2009年5月23日土曜日

クライバーン・コンペティションで辻井伸行さんの演奏に聴衆総立ち

今日はクライバーン・コンペティション予選の第二日め。前に言及したSoyeon Leeについては、ここ数年間の彼女の変遷(ジュリアードを卒業して、自分を守るもののない世界で音楽家として生計を立てていかなければならなくなった、大きな交通事故に遭って本当に死ぬかと思ったところを、傷ひとつないままに済んだ、廃棄物をリサイクルしてものを作る会社の起業家と結婚した、など)について語った詳しい記事が今日のフォートワースの新聞に載っています。彼女の演奏も素晴らしかったですが、その次に演奏したDi Wuがまたすごく、技術面と音楽性の両方において私は今までの出場者のなかでは一番だと思いました。

それもさることながら、今日一番の話題は、夜の部一番に演奏した、盲目の日本人、辻井伸行さんです。生まれたときから盲目だった辻井さんは、5歳でピアノを始め、7歳で盲学生音楽コンクールで優勝し、10歳から演奏活動を始め、2005年のショパンコンクールで批評家賞を受賞した、という人です。レイ・チャールズやスティーヴィ・ワンダーはいますが、クラシックの世界で盲目のピアニストがプロのレベルで活躍するということはまずないことで、盲目のピアニストがクライバーン・コンペティションに出場するのも史上初めてのことです。私は数日前に、辻井さんとお母さんのいつ子さんとお話する機会があり、彼らのホスト・ファミリーの家まで一緒に行ったりして、考えさせられることがとても多かったのですが、実際に演奏を聴くまでは、いったいこの盲目のピアニストというものをどう考えていいのかわからない、というのが正直なところでした。もちろん、盲目でこれだけのレベルでピアノを弾けるようになるというのは信じられないくらいすごいことですが、果たしてその演奏が本当に他のプロのピアニストと比べて音楽性が匹敵するものなのか、それとも盲目なのにここまで弾けるのはすごいということだけで注目を浴びているのか、なんだか曲芸をする動物のように見せ物になっているんだとしたら哀しいことだ、などと勝手に考えていたのですが、今日の演奏を聴いてそんな思いはみじんも消えてしまいました。彼の演目の最初はショパンのエチュードOp.10全12曲と、かなり勇気のある選曲だったのですが、ハ長調の1番が始まって数小節で、私はぽろぽろ涙が出てきてしまいました。私の前に座っていたホストマザーのキャロルさんも、周りの人も、涙をふいている人がたくさんいました。もちろん、最初は、「盲目の人がこんな演奏ができるなんて信じられない」という驚異の思いでいっぱいなのですが、一、二分もたつと彼が盲目であるということはすっかり忘れてしまうのです。彼の子供のような純真な人柄に合った、実にまっすぐできれいな解釈でありながら、音楽的にも洗練されていて、盲目だとかなんとかいうことと関係なく感動させる音楽で、それと同時に、やはり音楽というのは、作曲家と演奏家と聴衆の関係のなかで経験されるものですから、この彼がこれをこのように弾いている、という思いが聴衆の感動を強めるのもその通りです。エチュード12曲終わった段階で、聴衆の拍手は鳴り止まず、残りのあと二曲を弾き始めようと彼が椅子に座ってもずっと拍手が続くので、彼はまた立っておじぎをする、という様子でした。ドビュッシーのイマージュとリストのラ・カンパネラを弾き終えると、聴衆は総立ちでブラボーの連続。このように素直に感動と尊敬と感謝を表現するのは、アメリカの聴衆のいいところだと思います。(去年、私が日本で友達のピアノリサイタルに行ったとき、私が拍手のときに立ち、隣に座っていた知り合いの男性も続いて立ったのですが、あとから聞いてみると立ったのは何百人もの聴衆のなかで私たちふたりだけだったとか。日本ではコンサートで聴衆が「すばらしい!」という意を示すために立って拍手するという慣習がないのでしょうか。でも、そのピアニストはニューヨーク在住で、きていた聴衆にもアメリカやヨーロッパに住んでいたことのある人も多かったはずなのになあ。)

辻井さんが予選を通って次の段階に進むかどうかはわかりません。29人の出演者はみなとてつもない腕の持ち主で、今のところあきらかに失敗したという人はひとりもいないし、辻井さんの演奏は他の出演者とくらべて劣る点はなくても、とくに突出して素晴らしいかというとそう断定もできないと思います。でも、コンペティションというイベントが独特の興奮をもたらすのは、競争というものが当然もたらす緊張感もさることながら、十年二十年と特訓を重ねてきた若者たちの人生をかけた演奏を目撃し、若い才能を世界の舞台に出す瞬間に居合わせる、という経験を聴衆が共有するからだと思います。そうした意味で、辻井さんの演奏を今日聴くことができた聴衆は、そのぶん人生をゆたかにしてもらったと皆が思っていると思います。そうした思いを音楽を通じて人に与えられたら、コンペティションの結果なんていうのは、どうでもいいものではないでしょうか。