2009年5月2日土曜日

天才の作りかた

行方不明になっているCraig Arnold氏についての情報をあちこちで発信してくださっているかた、ありがとうございます。まだ発見されていませんが、本人がインターネットに接続したという情報も断片的にあります。iPhoneを持っているということですから、おそらくその電波が届く地域に入ったということなのでしょう。無事が確認されるまで捜査が続けられるように、なにか情報のあるかたは、どうぞご協力お願いします。

さて、現在ニューヨーク・タイムズのオンライン読者によって一番メールされている記事というのが、「天才」に関する論説です。(このように、内容があまり文化社会的に特定化されていなくて、長さも比較的短い論説は、英語の勉強にもいいですので、どうぞ読んでみてください。)現代の研究によると、いわゆる「天才」というのは、天賦の才とかIQとかによって作られるものではなく、むしろ「慎重でかつ精力的で、おおむね退屈な練習」を長時間にわたって続ける能力によるものだ、ということです。この「慎重でかつ精力的(deliberate and strenuous)」というところがミソ。私は来週末にちょっとしたピアノのリサイタルをするので、最近とくにせっせと練習に励んでいて、また、楽器演奏の練習法とか教授法とかにも結構興味をもっているのですが、こうした練習というのは、ただやみくもに時間をかければいいというものではありません。4時間も5時間も(プロの人はもっとやりますが)ひたすら鍵盤をたたいていれば上手くなるかというと、決してそうではなく、我流の方法でひたすら弾いていると、間違った弾き方を身体や頭が覚え込んでしまってかえって逆効果、ということもよくあります。トップのプロのレベルになれば才能云々という要素もあるでしょうが、そこに到達するまでには、音楽の演奏というのは何百何千というきわめて具体的な技術の総計によって成り立っているものです。「音楽性」とか「解釈」とかいったいわゆる「主観的」なものも、実際に音となって奏でられるときには、信じられないほど細かい技術的なことの集まりによって実現されているものです。(ピアノに関して言えば、たとえば、ある音を弾くのに、指のどの部分を使うとか、その指をどのくらいの高さからどのくらいのスピードで鍵盤に降ろすとか、ある音と次の音のあいだにはどのくらいの間隔(それも十分の一秒くらいの単位で)をおくとか、指と手首と肘と肩の相対的な位置をどうするとか、そういったこと。)そうした技術を身につけるためには、適切な方法で集中した練習を積まなければだめなのです。そしてその「適切な方法」というのは、素人にはわからないので、きちんとした指導を受けることが必要です。私は最近、普段からレッスンをしてもらっているピアノの先生と、仲良しのクラリネット奏者に、ピアノの練習を見てもらっています。どうしてクラリネット奏者がピアノを教えられるのかと思う人もいるでしょうが、もちろんピアノという楽器に特有な技術に関してはピアノの先生に教わりますが、練習のしかたとか、曲の理解とか、ある効果を達成するための技術とかいったものは、楽器に共通なものがとても多いのです。こうしてピアノを教わっていると、ピアノの演奏そのもの以外にもとても学ぶことが多く、教師としてもとても勉強になります。

要は、「若いときから役割モデルになるような存在と接して刺激を受ける、正しい練習法を学ぶ、そしてせっせと練習する」ことが大事。というわけで、私はこれからピアノの練習をします。