2009年5月21日木曜日

フォート・ワース通信






前回の投稿で説明した通り、ヴァン・クライバーン・国際ピアノコンペティション見学のために、テキサス州フォート・ワース市に来ています。実際のコンペティションが始まるのは明日からなのですが、一昨日はクライバーン財団のスタッフをインタビューし、昨晩はオープニング・ディナー兼出場者が予選の演奏の順番を決めるための抽選会に出ました。まだコンペティションが始まってすらいないのに、見るもの聞くもの実に感心すること、考えさせられることばかりで、刺激たっぷりの時間を過ごしています。

なにから書いていいかわからないくらい発見が多いのですが、ヴァン・クライバーン・コンペティションそのものに関してとにかく驚くのが、このイベントが単にクラシック音楽の世界にとって大きな意味をもっているというだけでなく、フォート・ワース市のコミュニティ全体をあげての大イベントであり、音楽とまるで関係のないフォート・ワースの市民にとってもこのイベントが街の大きな誇りとなっているということです。クライバーン財団の人の話には必ず、このコンペティションを支えている1200人のボランティアが話題にのぼるのですが、どうもそれらのボランティアの多くは、特にクラシック音楽のファンというわけではなく、単に(というのも表現が変かもしれませんが)コミュニティ・ライフに参加・貢献したいという意思でこのイベントに関わっているらしいのです。コンペティションの期間中クライバーン財団の臨時のオフィスとなっている、バス(このホール建設のための資金を提供した地元の資産家バス家の名をとっている)・パフォーマンス・ホールの地下の楽屋には、実に大勢の人たちがてきぱきと仕事をしていて、主婦のおばさんたちが趣味でボランティアをしているといった雰囲気とはまるで違う、プロフェッショナルな空気が漂っています。前にも言及したRichard Rodzinskiというクライバーン財団の財団長と、Alann Sampsonという同財団の理事長にひとまずインタビューをしましたが、なるほどこういう国際的な大イベントを運営し盛り上げていくためには、こういうタイプの人材が必要なんだな、と実感しました。説明すればきりがないですが、要は、単なるセンセーショナリズムや商業主義に走らないための芸術そのものについての深い理解と感性、大きなことを成し遂げるための資金力、そうした資金力をもっている人たちを動かせるだけの人脈とカリスマと人当たりのよさ、また、出会う人それぞれの特性を即座につかんで自分の味方につける判断力と性格、そうした性質をすべて備えた人がリーダーとなっているのです。これらの人たちはこの世界では相当な大物であるにもかかわらず、偉ぶった様子がまるでなく、太平洋の島からやってきたどこの馬の骨ともわからない私のような人間にも、実に寛大に時間を労力を費やしてサービスしてくれるのです。私ははじめ、なんだって私なんかにそんなに親切にしてくれるのか、まるでわからなかったのですが、二日間クライバーン財団の様子を観察していて、少しずつわかってきたことは、私のように、音楽のことも多少はわかって、このコンペティションの意義も理解して、専門的な知識も少しはあって、関連するトピックで本を書いたこともあり、かつクライバーン財団と直接関わりのある立場にない人間が、このコンペティションを研究素材としてわざわざ見学に来ているというのは、クライバーン財団にとってもPRになるのでしょう。そのおかげ(?)で、私はひとりでふらりとやって来たのでは絶対に経験できなかったようなことを既にいろいろ経験しています。

その経験の多くは、私がジャーナリズムの人間のひとりとして扱われ、「Press」バッジをもらって、さまざまなイベントへの参加や、財団のオフィスへの出入りを許されていることによります。このおかげで、私はオープニングの記者会見にも参加し、そこで知り合いになった地元の新聞記者にくっついてコンペティション出場者のひとりがホームステイしている家庭にお邪魔したりしています。私は今まで、メディアの表象を研究対象として分析したことはあっても、自分自身がメディアの側にたったことがなかったので、新聞記者さんたちとたむろして彼らの取材のしかたを観察するのは実に興味深いです。(私は大学四年生のとき、新聞記者になるつもりで朝日新聞に内定までもらった挙句ドタキャンして大学院に行ったという経緯があるので、あのとき予定通り新聞記者になっていたらこんな風だったのかなあ、と考えると不思議な気分です。)学者は、リサーチで集めた素材を、何ヶ月どころか何年間もかけて分析し熟考しああでもないこうでもないといじくった挙句に文章にするのに対し、新聞記者は、今日集めた素材を今晩文章にして明日の新聞に載せなければいけないわけですから、当然執筆のペースがまるで違うのに加えて、取材や思考のしかたもかなり私のような人間とは違うのだということが感じられます。また、取材をする記者たちは、必ずしも音楽についての知識がある人たちではないし、その場で手に入れた情報を位置づけるより大きな文脈がないまま文章にしたりするので、私から見ればなんとも乱暴だと思うこともありますが、そのいっぽうで、具体的な事実や、人の注意をひくようなキャッチフレーズのつかみかたなどには、感心もします。そうこうしているあいだに、今回のコンペティションで最多の出場者を出している中国の出身のピアニストについての取材をしているAPの記者に、私は関連トピックについて本を書いた人間として取材をされるはめにもなりました。なんとも不思議な気分です。

昨晩のディナーは、black tie、すなわち、男性はタキシード、女性はイヴニング・ドレス着用のイベントだったので、そんなものを持っていない私はわざわざこのディナーのためにドレスを購入したくらいで(せっかく買ったので自分のミニ・リサイタルのときにも着ました)、なにしろ私はこのディナーに出なければいけないのが頭痛のタネだったのですが、行ってみればみたで、知ることはとても多かったし、それなりに楽しくもありました。見たところ参加者は約500人、大宴会場ではフォート・ワース・シンフォニーの音楽家たちによる室内楽の生演奏があるといった、実に豪勢な雰囲気で、要はフォート・ワースのハイ・ソサイエティの社交場のひとつであることが明らかでした。普段学者や音楽家などつましい生活をしている人間とばかり接している私には、そんなお金持ちたちと会話をするというだけでも困ってしまうのですが、それに加えて、なにしろアメリカのこうしたイベントに、配偶者や「デート」なしでひとりで参加するのはかなり勇気のいることなのです。でも、指定された席に着くと、同じテーブルの人たちと仲良くなって、明日はそこのお宅にお邪魔することになりました。こうしたおおらかなホスピタリティはテキサス的なような気がします。

クライバーン・コンペティションならではの特徴のひとつが、出場者は全員、地元のホスト・ファミリーの家に宿泊することが義務づけられている、ということで、これについては私はいろいろと考えることがあるのですが、それについてはまた後ほど報告します。

今朝は、フォート・ワース市観光局の局長をインタビューしました。フォート・ワース市の歴史や文化についても、知ると面白いことがたくさんあります。自称「カウボーイと文化の都市」のフォート・ワースは、クライバーン・コンペティションの他にも、一流の芸術関連の施設やイベントが驚くほど多いのです。今日の午後は、ダウンタウンから車ですぐのところにある、安藤忠雄設計のフォート・ワース近代美術館に行ってきました。

といったわけで、見るもの聞くもの実に興味深いことだらけ。明日はいよいよコンペティション開始です。出場者のプロフィールや演奏についての感想についても、また報告します。カメラの調子が悪くぶれた写真になってしまいましたが、昨日のディナーのときにヴァン・クライバーン氏本人と写真を撮ることができたので、他の関連写真と一緒に「証拠」として掲載しておきます。