2012年12月17日月曜日

ダニエル・イノウエ上院議員逝去

いろんなことがあっていつにも増して忙しかった学期末の数週間が過ぎ、先ほど採点を終え、今学期の大学関連の業務はもうちょびっとで終わります。ここ数日間は、コネチカットの小学校での銃乱射事件で言葉を失うほどの衝撃を受け、「なんだって自分はわざわざこの国に住んでいるんだろう」と思っているさなかに、日本の選挙の結果を知り、こちらについてもウームと唸る状態。

国家の状況に取り組むにしても、とりあえず目の前にある自分の仕事をきちんとしなければ、と気分を切り替えて自分の執筆に集中しようと思っているさなかに、ハワイのダニエル・イノウエ上院議員逝去のニュースが入ってきました。88歳とはいえ、そんなに健康状態が悪かったとはまるで知らず、突然のニュースだったので、びっくりしました。

ダニエル・イノウエ議員は、上院でも勤務年数最長のベテラン中のベテラン議員でした。日系移民そして日系二世がアメリカ西海岸(および一部の人はハワイでも)で強制収容されるなか、日系人ばかりの442部隊(戦争中もっとも功績の多かった部隊のひとつ)に入隊し、イタリア戦線で負傷し右腕を失いました。軍の病院で治療・リハビリを受けた後ハワイに戻ってハワイ大学を卒業し、ワシントンのジョージ・ワシントン大学で法律を学んでから、1954年に多くの日系人が当選したいわゆるハワイの「民主党革命」といわれる大きな変化の流れのなかで、政治家としての道を歩み始め、ハワイが1959年に州としての地位を獲得するとともに、連邦議員としてのキャリアを築き始めました。その後、地元ハワイにさまざまな資金をもたらすと同時に、ウオーターゲート事件やイラン=コントラ事件の調査、公民権推進や貧困対策、先住民文化の保護などに大きな貢献を果たし、レーガン政権中の1988年には戦時中強制収容された日系人に謝罪と補償をする法案を、さらに1993年には、1893年にハワイ王国がアメリカ政府によって不当に転覆させられたことについてクリントン大統領が謝罪する法案を実現させるのに決定的な役割を果たしました。日系人、アジア系アメリカ人、非白人の政治家としてまさにパイオニアの存在であるばかりでなく、ベテラン上院議員として党を超えたきわめて強力な政治力をもっていたイノウエ氏。おりしも、もうひとりのハワイからの上院議員のアカカ氏が引退して、メイジー・ヒロノ氏にバトンタッチするところ。今後のワシントンにおけるハワイの位置づけがたいへん気になるところです。

報道によると、イノウエ氏の最期の言葉は、「Aloha」だったそうです。なんと素敵なお別れの言葉でしょうか。こちらからも、Aloha, Senator Inouye。いろいろな新聞の報道もなかなか興味深いので、よかったら読み比べてみてください。

ハワイの地元新聞はこちら
ニューヨーク・タイムズはこちら
ウオール・ストリート・ジャーナルはこちら
日本版もできると最近発表されたハッフィントン・ポストはこちら

2012年11月22日木曜日

Nayan Shah, _Stranger Intimacy_

こちらは今日はサンクスギビング。私は人生においてすでに22回(かな?)もサンクスギビングをアメリカで過ごしているにもかかわらず、いまだに一度も七面鳥を自分で焼いたことがないという驚異的な事実。なにしろ一人暮らしでは、いったんあんな鳥をオーブンで焼いてしまったら残り一生七面鳥ばかり食べることになるのではいうくらい大きいし、いつも人の家に出かけて行ってご馳走をいただくばかりで、たまには自分がホストしようかと思っても、人をよぶ前にまず練習で焼いてみなければと思うとなんとも面倒で、ついついよばれるがままに出かけて行ってしまうのです。今朝はせっかくの休みなのに早く目が覚めてしまったので、早朝ジョギングで400カロリー弱消費してきたものの、これから三つのパーティをはしごするので、400カロリーくらいではどうにも太刀打ちできない模様。

さて、先週は学会でプエルトリコに行ってきました。初めてだったので楽しみでしたが、学会の仕事と、私の学部で新任教員を採用するための一次面接を学会中ずっとやっていたので、観光はまるでできずに終わってしまいました。食事のときにちょっとサン・ホアンの旧市街をまわって、スペイン植民の歴史と現地の暮らしが興味深い形で混じり合っている様子がなんとも面白そうだったので、またいずれゆっくり行ってみたいです。

ハワイとプエルトリコは、まさにアメリカ領の西から東の端同士で、飛行機乗り継ぎ2回を含め片道20時間もかかります。時差も6時間。40代の身体にはなかなかツラい。その長旅の友としたのが、最近カリフォルニア大学サンディエゴ校から南カリフォルニア大学に移ってアメリカ研究・エスニシティ学部の学部長となったNayan ShahのStranger Intimacy: Contesting Race, Sexuality, and the Law in the North American West。彼の前著Contagious Divides: Epidemics and Race in San Francisco's Chinatown
も面白かったけれど、それにも増してこれはものすごい渾身の力作。狭く暗い座席で小さな光をもとに本を読むのは疲れるわ、疲れと時差で眠いわで、本当は飛行機では寝たかったのだけれど(そして実際に何時間かは寝もしたけれど)、読み始めたらあまりにも面白いのでついつい先を読み進めてしまい、往復の旅でほぼ読み終わり、ハワイに戻ってきてから結論を読みました。

この本は、20世紀初頭に南アジアからアメリカそしてカナダの西海岸に渡った労働者たちが、同胞の仲間たちそして白人や多人種の人々と、さまざまな形の親密な関係を築いていく過程において、彼らの人種や性にどのような意味付けがなされていったか、そしてそれらの意味付けが彼らの市民権をどう形作っていったかを、緻密な調査によって明らかにするもの。まず第一に、そのリサーチがすごい。裁判や移民局の記録やら、結婚や離婚の記録やらをくまなく調べ尽くし、南アジア出身の労働者たちの住生活、性生活、労働生活などを鮮明に描きだす。それなりにアジア系アメリカ研究は勉強してきているつもりの私も、まるで知らなかったという類いの話がもりだくさんで、単に「お話」の次元でもワクワクします。これらの労働者たちは、同胞の労働者たちとの共同生活のみならず、自分のもとで働く白人の労働者や、自分よりもずっと年下の少年(「青年」かな)、あるいは街で出会った白人の男性などと、性行為を含むさまざまな親密な関係を築き、移動性の高い労働形態そして同胞の女性との結婚を困難にする移民法の現実のなかで、自分たちなりの共同体そして「家族」を形成していきます。そのいっぽうで、20世紀が進むにつれてどんどんと強固になる二項対立的な性の定義とヘテロノーマティヴな「結婚」や「家庭」の概念が、そうした移民たちの生活や人間関係を排除し、あからさまな人種差別に変わって性と家庭の規範がこうした移民たちの市民権や財力を剥奪する道具となっていきます。その歴史的な流れを、実に多様な「家族」たちの物語を通じて見事に分析し理論化するShahの研究者そして執筆者としての手腕に、唸るばかり。ちょうど一昨日大学院の授業でMary LuiのThe Chinatown Trunk Mystery: Murder, Miscegenation, & Other Dangerous Encounters in Turn-of-the-Century New York Cityを使ったばかりなのですが、いろいろな意味でLuiの本と一緒にして読むとさらに理解が深まり、アイデアも広がります。歴史研究の醍醐味を感じさせてくれ、アメリカ研究・人種研究・セクシュアリティ研究をする人には必読の一冊です。プエルトリコの学会でShahに5秒ほど会ったのだけれど、その時点ではまだ読んでいる途中で感動を伝えられなかったので、後でメールで賛辞を送るつもりです。

では、七面鳥第一弾のブランチを食べに出かけてきます。

2012年11月7日水曜日

選挙あれこれ

昨日は朝一番で投票に行ってから、結果が出るまでの数時間は仕事をしようと一応コンピューターに向かったものの気が気でなく、インターネットで選挙情報ばかりチェックする状態で結局ほとんどなにも達成しないままに終わり、夕方からは我が家に友達が集まってみんなでテレビを見ながらの「Four More Years Party」をしました。オハイオ州のおかげで意外に早く結果が出て、CNNがオバマ再選を宣言した時点でシャンペンを一本あけ、ロムニー氏が敗北宣言をした時点でもう一本あけ、オバマ大統領の再選スピーチの時点でもう一本。みんな、たぶん大丈夫だろうと思いながらも、万が一のことになったらどうしようという不安も抱えていたので、仲間とともにこのときを共有するのはとても心強く、(これは結果がよかったからですが)楽しいものです。我が家に限らず、私のまわりでは各地で選挙ウオッチングパーティが行われていましたが、このように選挙の結果をみんなで一緒に見守る、という文化は、やはりなんだかんだいって政治というものへの期待や希望が健在だからこそのものではないでしょうか。日本では、立候補している人が自分の身内や友達ならば、その人を囲んで選挙結果を見守るということはするでしょうが、そうでない一般の人たちがこのような「選挙パーティ」をして、シャンペンをあけたり冷や汗や涙を流す、という光景はあまり想像できないのでは。

さて、オバマ大統領の再選には本当にほっとしたものの、議会の関係はほとんど変化していないし、実際の投票数をみても、オバマ氏の大勝とはとてもいえないのが事実。オバマ大統領の勝利演説も、2008年の夢と希望に満ちたものとは種を異にするもので、現実の困難を前にした、実に厳粛でsoberingなものでした。「私はみなさんから多くのことを学び、みなさんの力でよりよい大統領になりました」という一言がさすが。(それにしても、チェルシー・クリントンのときもそうでしたが、オバマ大統領のふたりの娘、驚くほど大きくなったなあと、テレビを見ながらみんなで驚嘆しました。)

