2009年1月17日土曜日

『Gran Torino』

昨晩、クリント・イーストウッド監督・主演の映画『グラン・トリノ』を観てきました。『硫黄島からの手紙』を初め、クリント・イーストウッドの最近の映画はなかなかスゴいなあと思っていたのですが、これもたいへん考えさせられる映画です。ドラマチックな筋は伏せておきますが、中西部のある町(映画のなかではどこと特定されていませんが、中西部でモン族が多いのはミシガンやウィスコンシンで、また、イーストウッドが演じる主人公はもとフォードの自動車工場で働いていたという設定で、最後には大きな湖のシーンが出てくるので、ミシガンかもしれません)の、荒れた労働者階級の居住区(と日本語で書くとなんだか違和感がありますが、dilapidated working-class neighborhoodの訳です)を舞台に、朝鮮戦争の退役軍人で長年フォードの工場で勤めていたポーランド系の主人公と、彼の隣の家に住むモン族(日本語のウェブサイトでは、「アジア系少数民族の移民」と書かれたものが結構ありますが、ベトナム戦争時の複雑な歴史を背負ってアメリカに移住したモン族は移民ではなくて難民としてアメリカにやってきたので、これは正確な表現ではありません)の家族の関係を描く物語です。

現代アメリカの人種問題をテーマにした映画はたくさんあって、たとえば先日の「映画ランダム15選」にも挙げた『クラッシュ 』は、多様な視点から人種問題の複雑さを描いていますが、『グラン・トリノ』は、ずっとミクロな焦点で人種や社会階層のありかたを捉えています。(といっても、物語の中心は、人種間の対立ではないのですが。)主人公は、自分の腕で身の回りのことをなんでもすることに誇りをもつ、プラクティカルなブルーカラーの感性を体現していると同時に、家と芝生が象徴する「自分の領域」とライフスタイルを、銃を取り出してでも守り、非白人にはあからさまな敵対心を示す、頑固な偏狭さも体現しています。未知と偏見に満ち、現代ではミドル・クラスのあいだではまず聞かなくなったあらゆる人種・民族的差別用語(これは字幕でニュアンスを正確に伝えるのが難しいだろうと思います)がごく普通の日常会話の一部となっている彼の姿は、「政治的公正さ」という点ではまるで公正ではありません。が、物語を通じて明らかになる彼の道徳観や社会観、そして、彼と床屋や土建のオヤジたちとの会話に見える、ブルーカラー独特の「男らしさ」の理想は、リベラルなミドルクラスの論理とはまったく別の形の人間関係のありかたを示していて、差別とはなにか、偏見とはなにかということを改めて考えさせてくれます。『ミルク』と同様、日本ではゴールデンウイーク公開らしいので、それまで覚えていておいて、是非両方観てみてください。

関係ないですが、『新潮45』の最新号は本日発売です。今回の「恋愛単語で知るアメリカ」は「誘い文句・別れ言葉」編です。どうぞよろしく。