2010年12月30日木曜日

Black Swan & The King's Speech

ハワイ時間ではまだ30日ですが、日本ではすでに大晦日ですね。アメリカの大晦日と元旦は、日本とは似ても似つかない雰囲気で、大晦日の夜中は花火で大騒ぎ、元旦は休日という以外にはなんということもない普通の日です。ハワイでは、海辺の公園で打ち上げられる大型花火の他に、一般の人たちが庭や道路で花火や爆竹をするので、夜はたいへんな騒ぎで、窓を閉めていても煙が入ってくるくらいで、とてもゆっくり眠れたものではありません。これはこれで、ひとつの風物詩です。

さて、私は2009年から2010にかけて一年間、実にひさしぶりの日本生活を経験しましたが、2011年を迎えてから数日後に日本に帰り、再び半年強にわたり日本で暮らします。今回はサバティカルなので授業などの義務がなく、自分の研究に専念できるのと、前回の町田市小山田桜台での暮らしとは打って変わって千代田区民になるのとで、前回とはずいぶん違った生活になりそうです。今は、出発に向けて再び家の掃除(アメリカではサバティカル中の研究者が別の街で半年や一年間暮らすというのはよくあることなので、サバティカルの人が家財道具や日用品などはそのままで家を貸したり交換したりというのは一般的で、そうした情報交換のためのSabbaticalHomes.comというウェブサイトまであります。今回は私もこのサイトを使って我が家を借りてくれる人を見つけました)や荷作りをしているところですが、日本に行く前に観ておこうと思っていた映画を昨日と今日たて続けに観てきました。

去年と今年、日本とアメリカを比較して気づいたことのひとつは、映画というものが文化において占める位置が日米ではずいぶん違うということ。私は日本に住んだ一年間で、知人友人と映画の話題になったことがほとんどありません。もちろん、積極的に映画が好きだという人とは、一緒に観に行ったり映画の話をしたりしますし、なにしろ日本にはオタク文化があるので映画通を誇る人たちは底知れない知識をもっているのはわかっていますが、そうでない、「普通の人」同士が映画の話題で盛り上がるという場面に、私はほとんど遭遇しませんでした。サラリーマンは仕事が忙しく、主婦は子育て忙しくて、映画に行くような時間がないのだ、という説明もありますが、そういう忙しい人たちでも本当に自分がやりたいことについては無理にでも時間を作ってやるわけですから、それで説明しきれるとはちょっと思えない。日本は映画館で普通料金を払って映画を観るには1800円もする(アメリカでは地域によって値段は違いますが、ハワイでは普通料金は10ドル強、マチねなら8ドル強です)、というのも一要素としてあると思いますが、もっとずっと高い娯楽にお金を出す人たちはたくさんいるので、それもあまり説明になっていない。やはり、映画を観に行くということがそれほど一般的でないのだと思います。私がブログでときどき映画の話題について書くので、私のことを「映画が好きな人」だと思っている人が結構いるようですが、私はもちろん映画は嫌いではないものの、話題になっているもののうちで自分が興味のあるものを観に行ったりDVDで観たりするくらいで、アメリカの文脈では「映画好き」の部類にはまるで入らず、私の社交サークルのなかでは、私の映画についての知識は平均以下だと思います。こちらでは、日常会話において映画の話題になることはよくあるし、現在上映中の映画については、内容やら監督やら俳優やらについて、その映画を観ていない人でもよく知っています。DVDやインターネットで映画が簡単に観られるようになって、映画館に行く人が減っているのはアメリカも同じですが、それでもやはり、アメリカのほうが映画というものが一般の人たちの日常生活に溶け込んでいるような気がします。

で、今回観たのは、Darren Aronofsky監督のBlack Swanと、Tom Hooper監督のThe King's Speech。Black Swanは昨日のマチネで観たのですが、水曜の昼間に観るにはまったく不適切な映画でした(笑)。でもそのいっぽうで、この映画を夜に観ていたら、眠れなくなっていたと思うので、昼間に観たのは正解だったかも知れません。レビューを読んでから観たので驚きはしなかったものの、想像していたよりもどぎつい映画でした。バレエの「白鳥の湖」を舞台にした物語、には違いないのですが、その響きとは裏腹に、たいへんダークな心理スリラーです。なかなか面白かったけれど、私は思わず手で目を覆ってしまう場面もいくつかあり。心理描写として監督の目指していることはわかるけれども、あそこまでやる必要もないんじゃないかという気もしました。でも、ナタリー・ポートマンの演技はなかなか素晴らしいです。今さっとネットで検索したかぎりでは、この映画の日本公開についての情報は見当たりませんでしたが、もうちょっと時間がたってから公開されるかもしれません。