オバマ大統領再選については日本でもいくらでも報道されているでしょうから、選挙にかんするそれ以外の話題をいくつかご紹介します。

まず、ワタクシのお膝元ハワイでは、引退を表明したアカカ上院議員の後任ポストに、民主党のMazie Hirono下院議員と共和党のLinda Lingle元州知事が出馬していましたが、圧倒多数でHirono氏が当選しました。福島生まれで、8歳のときに母親とともにハワイに移民してきた彼女は、アジア人女性としては初の上院議員、また日本生まれの初の上院議員となります。また、ハワイ選出の下院議員には、日系のColleen Hanabusa氏とサモア生まれでヒンズー教徒のTulsi Gabbard氏のふたりの女性が当選。これによって、Daniel Inouye氏を含む4人のハワイ選出の上下両院の議員の全員が非白人、4人中3人が女性となります。また、ホノルル市では、もうずっと前から議論されている高架鉄道による公共交通網が市長選の争点となっているのですが、現行案に強く反対しているBen Cayetano元州知事はあっけなく落選(Cayetano氏は知事時代に公立教育への支援があまりにひどく、ハワイ大学および公立学校の教員がストライキをする事態になり、私も「ピケットキャプテン」をつとめた経験があるので、私もCayetano氏には投票せず)し、Kirk Caldwell氏が当選しました。

Mazie Hirono氏だけでなく、マサチューセッツ州のElizabeth Warren氏、同性愛者であることを公表している初の上院議員となるウィスコンシン州のTammy Baldwin氏などの当選によって、上院には史上最高の20人の女性議員が入ることが確定しています。下院でも現在の73人を上回る77人の女性議員が確定。レイプや中絶をめぐる共和党議員候補の極端な発言や、雇用における性差別にかんするロムニー氏の態度が大問題となっていましたが、これらの女性の当選は、政治におけるいわゆる「ガラスの天井」を打ち破るのに確かな一歩となっていると思います。

また、メイン州とメリーランド州では、同性婚を合法化する住民投票が通過し、住民投票によって同性婚が合法化される初のケースとなりました(これまで同性婚が合法化された州では、議会での立法または司法の判決による合法化でした)。これも、徐々にアメリカ国民の意識が変化していることの明るい印だと思います。

さらに、コロラド州とワシントン州では、娯楽目的でのマリファナの使用が合法化もされました。

というわけで、経済においても政治においてもけっして楽観するような状況ではないものの、悲観のあまりカナダに移住するような事態でもなく、「よし、頑張ろう」と気を引き締める、というのが今の現実。ともかく選挙で気が散ることはなくなったので、自分もアメリカも、平常心を取り戻してさまざまな仕事に集中せねば。ともかく、記念に、先日アラモアナ・ショッピングセンターで見つけたオバマグッズの写真を載せておきます。

2012年11月5日月曜日

Diana Vreeland: The Eye Has to Travel

もちろん日本でも報道はされているのでしょうが、フェースブックの投稿などを見るかぎり、先週アメリカ東海岸をおそったハリケーンへの日本の人々の反応はかなり鈍いというか、その深刻度が日本にはあまり伝わっていないようだという印象を受けますが、どうなのでしょうか。マンハッタンを含む広域で何百万人もの人が何日間も停電・洪水のなかで過ごし、被害者の数や家屋などの物理的破損・経済的損害も相当なものですが、ウオール・ストリートやニューヨークの地下鉄・トンネルなどが停止してしまうということの心理的打撃はかなり大きいのではないかと思います。

そして、明日はいよいよ選挙。一時はどうなるかと寿命が縮まる思いでしたが、ハリケーンへの対応によってオバマ大統領の再選見込みは助けられているような感触。それでも、もしもロムニー氏に転んでしまったら、最高裁判事の任命など、長期的に非常に大きなインパクトが予想されます。今回は時間がなくてあまり選挙戦に参加できていないのですが、明日は2008年同様、友達と集まって選挙の結果を見守る予定です。

さて、それとはまるで関係ないのですが、今週末に観た映画がたいへん面白かったのでご紹介。Diana Vreeland: The Eye Has to Travelという映画で、20世紀のアメリカ文化においてもっとも影響力をもった女性のひとりとされる、Diana Vreeland (1903-1989)の生涯と仕事と人となりを追ったドキュメンタリーです。

Diana Vreelandは、『ハーパース・バザー』誌のファッション欄担当の編集者を長年務めた後、『ヴォーグ』誌の編集長として、ファッション界の女王の座を占めた人物。『ヴォーグ』誌のポストを失った後は、メトロポリタン美術館の衣装研究所のディレクターとして、メトロポリタン史上初めて存命中のデザイナーを扱った展示を開催したり、美術とファッション・風俗の境界に挑戦を挑むような企画を次々と立ち上げて話題を呼びました。このメトロポリタンの職についたのは、彼女が70歳を迎えた後だったというのだから、そのバイタリティとクリエイティヴィティに脱帽。ファッションや写真を芸術の域まで高め、ジャクリン・ケネディのファッション・アドバイザーをつとめ、ツイッギーやシェールをデビューさせ、標準的な美人とはいえない女性たちの個性を前面的に押し出してその魅力を伝え、奇抜な構想でふんだんに予算を使ったファッション写真を次々に世に出していった彼女。読者が最初のページから最後のページまで順に通して筋を追うのではなく、あちこちに目を飛ばしながら瞬間的・断片的な新鮮さ・面白さをつかむという雑誌という媒体の特性をぞんぶんに活かして、雑誌そのものの価値を高めたという功績も。

映画はまさにその雑誌のような編集になっていて、何十年ものあいだに彼女がテレビ番組などでさまざまなジャーナリストたちと行ったインタビューの数々を切り貼りすることで構成されている。ゆえに、ひとつのテーマが徐々に展開されるとか、筋道だった物語があるとかいうわけではなく、話のなかには謎に包まれたままのこともあるのですが、それはそれでむしろ面白い。なにより魅力的なのが、Vreelandの人柄です。子供の頃は、妹と比べると容姿が悪いとして母親に可愛がられなかった、という彼女。映画にも登場する何人もの人がいうように、たしかに古典的な美人ではないかもしれない(とはいえ、とくに若い頃の写真をみると、ものすごーい美人のように私には見えますが)けれど、確固とした自分をもち、言いたいことを強くもち、それを堂々と人々に伝え、好奇心旺盛で偏見や因習にとらわれず、面白いことにはなんでも飛びついていく、その姿には、とてもインスパイアされます。いろんな意味でハチャメチャな人物なのですが、ハチャメチャのなにが悪い、と思わせてくれるような魅力と確信が彼女にはあります。日本で公開予定があるかどうかわかりませんが、機会のあるかたは是非観てみてください。

2012年10月14日日曜日

潮博恵『オーケストラは未来をつくる』

昨晩、ハワイ大学で開催されたハオチェン・チャンのリサイタルに行ってきましたが、想像どおり、というより想像を超えた演奏でした。2009年のクライバーン・コンクールのときは、彼のことを初めて知ったばかりで、もちろん演奏を聴くのも初めてだったし、なにしろコンクールという舞台だったので、それぞれの曲の演奏のすごさに驚嘆するばかりでしたが、今回はれっきとしたプロの演奏家となった彼のリサイタル。ほぼ毎日別の都市で演奏するというスケジュールのなかでは、練習時間を確保するのももちろんですが、毎回ほぼ同じプログラムの演奏に新鮮さや感動を保ち続けるのも難しいだろうと思うのですが、そんなことはみじんたりとも感じさせない、最高の演奏でした。私がコンクールのときに「天才だ」と思ったのに間違いはなかった、と今回さらに確信。技術的なことにももちろん驚嘆するのですが、それよりなにより、深い知性に裏付けされた繊細でかつ完璧にコントロールされた音楽性がすごい。それは、「月光ソナタ」の第一楽章や、シューマン「謝肉祭」の静かでゆっくりな部分(ペダルの使用をとても抑えている)やドビュッシーの前奏曲などによく表れます。プログラミングも非常によく考えられていて(今回ハワイで演奏したのは来週の日本ツアーと同じ演目)、音色や情感の幅を聴衆が堪能できるようになっています。あー、行ってよかった。

でも、今回の投稿の目玉はハオチェンではなく、今月あたまに発売になったばかりの新刊、『オーケストラは未来をつくる マイケル・ティルソン・トーマスとサンフランシスコ交響楽団の挑戦』の紹介です。著者は、2006年以来マイケル・ティルソン・トーマスとサンフランシスコ交響楽団の活動を追跡・紹介するウェブサイトを運営してきた潮博恵さん。このサイトで私の『ヴァンクライバーン 国際ピアノコンクール』を紹介してくださったのをたまたま目にしたところ、その紹介のしかたが非常に的を得ていて、著者が伝えたかったこと・感じ取ってほしかったことを正確に捉えてくださっているのに感動。そしてサイト全体を見てみると、潮さんがサンフランシスコ交響楽団にかける情熱と驚くべき調査能力とフットワーク(なにしろ、たまたま聴いた一枚のCDに感動して、次の週末にはサンフランシスコまで飛んで演奏会に行った、というのだからすごい。そして、サンフランシスコだけでなく、ヨーロッパだろうがマイアミだろうが、どこでも出かけていくその行動力には圧倒されます)もさることながら、問題意識のもちかたや見聞きしたことの分析・評価、そして情報や文章のまとめかたに、キラリと光る知性(そしてユーモアのセンス)が満ちている。サンフランシスコ交響楽団のことだけでなく、芸術支援全般について幅広い知識と関心をもっているかたであるのが明らかなので、私は潮さんに連絡をとり、光栄にも知り合いとなることができました。で、「これだけ調べ上げ、まとめあげているのだから、このサイトの内容を本の形にしたらいいですよ」と提案し、アルテスパブリッシングの編集者をご紹介してみたところ、本当にそれが実現した、という次第。というわけで、私は自分が書いた本でもないのに、勝手に半分自分の手柄のような気持ちになっているわけです。

