中するのが難しいのではないかと思います。私の印象では、今日演奏した三人のうち二人は、予選のときの演奏とくらべるとちょっと元気と色彩が欠けていると思いました。もう一人、ブルガリア人のBozhanovの演奏はとてもすばらしく、ベートーベンのソナタは私がこれまでに聴いたことのある演奏とはまるで違う曲のような音色とヴォイシングでした。シューベルトも、メロディーの透明さと他の線や和音の柔らかさが絶妙でした。現代曲は、なにしろこちらも初めて聴く曲なのでどう思っていいのやらよくわかりませんが、とにかく彼自身がこの曲が好きで弾いている、ということが伝わってきたのがよかったです。演奏は素晴らしいけれどどうも私は彼の様子からにじみ出るパーソナリティにどうも気に入らないところがあるのです。知りもしない人のことを舞台のむこうで見て勝手に判断して評価するのはまったくもって不公平であるのは百も承知ですが、そういった要素が生で演奏を聴くという経験の一部をなすのも否めません。
さて、室内楽ですが、これはとても面白かった。イスラエル人Dankのブラームスはまあ特別よくも特別わるくもなかったと思いましたが、ロシア人Kunzのシューマンは明らかによろしくなかった。あまりにもよろしくないので、私は演奏の最中に鞄からノートを取り出してコメントを書いてしまったくらいです。そのコメントの要旨はこの通り。クライバーン・コンペティションの正式ブログに載せるにはちょっとためらいました(が結局このまま載せました:))が、私のブログを読んでいる人にはOKということで(笑)、この通り。「これはまるで悪いセックスを見ているようだ。初めはやたらとゆっくりで、速いセクションに至るまでの論理的な展開がない。彼の演奏は自己満足的で弦を犠牲にしている。気取って嫌味なルバートやピアニッシモをやたらと入れるので流れが途切れる。彼のベッドのなかでの振る舞いが想像できるようだ。やたらとゆっくり始めて、じらして、でもいざ流れができたと思ったら相手を置いて自分ひとりだけ満足してしまう。彼の顔の表情とか身体の動かしかたまで、なんだか自慰的だ。テンポの変化に筋が通っていないので、速いセクションでは弦が無理をしているように聴こえてしまう。強弱の変化も同様に筋がない。室内楽というのは、マスタベーションじゃなくて、みんなで一緒に楽しむものなんだから、もうちょっとコミュニケーションを大事にすべし。」私は彼の予選のリサイタルはかなり気に入った(けれど、彼の演奏にとてもネガティヴな反応をした聴衆も多かったようです)ので、残念。
それにくらべて、同じ曲を弾いたWuは素晴らしかったです。これはそれこそ「いいセックス」の例のようで、ちょっとflirtatious(これは日本語になんと訳していいのかわからないのでこのままにしておきます。『新潮45』の連載を読んでくださったかたには、わかりますね、flirtの形容詞形です)だったり戯れ合ったりする部分もありながら、お互いの呼吸を読み取って、一緒に盛り上がっていく過程を楽しむ。彼女自身も、演奏しながら音楽を心から楽しんでいるのが、表情からもよくわかりました。まあ、そうした笑顔もパフォーマンスの一部で、ちょっとわざとらしいととらえることもできるでしょうが、聴衆も、どうせ見ているのなら演奏している本人たちが楽しんでいるほうがこちらも一緒に楽しい気持ちになるというものです。Kunzと比べるとあきらかに余裕もあって、こちらもゆっくり楽しめました。