そして、先ほど、The King's Speechを観てきました。こちらは2月末から日本でも公開されるようです。これは素晴らしかったので、おすすめです。物語の主人公は、エリザベス女王の父親、英国王ジョージ6世。家族に「バーティ」の名で呼ばれていた彼は、幼少の頃から吃音に悩み、公共の場やラジオ放送で演説をしなければいけないときは、世界に恥をさらす経験を繰り返していた。その彼が、王として国を象徴し国民に語りかけなければいけない立場に立ち、しかもその後間もなく、イギリスはナチス・ドイツと開戦となる。そのジョージ6世が言語障害を克服する導き手となったスピーチ・セラピストと王の関係を追った物語です。ジョージ6世を演じるのはコーリン・ファース、スピーチ・セラピストを演じるのはジェフリー・ラッシュで、なんとも迫力と味のあるコンビネーションになっています。吃音や発話ということについても深く考えさせられますが、そうしたことを超えて、人それぞれが抱えているもの、背負っているものについて、たとえひとりでも、耳を傾けて理解し共感してくれる人物がその人の人生に存在するということが、どれだけ大事なことか、ということについて、静かに教えてくれる映画です。雅子さまにもこの「ライオネル」のような人物が存在すればいいのになあ、などと思ってしまいます。

2010年12月24日金曜日

22丁目のサンタ・クロース

アメリカでクリスマス・シーズンを過ごすようになって20年ほどになります。『ドット・コム・ラヴァーズ』でも書いたように、アメリカでのクリスマス・シーズンというのは実に複雑な感情を引き起こすもので、クリスチャンでもなければクリスマスを一緒に過ごす家族がいるわけでもない私も、年によっていろいろ違った気分になります。自分には直接関係なくても、恵みの心が溢れる周りの雰囲気に心温まる気分になることもあれば、普段は多様性を声高に唱えている人たちも急に一転してクリスマス文化に染まってしまうことに納得のいかない思いを感じることもあれば、「我が家はクリスチャンじゃないからクリスマスはしない」と言ってクリスマス文化から距離を置く人たちがちゃんと存在することに安心感を覚えることもあります。去年、ひさしぶりに日本でクリスマス・シーズンを過ごしたときには、宗教や文化とみごとになんのつながりもない徹底した商業主義のクリスマス(アメリカのクリスマスも商業主義に踊らされていると批判する人たちがたくさんいますし、実際多くの商店ではこのシーズンが年内最大の売り上げ期なので、商業主義の要素が強いことには違いありませんが、少なくともアメリカでは、人口の多数がクリスチャンであり、クリスマスは家族と過ごし人々にプレゼントをするという文化や伝統があるのがやはり日本とは大きく違います)に、一種の解放感を覚えると同時に、なんだかしらけた気分になったものです。今年は、ハワイで親しくしている友達の多くが、アメリカ本土や国外の家族のところに出かけてしまっていないのですが、クリスマス当日は数人の友達と集まる予定です。ハワイにいると、クリスマスも半袖で過ごすので、なんとも不思議な気分ですが。