と、前置き説明が長くなりましたが、肝心の内容です。日本では、海外オーケストラというと、ベルリン・フィルだとかウィーン・フィルだとか、ヨーロッパの名門オケをありがたがる傾向が強く、アメリカのオーケストラでもせいぜいニューヨーク・フィルハーモニックや小澤征爾が数十年間リードしたボストン交響楽団くらいしか、一般の人には馴染みがないだろうと思います。ニューヨーク・フィルやボストン交響楽団が非常に立派なオケであることは間違いないですが、アメリカで今もっとも「元気のある」オーケストラといえばむしろ、『現代アメリカのキーワード』でも紹介したロスアンジェルス・フィルやここで紹介されているサンフランシスコ交響楽団といった、西海岸のオケ。ロスアンジェルス・フィルは、フランク・ゲーリー設計のディズニー・ホールとエサ=ペッカ・サロネンの指揮のもとで大きく発展した後、クラシック音楽界の新星ギュスタヴォ・デュダメルを迎えて、もうコワいものなし、という感じですが、そのかたわら、サンフランシスコ交響楽団は、1995年以来音楽監督を務めているマイケル・ティルソン・トーマスのもとで、音楽的にも社会的にも多様で重要な問いかけをしながら、第一線の活動を続けています。

この本の核となっているいくつかのポイントは以下のようなもの。

ひとつは、クラシック音楽におけるクリエイティヴィティとはなにか、とくに、オーケストラの演奏が現代の人々にとってもつレレヴァンスとはなにか、という問い。演奏されるレパートリーの多くが百年以上前に作曲されたものであり、いわゆる「名作」はありとあらゆる演奏家が繰り返し演奏・録音をしてきているクラシック音楽の世界において、今の時代の聴衆にとっても意味をもち、問いかけや挑発や興奮を与える音楽創造とは、どういう行為か。

もうひとつは、オーケストラという組織が地域社会、そして広く世界に提供するものはなにか、という問い。アメリカでは、都市の大小にかかわらず、オーケストラはその「街のもの」という意識が強く、ボードと呼ばれる理事会の役員からボランティアをする一般市民にいたるまで、地元の人々がその運営にかかわり支援している。運営資金も半分以上が民間からの寄付によるオーケストラがほとんど。そうしたなかで、オーケストラが地域の人々に愛され支援され続けるためには、どんな活動をしてどんな関係を築いていくことが必要か。また、グローバル化が進むなかで、地元だけでなくひろく世界に評価され、芸術界のリーダーとして活動するには、なにをすべきか。そしてさらに、オーケストラを支える市民の役割とはどんなものか。オーケストラがどんなに頑張って素晴らしい演奏をしたとしても、聴衆がそれを受け身でありがたがっているだけでは、現代の経済構造のなかではオーケストラが持続的にいい活動を続けていくことは難しい。オーケストラが社会で重要な役割を果たす有機的なメンバーとなるためには、市民がなにをすべきか。

そしてさらには、現代において、インターネットをはじめとするテクノロジーと、クラシック音楽は、どのような関係をもちうるか、という問い。新しいデジタル技術がもたらす可能性を、芸術性をさらに高め、かつ音楽家や聴衆との関係を深化させるために使うためには、どのような方法があるか。

といった問いを、潮さんは、マイケル・ティルソン・トーマスのビジョンとリーダーシップ、そしてサンフランシスコ交響楽団が取り組んできたさまざまなプロジェクトを丁寧に紹介しながら考察しています。潮さんは大学で音楽学を専攻し、音楽にかんして深い知識をもった人なので、演奏の記述にかんしてはいわゆる「クラオタ」の読者にとっても読み応えのあるものとなっていますが、この本の中心は、演奏について細かくあれこれ批評することにあるのではなく、芸術団体と社会のかかわりあいを考えることにあります。なので、とくにクラシック音楽の素養がない人でも、クリエイティヴィティの追求や組織の運営・経営といった視点からたいへん興味ぶかく読めるはず。とくに、サンフランシスコ交響楽団の教育プログラムや、ネットを通して世界の誰でも視聴できる「キーピング・スコア」というドキュメンタリーとコンサート映像のプロジェクト、自主レーベルによる録音、フロリダにある若手音楽家養成のためのプログラムであるニュー・ワールド・シンフォニーや、インターネット時代のクラシック音楽のありかたを模索するユーチューブ・シンフォニーなどについての記述は、読んでいて実にワクワクし、是非自分も観てみようとか、いつか現場に行ってみたいとかいう気持ちになります。そしてこの本、読んでいてなんだか「自分も頑張ろう!」という気持ちになって元気が出ます。そして、「ああ、こういう才能とビジョンにあふれた人たちが、こんなに頑張って新しいことを開拓し、社会と文化を刺激し続けてくれているんだったら、世界には希望がある」と思わせてくれます。

あえて注文をつけるなら、サンフランシスコという街そしてベイエリアという地域がどういう歴史と風土をもち、どういう人々がそこに住んでいて、それが東海岸や中西部などとはどのように違う気質を生んできたのか、シリコンバレーのIT産業の成長が地域社会にどんな影響を与えてきたのか、それがサンフランシスコ交響楽団にとってどういうことを意味してきたのか、といったことについて、もうちょっと詳しい記述があればよかったなあと思うのですが、それはアメリカ研究者としての個人的な希望。とにもかくにも、この力作、知識も増えるし、さまざまなことを考えさせられるし、感動も元気も得られる(また、笑わせてももらえます。184ページの「ハックション!!」エピソードには大笑いしました。「事件」自体も可笑しいけれど、それを描く潮さんの姿勢と文章がまた面白い)しで、よいことづくめなので、ぜひとも今すぐご購入を!



2012年10月12日金曜日

The Sapphires @ ハワイ国際映画祭

今年で32回目を迎えるハワイ国際映画祭が、昨日オープンしました。大学の仕事が忙しい時期にいつもあるので、せっかく興味深い映画がたくさんあっても行けないことが多いのですが、初日の映画がとても面白そうで、たまたまスケジュールに合ったので行ってきました。この夏全豪で公開されたという、ウェイン・ブレア監督のオーストラリア映画『The Sapphires』。最近観たなかではもっとも満足度の高い映画のうちのひとつに入る、とてもいい映画でした。

植民地化と白豪政策の歴史をもつオーストラリアで、居留地に住むアボリジニー先住民の子供たち、とくに肌の色が比較的白い子供たちが、政府や教会によって強制的に連れ去られて、家族から隔離されて孤児院などで「白人化」教育を受けさせられた、という信じがたい行為がなんと1960年代まで行われていましたが、その残酷な歴史のなかでの実話をもとにしたこの映画。並外れた歌声と、なにをも恐れぬ性格をもつ、居留地に住む10代の3人姉妹が、町のバーでの音楽コンテストに出場するところから物語は始まる。あきらかに彼女たちがずば抜けたパフォーマンスをしたにもかかわらず、先住民を人間扱いしない白人たちに冷たい目を向けられ、果てには会場から追い出される3人。その姉妹の才能を認め、歯に衣着せずものを言う彼女たちの勢いに動かされて、アイルランド人のデイヴが、ベトナムにいるアメリカ海兵隊の慰問ツアーをする歌手のオーディションに向けて彼女たちを特訓することになる。白人に連れ去られて何年も家族が消息を知らされていなかった従妹が三姉妹に加わり、四人は「あのね、きみたちは黒人なんだから、カントリー&ウェスタンなんて歌ってたってまるで説得力がないんだよ」というデイヴに、ソウルやR&Bの精神と音楽を教え込まれる。「ザ・サファイアーズ」というバンド名でベトナム行きが実現した4人と、彼女たちのマネージャーとして同行するデイヴが、サイゴンの街そして戦地で、アメリカ兵士たちに熱い歓声を浴びながら、戦争や人種関係の現実を目の当たりにし、スターエンターテイナーに成長していく。

純粋に楽しい歌の数々、負けん気に満ちた四人の女性たちと頼りになるのかならないのかよくわからない酒飲みのデイヴのコミカルややりとり、生まれたり消えたりする男女の心の通い合いなど、「エンターテイメント」に満ちた物語でありながら、植民地の暴力や戦争の現実、オーストラリアそしてアメリカの人種関係が生むさまざまな傷から目をそらさないところがよい。居留地での生活のなかで華やかな人生を夢見る若い女性たちの夢を実現させるのが、ベトナム戦争とアメリカ軍であるという皮肉も、そうした矛盾のなかでも歌や舞台が彼女たちにいろんな意味での「パワー」を与えるという事実も、よく描かれています。

ちょうど、私の大学院生のひとりが、1920年代から1970年代にかけて、アメリカの資本や軍の影響下、国境を超えてエンターテイナーとして活躍した韓国人女性たちについての博士論文を書き始めるところなのですが、その学生も、この映画を観て、多くのことを考えたようです。日本で公開予定があるかどうかわかりませんが、機会があったら是非観てみてください。

2012年10月11日木曜日

ハオチェン・チャン 日本ツアー

2009年のクライバーン・コンクールにかんして、日本の報道は辻井伸行さんにばかり集中していました(それはじゅうぶん理解できることです)が、辻井さんと一位の座を分けた上海出身のハオチェン・チャンについては、『ヴァンクライバーン 国際ピアノコンクール』で詳しく紹介しました。私はたまたまコンクールの開幕ガラ・ディナーで彼とホストファミリーと同じテーブルになったことから、彼が予選の演奏をする前にかなりじっくりとインタビューをする機会に恵まれ、当時はまだ18歳(彼はコンクールの最中に19歳の誕生日を迎えた)だった彼の類いまれな深い知性に本当に感心しました。演奏は、音のひとつひとつが輝きに満ち、なにかの魔力が心身にとりついたかのような集中力で、とくに準本選でのショパン前奏曲全24曲は、歴史に残る演奏のように私には思えました。

