あさってからは、紆余曲折を経て結局プログラムを大幅に変更・縮小して開催にいたったラフォルジュルネが東京国際フォーラムで始まります。本当は、このイベントをさまざまな角度から取材させていただくという話があったのですが、震災の影響で開催そのものが一度とりやめとなり、その後またプログラムを変更して開催となったといういきさつから、事務局のかたはとてもじゃないけれども私の取材の案内などをしている場合ではなく、ともかくいくつかのコンサートに行って自分で歩き回ることにしました。取材のプレッシャーなく純粋に音楽を鑑賞するのも、それはそれで楽しみです。
文化イベントといえば、いよいよ今月後半にせまったアマチュア・クライバーン・コンクール。毎日数時間せっせと練習に励んでいますが、そうこうしている間に、2009年のコンクール見学のときに隣の席で仲良くなったジェリーさん(といわれてもなんのことだかわからないかたは、『ヴァンクライバーン 国際ピアノコンクール』を参照してください:))から、数日毎にメールがあります(一日に何度もメールが来ることもあります)。「このあいだノブ(辻井伸行さん)がフォートワースで演奏をしにきたので聴きに行ったが、コンクールのときよりさらに素晴らしい演奏で、忙しいスケジュールのなかでもちゃんと芸術性を伸ばしているのをみて安心した」とか、「僕と同じ通りに住んでいるクラウディアという女性が、クライバーン・コンクールの舞台裏で演奏者の面倒をみるボランティアを何十年もしていて、アマチュア・コンクールでも君たちの世話をするはず。彼女はあれこれ指図するけど、なんでもよく知っているので、彼女の指図はちゃんと聞いて従うべし」とか、「ロン(2009年に私とジェリーさんと一緒の列に座ったもうひとりのおじさん)もマリと一度食事をしたいと言っている。もちろんマリは日曜日の本選まで演奏が続くことを祈っているから、全部が終わるまでそんな余裕はないかもしれないけど、どうかな?」とか、「万が一予選を通過しなかったら、残りのプログラムをプライベートなリサイタルで演奏するかい?そうしたかったら、僕がどこか会場を確保できると思う」とか。別にコンクールの運営に直接かかわっているわけでもなく、単なる街の一音楽愛好家である彼が、よくもまあアマチュアのピアノ・コンクールにここまで熱心になるなあと、感心もするし感動もするのですが、『ヴァンクライバーン 国際ピアノコンクール』でも書いたように、こうした街の人々の純粋な熱意が、芸術文化を育てるのだと思います。今日の舞台の後で上映された映像のなかで、平田オリザ氏は、社会における芸術の役割は大きく分けて(1)芸術そのものの意義、(2)コミュニティの育成や活性化、(3)教育・福祉・観光などの公共的な効果、という三つにある、ということを述べていましたが、そうした視点から考えると、クライバーン財団は見事にそれら三つの役割をこなしているのだと改めて感心します。ジェリーさんがそこまで言ってくれているのに、私の演奏がしょぼかったら申し訳ないので、観劇やコンサート鑑賞の合間に演奏を磨かなければ。