さて、今日のニューヨーク・タイムズに掲載されているクリスマス関連のビデオに、なんだか心打たれてしまいましたのでご紹介します。マンハッタンの西22丁目、チェルシーという、ゲイの人たちが多く住んでいるお洒落なエリアのあるアパートに住むふたりのもとに、あるときから「サンタ・クロースへ」という宛名の手紙がたくさん届くようになりました。普通のアパートの7号室という、なんの変哲もない住所に、なぜサンタ宛の手紙が届くようになったのか、受け取ったふたりはさっぱりわからず、なにかのいたずらか、あるいは自分たちの住所がどこかのチャリティ団体の住所と似ていて間違われているのか、なにかの間違いでどこかの学校で先生が子供たちにこの住所を教えたのか、などといろいろ考えてみたもののやはり理由はわからないまま。ここで、多くの人だったら、気味悪がって、郵便局や警察(?)に相談するとか、なぜ自分のところに手紙が届くのかを突き止めようとする(手紙の差出人に連絡をとって、なぜこの住所に手紙を送ったのか問い合わせればいいわけですから、そんなに難しいはずはない)とかするでしょうが、そうでないのがこの話のよいところ。ついには何百通にもなった手紙に、受け取ったふたりはすべて目を通し、手書きで書かれた子供たちの真摯なお願いに心打たれます。親が困窮していて今年はプレゼントを買えないので、妹のためにプレゼントを送ってほしい、といった類のメッセージから、ごく普通のお願いまでいろいろですが、受け取ったふたりは、これらの手紙を自分の家に積んだままでクリスマスを迎えるのは気がすまない、かといって何百人もの人たちのお願いを自分たちがかなえるわけにはいかない、それと同時に、数人だけを選んでお願いをかなえるのも理不尽な気がする...そこでふたりは、自分たちの手元にある手紙を同僚や友人知人のところにもっていき、各人にひとつのお願いをかなえてもらう、つまり、差出人の住所にその人がほしいと思っているプレゼントを送ってもらう、ということを思いつきます。サンタになってくれる人をFacebookを通じて募集もします。年末の忙しい時期に、何百人もの見も知らぬ人から訳もわからず送られてきたサンタへのお願いをなんとかかなえてあげようと、せっせとサンタを探すこのふたりもすごいですが、「いいよ」と言って快く引き受ける友人知人が何百人もいるのもすごい。このあたりに、アメリカの人たちのおおらかさ、懐の深さ、そしてよい意味でのクリスマス精神を見る気がします。このビデオからは、このふたりのあいだの愛情も伝わってきて、なんだか不思議な感動がありますので、見てみてください。

2010年12月23日木曜日

When the Levees Broke

DVDで、スパイク・リー監督の四話にわたるドキュメンタリー映画、When the Levees Brokeを観ました。タイトルを直訳すれば「堤防が崩れたとき」。2005年夏にルイジアナ州ニューオーリーンズ周辺を襲ったハリケーン・カトリナ(『現代アメリカのキーワード 』に項目があります)についてのドキュメンタリーなのですが、これはすごい。カトリーナの災害は、ハリケーンそのものによる自然災害もさることながら、人種を軸に地域内に極端な社会格差を生んできた南部都市の歴史的背景、連邦政府を筆頭にする各種公的機関の対応のひどさといった、社会によって作られた人的災害という側面が大きかったことは指摘されてきましたが、このドキュメンタリーはそれを実に説得力をもって示しています。当時のニュースに使われた映像や写真を織り交ぜながら、ハリケーンの被害者となった数多くの市民たち、救出隊員、ニューオーリーンズ市長、ルイジアナ州知事、土木工学のエンジニア、ジャーナリスト、歴史家など、たくさんの人たちのインタビューを集め、ナレーションもなく淡々とした作りでありながら、強烈なメッセージが伝わってきます。ハリケーン地帯であるこのエリアでは、堤防がじゅうぶんな強度をもっていないこともわかっていたにもかかわらず、補強がされないままだったこと。いかなる威力をもってハリケーン迫っているかも警告されていたにもかかわらず、多くの人々が避難できない状態で残されたこと。実際にハリケーンが襲い数多くの死者や負傷者が出て、また何万人もの人が住居を失った後でも、連邦緊急事態管理庁(FEMA)をはじめとする連邦機関は何日間も対応をしなかったこと。そして、ハリケーン後数カ月たっても人々が生活を再開できるための手助けが届いていない(この映画が公開されたのは2006年)ということ。その背景に、人種と階層が否定しがたく結びついているということ。そうしたことが、多様な人々の姿と話から伝わってくるのですが、それと同時に、ジャズやマルディグラに代表される黒人文化やクレオール文化がニューオーリーンズ特有の歴史文化を形づくってきて、人々がその街に誇りをもってしがみついてでもそこで暮らし続けようとしていること、大切に築いてきた街が跡形もなく戦場のようになってしまった後でも自分たちの文化と暮らしを再開しようとするそのエネルギーに、圧倒されます。出てくる人たちの実に多様な姿を見るだけでも、アメリカについてたくさんのことを学ぶことができます。日本では、インポート版のDVDしか手に入らないようですが、見る価値はおおいにあるので、ぜひどうぞ。