そのハオチェンが、ただ今ハワイを演奏ツアー中。月曜日にハワイ大学でマスタークラスがあったので見学してきましたが、演奏を聴くのとはまた別の大きな感動。彼の音楽家としてのありかたが非常によくわかるマスタークラスでした。もちろん、生徒の演奏について、具体的な箇所の具体的なアドバイスもたくさんするのですが、それと同時に、それぞれの作曲家や作品や様式の背景にある思想や文化について、じっくりと説明する。ショパンのバラード第一番が題材としている物語とか、リストのソナタロ短調が展開している「ファウスト」のテーマのさまざまな解釈の可能性とかいったことは、知識としては、音楽を専門としている人は持っていて当然な種類のものなのでしょうが、そうした説明にかなりの時間を割く、というところに、彼の音楽家としての姿勢が表れていました。技術的なことや、個々のフレーズの表情のつけかたなどについても、きわめて具体的にしてかつ幅広く応用できる指導をしていて、私は聞きながらたくさんノートをとりました。熟年のベテランピアニストならともかくとして、演奏している学生とほぼ同年齢の彼が、「マスター」の名にふさわしい幅広い知識と深い芸術性を備えていることに、あらためて感心。




マスタークラスの後は、ハワイ大学のピアノ教授と私の3人で食事に行き、いろいろとおしゃべりをしました。クライバーン優勝後の彼の生活は、聞いているだけでこちらが疲れるくらいで、生活の拠点であるフィラデルフィア(彼は今年5月にカーティス音楽院を卒業しましたが、その後もフィラデルフィアをadopted homeとしている)で過ごすのは年の三分の一ほどで、後はずっと世界各地をまわるツアー生活。ツアー旅程を見ると、本当にほとんど毎日別の都市で演奏をしている。毎日外食で毎晩別のホテルに泊まり、飛行機で移動するという生活で、病気にならないだけでも不思議なくらいですが、「風邪をひかないための対策とかしているの?」と訊くと、「いや〜、一年に一度くらいは風邪をひく」と言っていましたが、あの生活で一年に一度しか風邪をひかないのは、やはり若さの力でしょうか。どこの都市に行っても観光をする時間もまるでなく、演奏が終わったらホテルに戻って次の日に備える、という生活、私だったら数ヶ月もしたら「もう結構です」と思うんじゃないかという気がしますが、演奏家のキャリアに向いている人とそうでない人の違いには、そういう要素も大きいのでしょう。それでも、知的好奇心の強いハオチェンは、ハワイの歴史や人種関係、自然環境や資源などについて、次々と私たちに質問していました。

彼は今はハワイの他の島をツアー中ですが、今週土曜日にはホノルルに戻ってリサイタルをし、その後は六の都市をまわる日本ツアーがあります。東京での公演は19日(金)のすみだトリフォニーです。まだチケットが残っているのかどうかわかりませんが、私が2009年に「天才の誕生を目撃した」と感じた彼の演奏を、みなさんにも体験していただきたいので、チケットが手に入ったら是非とも聴きに行ってください!

2012年10月8日月曜日

名倉誠人マリンバCD Kickstarterプロジェクト

私の友人で素晴らしいマリンバ奏者である名倉誠人さんのことは以前にこのブログでも紹介したことがありますが、その名倉さんが、Kickstarterというプラットフォームを使って、新しいCD作成のための資金集めをしています。

名倉さんは、目を見張るような技術と深く豊かな音楽性に満ちた演奏家であるだけでなく、現代作曲家への作品委嘱を通して、マリンバという楽器のための新しい音楽の幅を広げることにキャリアを注いでいる、ビジョンと独創性に富んだ芸術家です。また、アフリカや南米、北米というルートを辿って発達してきたマリンバという楽器のさまざまな可能性を、作曲家とともに探ってきた音楽家でもあります。名倉さんのコンサートでは、演奏される作品のほとんどあるいは全曲が、名倉さんのために作曲された曲の世界初演、ということも多く、聴衆にとってはそんな贅沢なことはありません。私は初めて名倉さんの演奏をニューヨークで聴いたとき、木や森を思わせる有機的な響きに心も身体も揺さぶられる思いをしましたが、とくにここ数年間は、名倉さんはこの「木と森」というテーマに真正面から取り組み、このテーマにかかわる作品を作曲家に委嘱しています。

世界各地で演奏を重ねてきたこれらの作品を集めたアルバムを、京都で録音しているのですが、このアルバムの制作・販売にかかる費用を集めるために、今回初めて使っているというのがこのKickstarter。私もこのたび初めて知りましたが、さまざまな芸術その他のプロジェクトが大小の資金を一般の人々から集めるためにできているネット上のプラットフォーム。なるほど現代ならではで、面白い方法だと思います。企画者が設定して期限までに目標額に到達した時点で、寄付を表明した人たちのクレジットカードから指定の額が引き落とされるけれども、もしも目標額に満たなければ、寄付者は負担ゼロ。つまり、オールorナッシングというわけです。(1万ドルを必要とする企画に、5千ドルしか集まらなかった場合、半額でその企画を実行するのは無理があるし、寄付者にとってもそんな中途半端な企画を支援するのは納得がいかない、という論理。)どんなに小額でも、寄付することによって、このプロジェクトの実現に自分がかかわっている、という気持ちになれ、企画者を継続的に支援する気持ちも生まれる。せっかく自分が寄付するのだから、ぜひ実現してほしいと、周りの人たちにもせっせと宣伝する。というわけで、企画者にも寄付者にもやる気をかき立てる仕組みになっているわけです。なかなかウマい。

というわけで、私も小額ながら寄付しました。名倉さんのCDには、不満を抱くことは絶対にないと断言いたしますので、少しでも興味のあるかたは、どんな額でもいいので寄付してみてください。サイトは英語のみですが、クレジットカードの情報を入れるだけです(アマゾンとつながっています)のでそんなに難しいことはありません。

2012年10月3日水曜日

ウォール・ストリートの文化解剖

ひさしぶりに、読んでいて本当にゾクゾクし、疲れていてもつい次々とページをめくってしまうような研究書を読みました。数年前に出版されて読もう読もうと思いつつ積ん読になっていて、読む機会を作るために大学院の授業の課題に入れたのがこの本、Karen HoによるLiquidated: An Ethnography of Wall Street。副題から明らかなように、文化人類学者がウォール・ストリートの文化や価値観を描写・分析したものです。その副題を見るだけで、私なぞは「ひょえ〜!すご〜い!」と思ってしまうのですが、実際に読んでみると、これがほんとにすごい。

スタンフォード大学を卒業し、プリンストン大学で人類学の博士課程に在籍していた著者は、企業の株価の上昇がしばしば企業の大幅な解雇と重なることに素朴な疑問をもち、また、現代のアメリカそして世界経済のもっとも中核的な位置づけにあると考えられている投資銀行の世界で働く人々の価値観や生活に興味をもち、大学院を休学して大手の投資銀行に自ら職を得る。そこでウォール・ストリートの仕事の内容はもちろん、投資銀行という職場の物理的環境や人間関係、そこで働く人々の日常生活や人生目標などを、鋭く冷静に観察する。もちろん、ウォール・ストリートで働く他のエリート銀行員と同様に、とてつもない長時間労働をして、自分に与えられた仕事をこなす。しかしまもなく、彼女の部署が解体となり、彼女自身も解雇の目に遭う。しかしそれも、ウォール・ストリートの世界ではごくごく日常的なこと。解雇された後は本格的なフィールドワークとして数多くのウォール・ストリートのエリートたちをインタビューし、解雇されてはまた次の職につき、臨機応変にさまざまな職を転々としながら自分の銀行員としての価値を上げていく人たちのメンタリティを著者は分析する。ウォール・ストリートのエリート投資銀行が、ごくごく特定少数の名門大学のみから新入社員をリクルートし、そうやって選ばれた若者がウォール・ストリートの文化や発想や行動様式を身につけエリート意識を育み、ウォール・ストリートの世界では至上かつ自明とされていながらもその外の人間からみればきわめて特殊な価値観にのっとって、企業の買収などの大型ディールに取り組み、これまた外の人間から見れば驚異的な報酬を手に入れる。投資銀行という職場の空間的設定(職種のヒエラルキーと職場のフロアが一致していて、使うエレベーターも別になっているとか、クライアントとのミーティングは外の豪勢なレストランやホテルなどで行われるので、銀行員のオフィスは驚くほど質素だとか)から、銀行員の食生活、服装、通勤様式など、その世界にいる人にとってはごく当たり前で特別な意味を見いださないようなことでも、実際は非常に多くのことを物語っている、というような要素を、著者は見事な鮮明さで描き出す。

そうしたエスノグラフィーも読んでいてワクワクするけれども、さらに著者は、shareholder valueを上げることを至上の使命とする現代の金融のありかたは、アメリカの経済史においてもごく最近の現象で、株主の利益と経営者や従業員の利益が一致しない企業のありかたは、20世紀アメリカにおいてもきわめて特殊な状況であるという歴史的文脈を、私のように経済音痴な読者にもわかりやすく説明してくれます。そして、ハイリスク・ハイリターンの原理のもと、短期の収益を上げることで株主にとっての利益をひたすら追求するウォール・ストリートの論理が、ウォール・ストリート以外の経済全体を支配するようになることがもたらす危機を、オソロしいまでの説得力をもって示しています。そういう大きな流れについては、もちろん多くの経済学者や業界内の人々がすでにたくさん示してきているのでしょうが、そうした流れを、銀行家たちの日常のディテールからエスノグラフィックに浮かび上がらせ、金融の世界の根底にある価値観や「マーケット」という概念は、けっして抽象的・客観的なものではなく、銀行員たちがさまざまな行為を通じて作り上げている産物なのだ、ということを描いているところがすごい。

