2011年5月27日金曜日

ピアノというクスリ

一昨日、コンクール出場者は71人から25人にしぼられ、今日と明日が準本選です。当然ながら私は25人には入っていませんが、25人の顔ぶれを見ると、「そりゃそうだよな」という結果となっており、自分なぞとはまるっきり次元が違うことが明らか。準本選と本選の演奏を聴くのがとても楽しみです。

予選最後の日に、優勝候補のひとりと噂されているChristopher Shihの演奏がありましたが、彼の演奏を聴いていると、度肝を抜かれるというか、身体に震えがくるというか、深いため息が出るというか、もうそれはそれは素晴らしく、こんな人と私が同じ舞台で弾くなどということが、ばかばかしいやら可笑しいやら。「こういう人が出る舞台に、私なぞを立たせていただいて、本当に申し訳ありませんでした」と謝りたくなります。彼は1997年のプロのほうのクライバーン・コンクールに出場したという人で、つまりプロのピアニストとしてのトレーニングや経験を積んだ人なのですが、現在はなんと医者。プロのクライバーン・コンクールに出た人と私を一緒にされても困るのですが、そうしたことはともかくとして、彼のような人がプロの演奏家としての道を選択せず、それでもアマチュアとしてこのようなコンクールに出ようという気持ち、そのあたりに私はとても興味があります。機会があったらゆっくり話を聞いてみたい。

彼に限らず、このコンクールに出ている人たちの顔ぶれを見ると、実に考えさせられることが多く、私はここにいることがひとつの人生の転機になっているような気すらします。それは、これから真剣にピアノの道を志すとかそういったことではなく(もちろん、もっともっとピアノが上手くなりたいという気持ちはとても強くなりましたが)、この人たちと一緒にいると、私は、人間としてもっと優れた人間であらねばならないという気持ちになるのです。準本選や本選にいくような人たちが、ピアノ演奏と関係のない仕事をしたり子育てをしたりしながらそれほどの演奏能力を身につけるためには、私なんかとは比べものにならない努力をして、練習時間を作り、効率的な練習方法を身につけ、つねにより高きものを目指しているはず。ピアノ云々ということを超えて、そうした姿勢そのものに、人間として学ぶことが多いです。そしてまた、自分の人生のなかで、ピアノをどういう位置づけにしたいかということについても、深く考えさせられます。もっと上手くなるために、自分の時間や労力やお金の配分を大幅に変更して、ピアノにもっと集中することも可能。でははたしてそれが自分が本当に求めていることかというと、私の場合はそうも言いきれない。コンクールが始まってから興奮しすぎて夜眠れない(ふだん私はよく寝る人間なのですが、コンクールが始まってからは自分の演奏が終わってからも連日3−4時間しか寝ていません)ので、ベッドで横になってここで経験したことを考えていると、私の頭に浮かんでくるのは、執筆プロジェクトの案。これだけ刺激的な音楽体験をしながらも、それについてなにをどう書きたいか、ということにまず頭がいくのは、自分の性向や資質が一にも二にも物書きであって、ピアノ弾きというのはそれより下にある、ということなのだなあと、自分で改めて認識して感心(?)したりしています。

さて、昨日は、ピアノ・マラソンという催しがありました。これは、プロのコンクールのほうでもあるのですが、準本選に残れなかった出場者のうち希望者が、残りのプログラムの一部を同じ舞台で演奏できるというものです。審査員もいなく、聴衆も少なく、リラックスした雰囲気のなかで演奏するので、こちらでのほうが本番よりずっといい演奏をする人も多いです。私も、とにかくシャコンヌを大きなピアノで弾いてみたいので、弾いてきました。予選で弾いたバーバーの思い出組曲のうちのヘジテーション・タンゴをもう一度(もっと上手く弾けるということを自分にも友達にも証明したかった)弾いてから、シャコンヌを弾いたのですが、この20分で、いろんなことを勉強しました。なんのプレッシャーもないので緊張はまるでせず、気分はノリノリで弾いたので、とくにタンゴはとても楽しくパンチのきいた演奏ができたと思いますが、緊張しないぶん、どうしても集中力が100%でなく、ディテールへの配慮は散漫で、ラフな演奏でもありました。しかし、ハンブルグ・スタインウェイをああしたホールで弾くのは、麻薬のようなもので、下手でもなんでも、とにかく快感。私はハワイでは電子ピアノで、東京ではアップライトピアノで練習しているので、こんな楽器とホールをどう扱っていいものかまったくわかっておらず、自分がピアノという楽器の性質をちゃんと理解していないということがよくわかりました。ピアニッシモで和音を弾くとまろやかに温かく響きわたるその音に、自分でびっくり感動してしまい、しかし感動している間に曲は進んでいくので、そのときどきに気をつけなければいけないことに気が回らなくなる。そして、楽器とホールの素晴らしさに合わせて鍵盤のタッチやペダルの踏みかたを適宜調整しながら弾くということができない。なので、とてもムラのある演奏になってしまうのですが、まあそれはそれとして、とにかく麻薬のような快感。私はポルシェを運転したことはないけれど、きっとポルシェを運転するのはこういう感じなんじゃないかと想像します。私たちのようなアマチュアがこんな楽器を触らせてもらうためには、よほどの大金持ちでもなければ、こうしたコンクールに出場するくらいしか機会がない。というわけで、大枚をはたいて、有給をとって、せっせと練習して、わざわざテキサスまで世界からやってくるアマチュアピアニストたちの気持ちはよくわかります。それにしても、予選を通過できなかった人たちにも、こうしてこの楽器をもう一度演奏させてくれるというその心遣いが、やはりクライバーン・コンクール運営者たちの粋なところだと思います。

ピアノ・マラソンに加えて、昨日はコンクール出場者のうちの希望者がプロの音楽家と室内楽を譜読みできる、という企画もありました。私はふだん室内楽を弾く機会などないので、これまたありがたしと張り切って参加し、ブラームスのクラリネット三重奏のアダージョ(自分のレパートリーを練習するので精一杯なので、音符がたくさんあって拍が変化してややこしい他の楽章はなしで、アダージョだけお願いしました)を合わせてもらったのですが、これまたソロとは違った快感。クラリネットとチェロの人たちもとても優しく、室内楽というものを形にしていくためにはどういうことに気をつけるべきかということを示してくれて、最高に楽しかったです。この室内楽はコンクールでは今年初めての企画らしいのですが、たいへん素晴らしいアイデアだと思います。

といったわけで、さっさと敗退したにもかかわらず、最高に楽しく刺激的な毎日を過ごしています。