2010年12月20日月曜日

ウガンダの反同性愛風潮高まる

ウガンダで、同性愛者に死刑もしくは終身刑を課し、同性愛者を手助けしたり保護したりした人も投獄するといった極端な反同性愛者法案が議会に提出されたことはほぼ一年前に書きました。国際的に強い抗議の声があがっているため、死刑にかんする部分は除外される可能性はあるものの、この法案は来年早々にも討議される予定で、議員の多数は法案を支持しているとも言われています。そうしたなかで、ウガンダ社会における反同性愛者の風潮は高まっており、同性愛者に対する暴力行為も増えているそうです。10月には、『ローリング・ストーン』(アメリカの同名の雑誌とは無関係)というタブロイド紙が、「ウガンダのホモ百人の写真暴露」という記事を掲載し、「処刑しろ」といった言葉とともに、同性愛者百人の名前、顔写真、住所、頻繁に訪れる場所などを公開。このリストに載せられた結果、脅迫文を受け取ったり実際の暴力を受けた人も出ている。火曜日には、同紙が同性愛者の名前を掲載し続けてよいかどうか、判事が判決をくだすそうですが、当然ながら同性愛者たちのあいだには大きな恐怖が広まっているそうです。

ウガンダに限らず、アフリカでは同性愛者に対する偏見や差別の強い国が多いものの、ウガンダの場合は、アメリカの一部の福音主義キリスト教会が絡んでいるらしいというのがさらに問題。こうした一部の団体のメンバーが、「同性愛運動とは巨悪な運動で、結婚に基づいた社会を性的乱交を讃える社会に変えようとするものである」「同性愛とは倒錯した病気であり、治癒できるものである」などといったメッセージをウガンダで布教し、その後まもなくウガンダでの反同性愛運動がさらに高まり死刑法案にいたっている、という背景があります。アメリカの多くの福音主義協会や団体は、こうした運動から距離を置いているものの、「ドント・アスク、ドント・テル」撤回が示す社会の流れとはまったく別の動きもアメリカ国内に確固として存在し、それがこのように国際的に影響をもっているということも、忘れられません。

2010年12月19日日曜日

世界の児童労働の産物

「ドント・アスク、ドント・テル」撤回のニュースは、国内はもちろん、世界各地に派遣されている米軍兵士たちのあいだで大きな反響をもって迎えられています。これまで、危険に身をさらしながら寝食を共にする仲間たちに自分のアイデンティティを隠し、ゲイである(のではないか)という理由で職場で差別を受けても抗議することができなかった人たちや、そうした環境で仕事をすることに訣別してそれまで積み上げてきた実績を後に退職した人たち、また、さまざまな理由で軍への志願を強く望んでいながらもゲイであるがゆえにそれを断念していた人たちにとって、これがどれだけ大きな意味をもつかが伝わってきます。もちろん、世界における米軍の役割や軍事外交のありかたについての問題はまったく別で、同性愛者たちのあいだでも、「軍に志願したいなんていうバカなゲイがいるんだったら、そうする権利が与えられるべきだ」といったコメントをしている人もいます。

さて、先月ハワイで結婚式を挙げた友人の新妻が、もと連邦労働省で仕事をしていた人であることは書きましたが、彼女はとくに児童労働や人身売買の規制が専門。その彼女がFacebookを通じて送ってくれた記事がこれ。世界の児童労働について連邦労働省が最近まとめたデータをもとに、もっとも搾取的な児童労働や強制労働(奴隷制やそれに類似する状況での労働)によって作られている(収穫も含む)産物のリスト。それらがどういった国で作られているかも載っています。搾取的児童労働がもっとも使用されているのは、農業、サービス業、そして工業だそうですが、13のアイテムのトップは金で、アフリカや中南米、北朝鮮などで児童・強制労働により採取されているとのこと。次いで2位は、綿で、産出国は、アルゼンチン、アゼルバイジャン、ベニン、ブラジル、ブルキナ・ファソ、中国、エジプト、カザキスタン、キルギス共和国、パキスタン、パラグアイ、タジキスタン、トルコ、トルクメニスタン、ウズベキスタン、ザンビア。3位は、かつてはハワイの主要産業であった、サトウキビ。今では中南米や東南アジアが主要産出国となっています。残りのリストは以下の通り。簡単に予想できるものもあれば、(少なくとも私にとっては)そうでもないものもあります。

1 金
2 綿
3 サトウキビ
4 タバコ
5 レンガ
6 コーヒー
7 牛
8 米
9 衣類 
10 ダイアモンド
11 石炭 
12 ココア
13 カーペット