研究としてすごいな〜と感心すると同時に、読んでいてその内容にイヤ〜な気持ちになることも確か。私はバブル末期に大学を卒業したので、大学時代の友達の多くも金融業界に就職し、アメリカの投資銀行で仕事をしている友達も、実際にウォール・ストリートで働いている人たちもいます。そうした人たちの一部と話しているときに、なにか根本的に私と思考パターンが違うと感じながらも、なにがどう違うのかよくわからない、ということがあったのですが、この本を読んで、そのあたりがすごくよくわかるようになった、というメリットも。とにかくすごい本ですので、おすすめです。今晩のオバマ大統領とロムニー候補との討論を聞くにあたって、この本で学んだことも参考になるような気がします。



2012年9月30日日曜日

クライバーン・コンクールの50年

今年は、ヴァン・クライバーン国際ピアノ・コンクールが創設されてからちょうど五十周年です。クライバーン財団は、それを記念するコンサート・シリーズ(アマチュア・コンクールの入賞者たちを集めたコンサートも少し前に開催されました)などさまざまなイベントを企画・運営していますが、そのなかでも目玉のひとつである、ドキュメンタリー映画、『The Cliburn: 50 Years of Gold』が先日アメリカの公共テレビ局PBSで放映されました。そして、こちらのサイトで無料で映画まるごと見られるようにもなりました。

クライバーン・コンクールでは、四年に一度のコンクールのたびに、そのコンクールを追ったドキュメンタリー映画を制作していて、それぞれ面白いのですが、それらの映画では各コンクールについての映画という性質上、物語のは「誰が優勝するか」ということに焦点が当たりがち。それに対して、今回の映画は、1958年にクライバーンがチャイコフスキー・コンクールで優勝したことの歴史的意義、そして彼の功績を記念して設立されたクライバーン・コンクールをイベントとして育て上げたフォート・ワースの地域コミュニティのありかた、そしてコンクールに出場したり入賞したりすることで若いピアニストたちが演奏家としてのキャリアに巣だっていったか、ということのほうに重点が置かれていて、私が『ヴァンクライバーン 国際ピアノコンクール』で伝えようとしたこととよく重なっています。もちろん、2009年のコンクールの様子もあちこちに出てくる(28:45あたりで、辻井さんの後ろに立っている私の姿もちょびっと見えます)し、クライバーン・コンクールの顔となったホゼ・フェガーリ(この夏のPianoTexasで私がマスタークラスを受けた人です)やジョン・ナカマツ、オルガ・カーンなどのインタビューも沢山あって、楽しめます。そして、クライバーン氏自身が1958年のことを振り返るシーンなどもとてもよい。いろんなことを考えさせられる映画です。

前にもこのブログで言及したとおり、クライバーン氏は末期がんと診断され、現在は自宅でホスピスケアを受けているとのこと。来年のコンクールでは姿が見られないかもしれませんが、このドキュメンタリーが彼の存命中に放送されてよかった。


2012年9月6日木曜日

リンカーン・チェイフィー

民主党全国大会もいよいよ終盤、まもなくオバマ大統領自身の演説があります。昨日のクリントン元大統領の良識あるスピーチもたいへんよく、「元大統領たるもの、こうでなくっちゃあ」と思わせてくれるものでしたが、ミッシェル・オバマやクリントン、そしてエリザベス・ウォーレンの華々しいスピーチが注目を浴びるなかで、日本では話題になっているとはまず思えないながらも私がよいと思うものをひとつここで紹介しておきます。

私が大学院時代に6年間を過ごしたロードアイランド州の現知事、リンカーン・チェイフィー氏。彼は長年共和党員として政治活動を続けていましたが、ブッシュ政権の経済政策や環境政策に納得できず共和党を離れ、現在では全国で唯一、無所属として州知事をつとめているという人です。彼のスピーチ、けっして派手ではないけれど、現在の共和党が彼が考えるところの「保守」の理念からどれほどかけ離れたものになってしまっているかを明確に語っていて、説得力があります。元ロードアイランド州の住民としても、このスピーチには拍手。是非ごらんください。文章はこちらで読めます。


ところで、先日ミッシェル・オバマのドレスが素敵と書きましたが、やはりこのドレスはあちこちで話題になっており、私は思わずデザイナーをチェックしてしまいました。Tracy Reeseというアフリカ系アメリカ人のデザイナーの作品で、このドレス自体はまだ商品化されていないものの、このデザイナーのドレスは大体400ドル前後とのこと。私のような人間には決して安くはないけれど、ファーストレディが党全国大会で着るドレスとしてはたいへんリーズナブルな値段ではないですか。それに対して、ロムニー夫人のドレスは1990ドルだったらしい。ふむむ。

2012年9月4日火曜日

ミシェル・オバマ、民主党全国大会スピーチ

今日からノースカロライナ州シャーロットで民主党全国大会。先日の共和党全国大会では、クリント・イーストウッドの変てこりんなスピーチが話題をさらっていましたが(本当に変だった)、民主党にかんしては、2008年の大会のときの勢いに匹敵する盛り上がりを生み出せるかが課題。大会はまだこれから数日間続きますが、初日の今日、ミシェル・オバマがしたスピーチがたいへん素晴らしい。大統領夫人としてのミシェル・オバマの成果には賛否両論あり、弁護士としての経験を土台にもっと積極的に政治にかかわることもできるのに、あえて母親としての役割に徹していることを批判的にみる人たちもいます。そういう見方にも多少同意する部分はあるのですが、それはそうとして、今日のスピーチは是非とも見るまたは読むかしていただきたい。自分自身そしてオバマ大統領の生い立ちを、アメリカ人口全体のなかに位置づけ、歴史を振り返りながら、揺るがぬ希望と絶え間ない努力によって壁を乗り越えていく信念こそを「アメリカらしさ」ととらえ、自分たちの娘そして次世代すべてによりよい世の中を残すために、オバマ大統領そして我々がすべきことはなにかと語りかける。パーソナルな語り口でありながら、大きく重要な問題に正面から向き合うこのスピーチ、それこそ見ているほうに希望を与えてくれます。ちなみにドレスも素敵。(以下にペーストするビデオは、もしかするとアメリカの外では閲覧できないかもしれませんが、他のソースでもビデオはあるはず。現時点ではYouTubeではスピーチがまるごと入ったものはないようなので、あしからず。ただしスピーチの文章はここで読めます。)




  Watch More News Videos at ABC
  |
  2012 Presidential Election
  |
  Entertainment & Celebrity News


2012年8月28日火曜日

ヴァン・クライバーン氏、末期骨がん

ピアニストのヴァン・クライバーン氏が、末期の骨がんと診断された、とのニュースが昨日発表になりました。

演奏の舞台や公の場には姿を見せなくなってすでに数十年たっているクライバーン氏ですが、冷戦さなかの1958年にこのテキサスの青年が第一回チャイコフスキー・コンクールで優勝したときの騒ぎは、現代ではちょっと想像しがたいものでした。チャイコフスキーのピアノ協奏曲第一番の録音は驚異的なヒットとなり、クライバーン氏はピアノやクラシック音楽の世界を超えて世界的なスターとして、アメリカ文化史や文化外交の重要な一こまとなったのでした。その後のクライバーン氏のキャリアや、彼の功績を記念して設立されたヴァン・クライバーン国際ピアノ・コンクールを初めとするクライバーン財団の活動については、拙著を読んでいただければわかります。今でもフォート・ワースのコミュニティの人々には心から愛されている人物であることが、地元の人たちと話していると明らかです。去年のアマチュア・コンクールのときに、年齢は感じられたけれども、心身ともにとてもしっかりとしていて、温かい真心をもって接してくださったのが思い出されます。参加者全員が舞台上で賞状を受け取るときには、ひとりひとりと丁寧に言葉を交わして、力強く握手をしてくださいました。私はついでにお願いしてハグと頬にキスもしていただいたのが、素敵な思い出です。


クライバーン・コンクール発足以来50年、そして来年2013年はまたクライバーン・コンクールの年。そのコンクールの場でクライバーン氏本人の姿を見られるといいのですが。

2012年8月26日日曜日

ハワイのモルモン教 『A Chosen People, A Promised Land』

新学期が始まって一週間、授業の準備も原稿の締め切りもあるのだから、授業にも執筆にも直接関係のない本などを読んでいる場合ではないのですが、最近買った本数冊のなかでどうしてもすぐ読みたいものがあったので、今日の日曜日を読書に費やしました。その選択は正しかった!読み応えがあり、自分が疑問に思っていたことが解明され、表面上はまったく無関係の自分の研究ともいろいろな結びつきが発見され、とても勉強になった上に、頭だけでなく心にも響く、感動を与えてくれる本でした。

その本は、私の友人であるHokulani Aikauによる新刊ほやほや、A Chosen People, a Promised Land: Mormonism and Race in Hawai'i。副題からも明らかなように、ハワイにおけるモルモン教を扱った研究です。ハワイに来たことのある人は、オアフ島北部にあるテーマパーク、ポリネシア文化センターが、モルモン教会によって運営されていて、センターでガイドをしたり踊りを披露したりしているのはその隣にあるブリガム・ヤング大学ハワイ校で学ぶモルモン教の学生たちであるということを知っている人も多いかもしれませんが、そのポリネシア文化センターやブリガム・ヤング大学ハワイ校のあるライエという町は、19世紀半ばから宣教師たちと先住ハワイ系の信者たちがモルモン教徒の共同生活の場として築いてきたコミュニティです。ハワイの外にも、先住ハワイ系や他のポリネシア系のモルモン教信者は数多くいて、この本の著者も、ユタ州のポリネシア系モルモン・コミュニティで育った人です。大学に進み、ハワイ植民地化の歴史やモルモン教会の人種力学などを学ぶにつれ、組織としてのモルモン教会からは離れるようになった彼女ですが、モルモン教徒としての生い立ちと、先住ハワイ系としてのアイデンティティのあいだの関係を理解しようとして取り組んだのが、この研究。彼女は現在はハワイ大学の政治学部で教えていますが、ミネソタ大学のアメリカ研究学部で博士号をとっているので、研究手法的には、私にとてもしっくりくるものです。