2010年12月18日土曜日

「ドント・アスク、ドント・テル」撤回

1993年クリントン政権下、軍隊内での同性愛行為を禁じると同時に、兵士が同性愛者であることをみずから公表しない限りは、軍当局は兵士の性的指向を捜査しないことを定めた、通称「ドント・アスク、ドント・テル」法(『現代アメリカのキーワード 』にエントリーがありますので参考にしてください)は、政府による同性愛者に対する差別であるとして、長いあいだ抗議が続けられてきましたが、今日、この方針を撤回する法案が、連邦上院で65対31で可決されました。これは、同性愛者の活動家たちにとってきわめて大きな第一歩で、軍隊における人種差別や隔離を廃止したのと同等の意義があるという人たちもいます。「ドント・アスク、ドント・テル」撤回運動のリーダーとなってきたコネティカットの上院議員ジョセフ・リーバーマン氏は、他の分野での保守的政策によりこれまで民主党左派からはさまざまな批判にあってきたものの、この撤回を実現に導いたことでおおいに名誉挽回となりました。

「ドント・アスク、ドント・テル」撤回を支持する議員たちは、命をかけてまで国に奉仕しようと志願する人たちに、自分たちのアイデンティティについて嘘をつくことを強いたり、性的指向を理由に除隊させたりする(「ドント・アスク、ドント・テル」法の下で、実際に14000人の兵士が性的指向を理由に除隊となったと言われています)ことは、同性愛者に対する差別であるばかりでなく、軍の精神に反するものであり、また、重要な人材を無駄にすることで軍事力低下にもつながっていると主張してきました。さらに、性的指向と部隊の有効性は無関係であるばかりか、兵士の何人かが同性愛者であるということを他の兵士たちが了承している部隊のほうが、そうでない部隊よりも結束が強く実績も高いという調査もあるくらいで、国防長官ゲイツ氏をはじめ、軍の指導者たちの多くも、「ドント・アスク、ドント・テル」撤回を支持してきました。それに対し、元大統領候補のジョン・マケイン氏を含む、撤回に反対する議員たちは、撤回によって部隊の結束が揺らぎ、戦場における効果的な軍事力の動員を低下させ、また、一部の市民が軍に志願するのを妨げる要因となり、現在米軍が戦争に携わっている状況のなかで「ドント・アスク、ドント・テル」を撤回するのは間違っている、と主張。

1月に共和党が下院の過半数を握り、上院でも民主党の影響力が低下する前に、なんとかこの撤回法案を通過させたことは、民主党の大きな実績となりました。Facebookでも、今日は私の「友達」の大勢がこのニュースについての投稿をして大喜びしています。

2010年12月12日日曜日

デジタル時代の雑誌

今日はホノルル・マラソン。去年よりは参加者の数がやや減少したとはいうものの、23,000人弱の人たちが朝5時のスタートを切りました。私はもちろん走りませんが、私のピアノの先生や、オレゴンに住んでいる友達夫婦が、この日のためにせっせとトレーニングをしていて、昨日は一緒にコースの一部を車で走ってチェックしたりもしたので、なんだか私まで興奮・緊張して、夜はよく眠れませんでした(その気になりやすい性格)。なんと日曜だというのに朝の9時から大学で会議があったため、友達をゴールで迎えることができず、会議が始まる前に沿道で応援に行こうと思っても、その時間帯に通るエリアは道路が通行止めになってどう考えてもそこに自分が行き着けない(その先に住んでいる同僚は、通行止めのため会議に来ることができず、車で15分のところに住んでいるにもかかわらずスカイプで会議に参加したという滑稽な事態でした)ので断念。でも、各参加者が10キロごとの地点を何分で通過したということをネットでチェックできるので、ほぼ1時間ごとに彼らの進み具合を確認。初めてのマラソンだというのにかなりいいタイムで完走したことを確認したときには、思わずコンピューターの画面を前にひとりで拍手してしまいました。