きわめて「アメリカ的」な宗教でありながらも、アメリカ社会においてはマージナルな位置づけにあるモルモン教会が、なぜハワイという土地でこれだけ定着しこれだけのハワイ系の人々を信者として獲得したのか。20世紀後半に至るまで、教会のポリシーとして黒人を排斥・差別してきたモルモン教会のなかで、ハワイ系の人々が「選ばれた民」と位置づけられ、ハワイのミッションではハワイ系の信者にもかなりのリーダーシップが与えられたのはなぜか。近代化の流れのなかで、ライエのコミュニティがより資本主義と観光の論理で動くようになるにつれ、教会はハワイ系の人々にとって決してよいものとはいえない方針をいくつもとるようになったにもかかわらず、ハワイ系の信者たちがそれを自主的に受け入れた(ようにみえる)のはなぜか。ポリネシア文化センターでの観光客向けに自分たちの「文化」を商品化することに、なぜ彼らは抵抗しない(ようにみえる)のか。1970年代から興隆したハワイ文化ルネッサンス運動のなかで、このような形での「文化保存」をハワイ系のモルモン教徒たちはどう考えているのか。といった問いに、歴史史料分析とエスノグラフィーを通して、ニュアンスをもって丁寧に答えている本です。

その分析の中心にあるのが、faithfulnessという概念。そしてその信仰は、教会という組織によって、人々を管理したり利用したり搾取したりする手段となる場合もある。しかし、信者たちは盲目に信仰しているのではなく、教会という組織内での人種関係や、観光という産業に内包される力学についてもじゅうぶん理解しながら、自ら選んだ信仰を通じて、自分の状況を理解する世界観を構築し、ときにはその信仰を通じて、自分たちのコミュニティやそして教会そのものをよりよいものにしようと、声を発し、行動を起こす。そうした主体性が、単なるfaithではなくfaithfulnessという単語にこめられています。

私は読みながら、このfaithfulnessという概念は、Musicians from a Different Shoreで私が言おうとしていることと結びつくなあ、などと考えていたのですが、そのコネクションを理解してくれる人はどれだけいるでしょうか?ともかく、ハワイ、人種、宗教、といったことを新たな視点から考えるには素晴らしい本です。また、ロムニー氏が大統領候補になっていることでモルモン教にもさらなる注目が集まることでしょうから、モルモン教のこういう側面も知るのも興味深いと思います。






2012年8月21日火曜日

共和党の反中絶綱領

共和党のロムニー氏が副大統領候補にポール・ライアン氏を指名して以来、富裕層の所得税を減らし社会的弱者のためのさまざまなプログラムを削除するというライアン氏の極端な財政案に、リベラル派だけでなくカトリック教会などからも大いなる反発が起こっていますが、そんなさなかに、共和党の政策案にさらなる波紋を投げかけているのが、昨日のミズーリ州上院議員候補のトッド・エイキン氏の発言。中絶問題についての質問を受けて、「『正当なレイプ』の場合には、女性の身体は妊娠を拒絶するようになっている」という発言をして、たいへんな騒動を巻き起こしています。あらゆる意味で問題に満ちたこの発言を糾弾しているのは、プロ・チョイスの女性団体や民主党の政治家ばかりでなく、ロムニー氏を初めとする共和党のリーダーたちも、エイキン氏の発言を強く批判し、彼に選挙戦から降りるようプレッシャーをかけています。(この投稿の時点では、エイキン氏は引き続き選挙に出ることを表明していますが、今日の夕方までに彼が辞退しない場合には、来週の共和党全国大会を控え選挙全体に大きな影響が出るので、もしかするとじきに別の展開があるかもしれません。)

エイキン氏の発言が、大統領選そして全国の選挙にどのような影響を与えるかはまだ不明ですが、こんな騒動のさなかに、共和党の委員会は、中絶に反対する立場をさらに強化し、中絶を禁止する憲法修正を求める方針を党の綱領に盛り込む、という動きをしています。しかも、この方針には、強姦や近親相姦による妊娠についての扱いも含まれておらず、それらの扱いは各州に委ねられるべき、との立場。

経済政策が大統領選の要になるとは思いますが、中絶論争を初めとするこうした「社会問題」がアメリカの政治をかくも分断するさまは、アメリカ研究を専門とし、アメリカで20年間以上生活してきた私にも、いまだに深く困惑させられます。

2012年8月12日日曜日

タイガー・マザーの音楽教育

テキサスそしてトロントと合わせて2ヶ月近く留守にしていましたが、昨日ホノルルに戻ってきました。馴染みのない街にしばらく滞在してみると、やはりいろいろと新鮮な体験があり、刺激的でもあり興味深くもありましたが、自分の空間に帰ってくるのもやはりほっとします。ホノルルは相変わらず快適な青空。どこかからここに戻ってくるたびに、こんなに気持ちのいい場所が私の「家」なのかと、半ば信じられない気持ちにすらなります。

さて、トロントからのフライトはサンフランシスコ経由だったのですが、トロント−サンフランシスコ間の飛行機では、Kindleにダウンロードした、Battle Hymn of the Tiger Motherを読みました。5時間のフライトが到着するときにきっちり読み終わるという、見事にちょうどいい長さ。邦訳も出ているようですが、英語はきわめて平易なので、ごく普通の英語力のある人なら原著でOKのはずです。この本、昨年出版されて以来、全米のメディアでたいへんなセンセーションを巻き起こし、ベストセラーになりいくつもの言語に翻訳もされています。私はその噂を聞いたことがあるだけだったのですが、数日後に、あるフォーラムでDeconstrcting the Asian American Model Minority Mythというタイトルのレクチャーをすることになっているので、その参考に読んでみようと思ってダウンロードしました。「中国式」の子育て理念に基づいて凄まじい勢いでスパルタ教育をする教育ママの話、ということしか知らなかったのですが、読んでみると、その「スパルタ教育」の中心が、二人の娘のピアノとヴァイオリン教育なので、「タイガーよ、おまえもか」という気持ちになりました。

子供に学業成績を初めとしてつねに最高のものを要求し、「子供にとって最良のものは子供よりも親のほうがわかっている」という信念のもとに、著者が「西洋式」と対比させて「中国式」とよぶ徹底したスパルタ教育を、子供がよちよち歩きの頃から大学に入学するまで施す。アメリカの一般のミドルクラスの子供たちが普通にやるようなこと(playdateやsleepover)は一切させず、鈴木メソッドで習い始めたピアノとヴァイオリンを、旅行中も含め決して休むことなく、毎日6時間も練習させる。毎週のレッスンに加えて、コンクールやオーディションの前には、日々の練習の指導のためにも別の先生を雇い、なんと一日数回もお金を払って家に来てもらうほか、数日間のオーディション旅行にも、その先生とボーイフレンドのぶんまでお金を払って付き添ってもらう。旅行に出かけるときには、子供がピアノの練習ができるよう、ホテルにあるピアノを使わせてもらったり、ピアノを使わせてくれる街の施設を探して、毎日観光の前に数時間練習に通う。娘にいいヴァイオリンを買い与えるために、著者は自分の年金を解除してしまう。などなど。その苦労実って、娘はカーネギーホールでリサイタルをするまでに至り、また、ブタペストで姉妹のコンサートも開催させる。けれど、とくに下の娘が反抗期に入ると、母娘のあいだに激しい葛藤があり、それまで積もってきた娘の憤懣は、モスクワ旅行中に爆発する...

私も子供のとき、ここまでではないけれどもかなり熱心にピアノをやっていたこともあり、またクラシック音楽についての研究もしてきているので、この様子はじゅうぶん想像できるのですが、ここでは、イェール大学ロースクールの教授である両親の財力と人脈が、普通の教育ママに一回りも二回りも輪をかけた凄まじさを可能にしているといえます。ある程度のレベルまで楽器を習う子供はたくさんいるなかで、子供自身が音楽の深みや楽しみを理解し、「お稽古」の次元から「音楽」の次元へ移行するところまでいけるかどうかの多くは、そうした理解の手助けをしてくれ、しかも必要な技術をきちんと身に付けさせてくれる先生に出会えるかにかかっている。そして、そうした先生に習うには、単純にお金がかかる。この二人の娘が、すぐれた音楽的感性と、目的に向かって集中力と持続力をもって修行する能力をもっているのは確かだけれども、この家庭にこれだけの財力と、いわゆる「文化資本」がなければ、二人の音楽はここまで伸びなかった可能性はじゅうぶんあるでしょう。