というわけで、やはりインターネットというのは便利なものですが、今日のニューヨーク・タイムズに、紙の新聞や雑誌が次々と廃れていくなかで、デジタル化の波にうまく乗ることで大きな赤字を黒字に転じ大幅に収益をあげた『アトランティック』誌についての記事があります。『アトランティック』誌は、153年間も続いている老舗の権威ある知的な雑誌で、『ニューヨーカー』や『ハーパーズ』と同じように、著者にとってはこの雑誌に記事が掲載されればたいへんな名誉だし、読者にとってはこの雑誌に目を通していることが一種の知性の象徴となるような媒体。知的な意味での評判はつねに高かったにもかかわらず、ビジネスとしてはおおいに苦戦し、David Bradley氏が同誌を買い取った1999年に450万ドル落ちた収益がその後の数年間でさらに落ち続けました。たいていの媒体ならそのまま下降を続けて倒産に至るところでしょうが、ここで『アトランティック』の巻き返しに決定的な役割を果たしたのが、ニューヨーク・タイムズ紙からJames Bennettという人物を引き抜き編集者にしたこと。Bennett氏のもとで、『アトランティック』は雑誌という紙の媒体のありかたを大きく考え直し、編集・営業の両方において紙とデジタル部門の垣根をなくし、若い編集者を多数採用した結果、2005年には収益が倍増、そのうちの約半分が広告収入で、広告収入のうちの40%がデジタル広告だそうです。素人にはこの数字の意味はわかりにくいですが、雑誌業界では広告収入の40%がデジタルというのは驚異的な数字らしい。

私も、キンドルを購入して以来、愛読誌の『ニューヨーカー』はキンドルで読んでいます。『ニューヨーカー』は毎号の表紙のデザインも紙質も独特で、紙の形態には愛着があるのですが、紙の雑誌だと、どうしても読まないまま数カ月ぶんが積ん読になってしまうことが多く、読みたいと思う記事でも結局読まないまま雑誌ごとゴミ箱行きになってしまいがち。読んだ記事でも、面白いと思ったものをいちいち切り抜いてファイルするなどというマメなことはめったにしないので、「いつかあのへんで読んだ」といった記事も記憶の彼方にいってしまう。それに対して、キンドルだと、過去の号も空間をとることなく全部アーカイブしておけるし、検索しやすい。といった点で、やはり電子版はとても便利。新聞や雑誌がジャーナリズムや言論活動の場として21世紀に力を発揮しつづけていくためには、良質なコンテンツへのコミットメントを続けると同時に、デジタル媒体の有効な使い方を模索していくことが大事だと、あらためて認識。

2010年12月10日金曜日

奴隷制地図

一昨日は、我が家の洗濯機兼乾燥機(たいていアメリカの家庭では驚くほど大きな洗濯機と乾燥機が並べてありますが、私のマンションは場所が限られているため、キッチンをリフォームするときに洗濯・乾燥が一台でできる韓国製のこじんまりとしたものに買い替えました)が不調なため修理に来てもらったのですが、「午後一時から三時のあいだに来る」とのことだったのに、実際に修理工さんが現れたのは五時四十分というあたり、いかにもアメリカ的。こうした点ではまだ日本的な感覚の残っている私は、大いにイライラしてしまうのですが、現れた修理工さんがなかなか感じのいい人だったので、簡単に機嫌を直してしまう私。ハワイでは、こうした熟練ブルーカラーの職業についている人は、アジアからの移民であることが多いのですが、今回の修理工さんもベトナム人の男性でした。電話の応対は奥さんがやり、修理自体は彼がすべてひとりで請け負い、島じゅうどこにでも出かけていく。そもそも私は、機械の修理などといったことについては自分がまったくの無能なので、即座に問題をつきとめてきぱきと機械を分解して直す様子を見ているだけで、深く感服してパチパチと拍手してしまうのですが、移民の人たちがこうやって技術を身につけ、小ビジネスを起業し、腕ひとつでこつこつと社会の階段を昇っていくというのが、たいへんアメリカ的で、私は素直に感動します。

さて、まるで関係ないですが、ニューヨーク・タイムズに載っている、Visualizing Slavery、つまり「奴隷制を視覚化する」という記事がなかなか面白く、私は貴重な午前中の時間をかなりこのサイトで遊ぶことに使ってしまいました。米連邦政府が国勢調査で南部の奴隷の数を最後に記録したのが1860年。その数カ月後に、海岸線の調査をする政府機関が、国勢調査のデータをもとに、奴隷の分布を視覚的に示した地図を制作したのですが、ひとくちに南部といっても奴隷の分布はなかなか複雑で、奴隷制と南北戦争の展開とが密接に結びついている(当たり前のようでいて、実際はなかなか複雑)ということがよくわかる。この地図で示されていることが、連邦側の戦略にどのように使われたかということもよくわかるし、この地図自体が奴隷制解放に至る過程で果たした役割も説明されていて、なかなか面白い(この記事に使われている、リンカーンその他を描いた絵の上でカーソルを移動すると絵の細部が見られます。これだけでも私なぞは子供のように喜んでしまう)。なんといっても、こうした視覚資料をニューヨーク・タイムズがネット上でこうした形で使うというのが面白い。

私は最近、さまざまな視覚資料を研究や教育活動のために無料で提供しているARTstorというデータベースがたいへん気に入って(ARTstorのメンバーになっている大学や美術館などに所属している人でないとブラウズできないようです、あしからず)、これまた何時間もこれで遊んで時間を使ってしまうのですが、資料のデジタル化というのは本当にすごいものです。大学院生の頃、図書館でNew York Times Indexという、ニューヨーク・タイムズの過去の記事を各年ごとにすべて項目化した分厚い本を、一冊一冊辛抱強く調べていった頃のことを考えると、リサーチというものの性質がまったく変化したのを実感します。せっかちな性格の私がよくもまああんな地道な作業をやっていたものです。

2010年12月8日水曜日

オバマ政権、高所得者層への減税策延長

ミドルクラス層のための減税や失業者への手当の延長と引き換えに、ブッシュ政権下に施行された高所得者層への減税策を2年間延長する、というオバマ大統領の案に、多くの民主党議員そしてオバマ大統領を支持してきた国民の多くが、大きな落胆と憤りを示しています。私自身も、いくらオバマ大統領のビジョンが正しくても政治プロセスというのは複雑なものだし、ここまで悪くなった経済というのは急によくなるものではないしと、さまざまな点において譲歩や妥協を強いられてきたオバマ政権に対し、辛抱と期待をもち続けてきましたが、これはさすがにイカン。高所得者層への減税延長は、民主党が綱領として掲げてきた理念の根本を揺るがすもので、ミドルクラスの各家庭にせいぜい数千ドルにしかならない減税と引き換えに、億万長者たちに巨額の減税を提供し続けるというのは、どう考えてもおかしい。この政策を正当化するのは、高所得者層への減税を延長することは景気対策になり、また、これと引き換えに、ミドルクラスや失業者への支援が手に入れられるのならば、今の現実において多くの国民を支援することになる、という理屈らしいけれども、この減税策で得をする高所得者層は、それで節約できるぶんのお金を、ものを買ったり人を雇ったりすることに使うわけではなく(もちろんそれもするでしょうが)、その財産をより増やすための資産運用に使う可能性が高いわけで、それが国民の生活や経済全体に直接及ぼす影響というのは比較的少ないはず。高所得者層への減税をやめて、財政赤字を減らし、手元のお金は日常的な出費にまわすミドルクラスにより多くの現金がまわるようにすれば、景気が向上するはず。というのは、数字に弱く経済に疎い私が単純に思うことですが、こう思うのは私ばかりではないということが、この政策を強く批判するさまざまなメディアで明らか。なかでも、左派メディアの象徴とされているコメンテーターのKeith Olbermannのコメントは、その激しさと鋭さにおいて圧倒的。(こうしたネット上の動画は、アメリカの外では見られないことが多いので、日本の皆さんには見られないかもしれません。あしからず。)左派のオンライン・メディアのSalon.comに載っているブログ論説も興味深いです。

先月の選挙で上院の過半数が共和党にわたった結果、高所得者層への減税廃止案が上院を通過する見込みがなくなってしまったために、譲歩・妥協策としてオバマ大統領が共和党のリーダーたちとともにこの案を出したわけですが、これでは、なんのための民主党政権なのかわからなくなってしまう。いくら共和党に譲歩をしたところで、核となる共和党支持者層が民主党にまわるわけはなし、これによって民主党支持者がオバマ大統領から離れてしまったら、2012年のオバマ大統領再選は難しいのではないかと思われます。あー、本当に困ったことになってきました。

ここ2日間の話題は、これに加えて、昨日は民主党の元大統領候補、ジョン・エドワーズの妻、エリザベス・エドワーズが亡くなったというニュース。私は、選挙選の初期には、経済・社会政策においてエドワーズが一番よいと思っていましたが、妻ががんで闘病中の不倫騒ぎで彼の政治生命が終わってしまい、いろんな意味で悲しいやら呆れるやらでした。今回、エリザベス・エドワーズについての記事をいろいろ読んで、私はなんだか知り合いが亡くなったような悲しみを覚えています。

2010年12月7日火曜日

真珠湾攻撃の記憶ふたたび





忙しいときにはいろんなことが重なるもので、私の学部で採用する新任教員のポジションの公募の最終候補(サンアントニオの学会で面接をした人たちをさらに数人に絞ったもの)たちのキャンパス訪問の真っ最中に、日本から母と叔父が数日間やってきました。