著者が「中国式」と「西洋式」と二項対立的に描写する子育ての記述には、あまりにも単純なステレオタイプがあちこちに見られ(著者は「中国」と「西洋」というのは必ずしも土地や人種を指しているのではなく、「中国式」の子育てをするアメリカ人もたくさんいるし、「西洋式」の子育てをしている中国人もたくさんいると指摘してはいますが)、また、教育方針についても、共感する部分もあるけれど異を唱えたくなる箇所もいろいろあるのですが、私が個人的に興味を覚えたのは、二人の娘だけでなく、母親である著者が、音楽というものを理解し鑑賞するようになる、その過程。著者は、自らの親も大学教授という家庭で育ち、ユダヤ系の夫も法学者で、文化資本が豊かな環境であることは確かですが、この本を読むと、著者自身にはクラシック音楽についての深い知識や理解がもともとあったわけではないことが明らか。むしろ、子供に音楽をやらせようとするアジア人・アジア系アメリカ人の親の多くと同様に、子供にピアノやヴァイオリンをやらせようというその動機の根底には、クラシック音楽は洗練された西洋文化を象徴しており、それを身につけることは社会的・文化的上昇を意味している、という信念がある。たいていの親は、そうした動機からせっせと子供に音楽をやらせるというところで終わるのでしょうが、そこはさすが教育程度の高い著者だけあって、子供のレッスンや練習の監督をしながら、子供と並行して自分も、それぞれの楽曲の表す精神や情感、そしてそうした精神や情感を表現するために使われている具体的な音楽的要素とそれが要求する演奏技術を、徐々に理解し、音楽を自分の人生の一部としていく。これは、この本の主なポイントではないのだけれども、その過程に私は素直な感動を覚えました。

先の投稿で言及したミシガン旅行中に、友達数人と話していたときに、「自分が子供のときに一生懸命ピアノをやっていたことは、自分の仕事や人生にどんな影響を与えたと思うか」という質問をされました。これについては、前からいろいろと考えてきたのですが、私の答は、「音楽を真剣に勉強することで、ひとつのことについてある程度の力を身につけるのがいかに大変なことかを年少の頃から理解した。それによって、他のことについても、それをきちんとやるのはとても大変なことで、長年の真剣な努力が必要に違いない、という前提のもとに取り組むようになり、謙虚さと努力の姿勢が身に付いたと思う」というものです。私は、子供にあれやこれやと習い事をさせることを必ずしもよいことだとは思わないのですが、この点においては、なんであれ、ひとつのことを(それも、ある程度のレベルまで行くには十年も二十年もかかるような難しいことを)真剣に子供にやらせる、それも、単に「楽しんでやる」というのではなく、真剣にやらせるのは、よいことだとも思います。この本に登場する下の娘は、そこまで一生懸命やっていたヴァイオリンを途中でやめてしまうのですが、「その後」についての記述を読むと、あれだけ真剣にヴァイオリンをやったからこそ、さまざまな能力や感性が身に付き、彼女の人生が豊かになったのも明らか。そうした意味で、「音楽教育」とはなにか、「文化資本を身につける」とはどういうことか、「子供に最大限の可能性を与える」とはどういうことか、考えさせられました。

それにしても、著者がこの本を書いていたときには、Musicians from a Different Shoreはもう刊行されていたのだから、学者ならもうちょっと調べて脚注に入れておいてくれてもよさそうなものなのに(苦笑)。





2012年8月7日火曜日

Interlochen Summer Arts Camp訪問

この週末はカナダが三連休だったので(といっても私はここで働いているわけではないので、間接的にしか関係ないのですが)、国境を超えてミシガンまでドライブしてきました。途中ちょっと寄り道をしながらですが、目的地まで約8時間のドライブ。徐々に植物や風景が変化するのがなかなか面白く、いつかやってみたいと思っていた北米大陸横断ドライブ旅行を早くやりたいと思いました。

今回の旅行の目的は、私の親友(『ドット・コム・ラヴァーズ』に出てくる「マイク」)が夏のあいだ滞在しているInterlochen Center for the Artsを訪れることでした。このセンターはいろいろな側面があるのですが、主なものは、音楽・ダンス・美術・映画・演劇・文芸などといった芸術を専門にする全寮制の高校と、同じさまざまな芸術分野で1週間から6週間までさまざまなプログラムがある、サマーキャンプ。私の友達の音楽家も、また、Musicians from a Different Shoreのリサーチ中にインタビューをした人たちのなかにも、この高校を卒業した、あるいは夏のキャンプに行ったことがある、という人たちがたくさんいます。「マイク」はここの高校の卒業生であるだけでなく、ここしばらく毎夏キャンプでクラリネットを教えているので、私は前からいろいろと話は聞いていたのですが、実際に行ったのは今回が初めて。で、行ってみると、話を聞いて想像していたものよりはるかに規模が大きくレベルも高く、すっかり圧倒されました。なにしろ、このミシガン北西部のまさに森のなかにある学校、高校生のため(夏期キャンプは小学3年生の「ジュニア」レベルから高校生レベルまでのプログラムがある)のものとは思えない施設の充実ぶり。ホールから練習室から図書館からなにから、私の大学なんかよりずっと立派。世界中からオーディションを経てやってくる生徒のレベルも、待遇面でそれほど素晴らしいとは言えないけれど生徒のレベルや態度とキャンプの理念や雰囲気に惹かれて毎年教えにくる教師陣のレベルも、そして各プログラムの指導理念も課程内容も、毎日のように開催される生徒や教師陣やゲストアーティストによる公演の内容も、とにかくすごい。もちろん、こういう場所に参加するためには、生徒の能力だけでなく、相当のお金が必要で、ある程度の奨学金も提供されるものの、親にまったく財力がない生徒には参加はまず無理。それでも、才能やポテンシャルのある生徒には、財力にかかわらずこうした場所での刺激とガイダンスが経験できるよう、学校側は奨学金を可能にするためのさまざまな資金集め策を講じているらしいです。真のエリート教育とはどういうものか、考えさせられる訪問でした。

Interlochen訪問に加え、「マイク」の案内でミシガンのこのエリア周辺をあちこち見て回り、これまでデトロイトにちらりと学会で行ったことがあるだけで、まるで馴染みのなかったミシガンに少し触れることができました。大きな湖の他にも、こんなにたくさんの大小の湖がミシガンにあるということも、そしてこのエリアがこんなに美しいということも、私はまるで知りませんでした。ミシガンというと、デトロイトを初めとする都市が国産自動車産業の衰退により経済的に廃退し、治安も悪化し、とにかく暗い、というイメージがあり、たしかにマイケル・ムーアの映画で知られるフリントの街を車で通ると、見事なまでにその前後の街より高速道路の状態が悪い。今回は高速道路で通り過ぎる以上のことをする時間がなかったので、いずれまたちゃんと訪れてみたいと思いますが、そのマイケル・ムーアが監督・主催する映画祭が、私たちが滞在したTraverse Cityで開催中でした。このTraverse Cityも、なかなか感じのいい街で、観光するにも住むにも快適そう(ただし、今回は夏の訪問だったからよいけれど、冬の寒さを想像すると、ハワイに身体が慣れている私は、考えただけで頭が凍る)。というわけで、大変楽しい旅でした。



トロント滞在も残りあとわずかとなってきてしまい、ここにいるあいだにやっておくべきことをちゃんと仕上げられるかどうかの正念場です。日本はたいへんな暑さだとほうぼうから聞いていますが、日本のみなさま、どうぞ熱中症にお気をつけて。

2012年8月3日金曜日

ジュリアード、中国に進出

私は相変わらずトロントに滞在中です。カナダにいるばかりか、今の滞在先にはテレビがない(いや、正確に言うとテレビはあるのですが、ケーブルが入っていないので、DVDは観られるけどテレビ番組はまるで受信できない)ので、オリンピックが見られず、テレビのあるバーでちょろりと見たり、ネットで結果を見るだけなので、なでしこの頑張りぶりも目撃することができず残念。今週末はカナダは3連休なので、国境を超えるドライブをして(ヨーロッパの鉄道旅行ならしたことありますが、車で国境を超えるのは生まれて初めてなので楽しみ)ちょっとミシガンまで行ってきます。


さて、本当はもうちょっと完成に近づいてからここに書くべきなのでしょうが、自分を奮い立たせるためにも公表してしまうと、私のこの夏の第一の課題は、拙著Musicians from a Different Shore: Asians and Asian Americans in Classical Musicの和訳をすることです。出版社との話はもうずいぶん前からまとまっていて、訳しさえすれば出していただけるのですが、あれやこれやで遅くなっていました。自分で書いたものを自分の母語にするのだから、そう難しいことはなかろうとタカをくくっていたら、この作業、予想をはるかに超えて難しく、アメリカのおもにアカデミックな読者を想定して英語で書いたものを、一般の日本読者に向けて訳すということの難しさをしみじみと実感。理論的な概念や用語、論の運びかたといったものがとことんアメリカのアカデミアのものになっている、という実際的なことに加えて、そもそもの自分の問題設定のしかたや、前提としている認識が、いかにアメリカ中心的なものかとひしひしと感じています。でもまあ、この本を日本の読者に読んでもらうことにはじゅうぶん意味があると思うので、せっせと原稿に手を入れ(なにしろ著者本人が訳すのだから、書き足したり削除したり順番を変えたりするのは好き勝手にできる)、なるべく読みやすい文章にしようと頑張っております。