『アメリカの大学院で成功する方法』でも説明していますが、大学教員のポジションの選考の最終段階であるキャンパス訪問というのは、いわゆる「面接」とは違って、たいていの場合、ほぼ2日間にわたり、候補者は、研究発表やら模擬授業やらに加えて、dean(日本語では「学部長」と訳すようですが、アメリカの大学は日本と組織が違うので、deanは学部長とは役割がずいぶんと違い、大学の運営者側に位置する人です)いろいろな教員や大学院生と会って話をしたり、食事の席で社交をしたりしなくてはいけません。食事のときの会話も、「この人とは同僚としてスムーズにやっていけるか」「自分の専門以外のことにも幅広く興味をもって積極的に仕事に取り組む人か」といった点においてけっこう重要な判断基準になるので、候補者は呑気にお酒を飲んで楽しんでばかりはいられない(かといって、あまり生真面目で退屈な人間だと思われるのもマイナスなので、一緒にいて楽しい人間であるということも示せなければいけない)し、採用するほうも、自分たちの学部が協調的で居心地のいい職場であるということをアピールしないといけないので、お互いなかなか大変です。今回は、ふたつのポジションの公募を同時に行っているので、2週間のあいだに5人の候補が次々と訪問し、こちらも5人それぞれと一度は食事に行かないといけないので、スケジュール調整だけでもけっこうややこしい。それでもやはり、とくに私のいるような小さな学部では、ひとりの教員だけでもかなり大きな変化をもたらすので、新任教員採用はとても重要なことで、みんな張り切ってのぞんでいます。最先端で研究をしていて教育にも熱意まんまんの若い人たち(と言ってしまうあたり、自分がオバサンであるのを実感)と話をするのはとても刺激的です。

母と叔父の訪問は、3泊だけの短いものでしたが(日本人にとっては3泊のハワイ旅行というのはそれほど珍しくないかもしれませんが、アメリカ人にとっては、わざわざ日本からハワイにやってくるのになぜそんなに短いあいだしかいないのか、まったく不可解らしく、私の友達は一人残らず、「なんでそんなに短いの?」と聞いていました)、短期間のあいだにけっこういろんなところを見て、なかなか楽しんでいたようでした。日本から来る人を案内するたびに、自分はもう慣れてしまってなんとも思わなくなったことについて、改めて新鮮な目で観察するようになるので、興味深いです。日本から来る人が例外なく驚くのが、レストランで出てくる食べ物の量の多さ(たしかに多い)と、身体の大きい人の桁外れの大きさ(たしかに大きい)です。

観光コースの一部として、パール・ハーバーにも行きました。行ったのは2日前ですが、今日は真珠湾攻撃69周年の日です。今朝は例年通り、真珠湾攻撃を体験した退役軍人たちやコミュニティの人々が出席する式典が行われましたが、とくに今年は、この日に合わせてアリゾナ記念館に新しい博物館がオープンし、その記念も合わせて行われました。私たちが行ったときは、まだ博物館が開いていなかったので新しい展示がどんなものだか私はまだ見ていませんが、真珠湾攻撃にいたるまでやその後の戦争の歴史、日系アメリカ人を含む当時のハワイの社会などについて、従来の展示よりもより複層的な視点から歴史を語った展示になると言われていたので、近いうちに見てくるつもりです。以前は、港からアリゾナ記念碑(沈没した戦艦アリゾナの上に建てられた記念碑まで、ボートに乗って行き、記念碑から海面を見下ろすと戦艦の一部が見え、ときには油が水面にあがってくるのも見える)に行くボートに乗っている最中も、日本人には居心地の悪い、ナショナリズムに満ちた解説が流れていましたが、今回はその解説もなくなっていました。もう解説はしないことにしたのか、それとも博物館オープンとともに新たな解説がなされるようになるのか、そのへんも次回行ったときに見てきます。多くの日本人の意識のなかでは、真珠湾攻撃というのは、広島や長崎、あるいは沖縄戦と比べると、小さな位置を占めていると思われますが、パール・ハーバーはハワイの最大の観光スポットのひとつであり、真珠湾攻撃を体験した生存者が年々少なくなっていく現在でもこうして毎年式典が行われ、多額の資金をかけて博物館がリニューアルされるということを考えると、アメリカ人の歴史観のなかで真珠湾攻撃がいかに大きなものかということが認識されます。そうした歴史観の差異を理解するだけでも、とても重要なことだと思います。