私の著書は、クラシック音楽界で活躍するアジア人・アジア系アメリカ人にとって、西洋音楽をするということとアジア人であるということがどのように関係しているか(またはしていないか)、という問題を扱ったものですが、この本のためのリサーチをしたのは主に2003−2004年、ニューヨークでのこと(『ドット・コム・ラヴァーズ』を読んだ人は、私がニューヨークで「デート」ばかりしていたかの印象をもっているかもしれませんが、ちゃんと研究をしていたんです)。それから10年近くたって、クラシック音楽でのアジア人の位置はますます明らかになっています。見事な技術と芸術性をもつ若いアジア人音楽家が次々と出てきているし、国際コンクールなどでの中国・韓国の勢いがすごい。そんななか、「ついにこういう時代になったか」と思わずため息をついてしまったのが、このニュース。「タイム」誌にもこの話題についての記事が載っています。音楽家養成では世界の最高峰のひとつであるニューヨークのジュリアード音楽院が、中国に進出、天津音楽学校と提携して音楽院を設立する、とのことです。最新のデータによると(拙著の翻訳にあたり、ジュリアードの事務に問い合わせたのですが、見事な素早さで新しいデータを送ってくれました。そんなところに妙に感心)、現在のジュリアードに在籍する音楽専攻の学生647人のうち、留学生は195人。その出身国の内訳は、韓国59人、カナダ39人、中国38人(ちなみに日本は6人)。全体の規模はジュリアードよりずっと小さいけれど、少数精鋭で知られているフィラデルフィアのカーティス音楽院は、全165人の学生のうち留学生が72人で、うち中国からが21人、韓国からが17人、カナダからが10人、台湾からが5人(ちなみに日本は3人)。私が6月に参加したピアノ・テキサスの若手音楽家のプログラムでも、驚くべき数の参加者が中国出身でした。中国では、オリンピックの選手養成と同じように、凄まじい特訓を経て次世代の音楽家が教育されているので、アメリカでのクラシック音楽人口の減少を考えると、本当にクラシック音楽の将来を担うのは東アジア、とくに中国なのではと思わずにはいられませんが、そうしたなかで、ジュリアードがニューヨークの外に初の拠点を置く先が天津というのには、「うーむ、やはり」。高校生までの年齢の生徒たちのためのプログラム(ジュリアードのプレ・カレッジに準ずるものでしょう)と、大学レベルの音楽院課程を設置する計画のよう。そして、中国の才能ある音楽家たちを集めて天津の街の文化生活に貢献するだけでなく、東アジアで唯一、ニューヨークのジュリアードの入学審査のオーディションの受験会場ともなるらしい。うーむ、なんともすごい。


私が本のためのリサーチ中にインタビューをした音楽家たちも、9年の歳月を経て、それぞれキャリアそして人生の新しい段階に入っているのは当然ですが、クラシック音楽界自体も、次のフェーズに入りつつあるような気がします。頑張って早く翻訳を出さなければ!

2012年7月20日金曜日

オザケンの語る原発・核兵器

オザケンこと小沢健二クン(赤の他人ではあるのですが、大学の後輩で一時期柴田元幸先生の小人数の授業に一緒に出ていたことがあるので、今でも頭のなかでつい「クン」と呼んでしまうのです)が、原発と核兵器の関係について第二次大戦以後の歴史をふまえて書いた文章を、フェースブックで何人かの人がシェアしているので読みました。もとは去年書かれたもので、知る人はもう前から知っていていたのでしょうが、議論の輪を広げるためにこのたび(「ネット公開によせて」の文章をみると、今日公開されたもののよう)ネット公開となり、てきめんに拡散されているようです。大学のときから、頭脳明晰でかつ謙虚な、とても感じのいい青年でしたが、この文章も、情報も論理も語り口も、とても納得がいくものです。また、内容もそうですが、ネット上でこうした形で公開して議論の輪を広げるという選択にも賛成なので、拡散に貢献させていただくため、ここにリンクしておきます。(このリンクのページの下の「ダウンロード」の部分をクリックすると文章が読めます。)


アメリカにおけるエネルギーとしての原子力と核兵器としての原子力の関係については、私の友達でも研究している人がいて、もう少ししたら論文あるいは本の形になると思うので、完成しだいここでも紹介させていただきます。

2012年7月19日木曜日

ケベックいろいろ

5日間ケベックを旅行して、昨夜トロントに戻ってきました。カナダでゆっくり時間を過ごすのは今回が初めてなので、トロントでもいろいろ発見があって面白いのですが、フランス系の歴史をもつケベックはやはりトロントとは全然違って、たいへん興味深い5日間でした。宿はモントリオールでしたが、毎日モントリオールから車で1~2時間の距離のところで開催されている音楽祭でピアノリサイタルを聴きに通っていたため、都会のモントリオールとは別のケベックの様子も垣間みることができました。モントリオールは、古い伝統と新しい文化、フランス系とイギリス系と世界の他の地域からの移民とイロコイ先住民などの歴史が混じった都会で、英語でもまあやっていけるのですが、一歩モントリオールを出ると、フランス語しか通じないという人たちがたくさん。当たり前といえば当たり前なのですが、そういう基本的なことも、やはり実際にその土地に行ってみてこそ実感が湧くものです。ケベックのナショナリズムというものを、ちゃんと勉強してみようと思いました。ついでに、大学のときに結構せっせと勉強したにもかかわらず、きれいさっぱり忘れてしまったフランス語を、またやってみようかとも思いました。


で、今回行ったのは、Le Festival de Lanaudiereと、Festival Orfordというふたつの音楽祭。Le Festival Lanaudiereのほうは、Jolietteというきれいな名前の町にある屋外シアターを中心に、近郊の小さな町(「町」らしきものも見えないほど家がまばらなエリアもありましたが)の教会などで、約一ヶ月のあいだほぼ毎日コンサートがあります。私たちは、その屋外シアター(マサチューセッツにあるタングルウッドをひとまわりこじんまりさせたような雰囲気のところ)で行われた、ケベック出身のピアニストAlain Lefèvreによる、カナダ人作曲家François Dompierreの新作24 Préludesの世界初演を聴きました。ケベックのピアニストによる世界初演ということもあり、今年のこの音楽祭のなかで一番チケットの売り上げがよいコンサートだったらしく、聴衆にはたいへんな熱気で迎えられていました。それから、同じ音楽祭の一環で、それぞれ別の小さな町の教会で行われた、Beneditto Lupo(1989年のクライバーン・コンクールで3位入賞したイタリア人ピアニスト)のリサイタルと、最近日本でも演奏しているロシア人のAlexander Melnikovのリサイタルに行きました。演奏もそれぞれ素晴らしかったけれど、周りになにもないような小さな町の教会を、音楽に対する感性の高い聴衆でいっぱいにする音楽祭の運営に脱帽。それから、モントリオールから南東に2時間近く行ったMt Orfordという山間部(冬はスキーリゾートらしい。近くには聖ベネディクト派教会の修道院もあり、見学ついでにそこで作っているワインやチョコレートも買ってきました)にある芸術センターで開催されている、Festival Orfordでは、まだ20歳という若手イタリア人ピアニスト(前述のBeneditto Lupoに師事していたそうですが、今はドイツのハノーヴァー音楽院在籍中)Beatrice Ranaのリサイタルを聴きました。彼女の解釈はちょっと変わっている部分も多いのだけれど、20歳とは思えない成熟した独自の声をもっていて驚愕。ちなみにこのFestival Orfordは、コンサートだけでなく若手音楽家のための夏期プログラムでもあり、他の楽器の学生による演奏も少し聴くことができました。


私にとってはバケーションでしたが、同行人(正確には私のほうが「同行人」ですが)にとっては仕事の出張。で、その仕事関係のランチやディナーに私もくっついて行った(日本ではそういうことはまずないでしょうが、こちらではそうした仕事上の社交の場に配偶者や「デート」が参加するのは普通)おかげで、ケベックの人たちに会ってお話することができました。考えてみたら、私はケベックの人というのにこれまで会ったことがなかった(と思う)ので、彼らの言語感覚(今回私がお話したのは、みなフランス系のケベック人ですが、仕事の関係上、英仏バイリンガルな人たちばかり)もそうですが、いろいろなお話が面白かったです。音楽祭の芸術監督をしている男性は、「ケベックの人間としては、オンタリオを含むカナダの他の地域に行くよりも、バッファロやボストンやニューヨークなんかのアメリカの東海岸の都市に行くほうが居心地がよい」と言っていました。もちろんケベックの人たちみながそう感じるわけではないでしょうが、カナダという国のなかでのケベックの位置づけ、他の地域のカナダ人がケベックをどう捉えているか(とケベックの人たちが感じているか)を、ちょっと垣間みさせてくれるコメントではあります。ピアノの技術者をしている男性のガールフレンドで、建築現場の監督をしているという人にも会いました。その人は、スタイル抜群のセクシーな美人で、雰囲気としては彼女自身がピアノ関係の仕事かしらんと思うような女性なのですが、きいてみると彼女はピアノにはまったく関係がなく、子供の頃からおてんばで外で動き回ったり手足を使って物事をするのが好きだったので、この仕事につくようになったそうです。さすがに女性の建築現場監督というのは珍しく、ケベック全体でも女性で彼女と同じ立場にいるのは他にひとりしかいないそうですが、毎日何十人もの男性に指示を出しながら、現場をとりしきっているらしい。カッコいい。そして、音楽祭の運営者や、ピアノの調律師といった人たちと何人もお話をしましたが、そういう人たちがどういう経緯でその仕事をするようになって、その仕事のどういう側面を楽しいと思うのか、その仕事においてはどんな苦労があるのか、そうした話を聞くのが私にはとっても面白い。


モントリオールでは、考古学・歴史博物館と、モントリオールやカナダの歴史を専門にするMcCord Museumに行って、モントリオールの歴史をちょっと勉強しましたが、アメリカの隣国であり、歴史的にもさまざまな接点があるにもかかわらず、カナダのことを自分がいかになにも知らないかということを、しみじみ認識。勉強しなくっちゃ〜。



2012年7月3日火曜日

PianoTexas 2012

テキサスで12日間過ごした後、昨日トロントにやってきました。テキサスにいるあいだにその興奮を伝えたかったのですが、滞在場所のインターネット環境が悪く、まとまった文章を書ける状況ではなかったので、投稿は断念していました。


クライバーン・コンクールのあるフォート・ワースのテキサス・クリスチャン大学で開催される、PianoTexas International Academy & Festivalというイベントに参加していたのですが、夏のテキサスの気温(なにしろ40度になることもある猛暑)にもかかわらず、天国に来たかと思うような素晴らしい日々でした。ウェブサイトを見ていただければわかりますが、PianoTexasとは1981年にクライバーン・コンクールと提携した形で創設されて以来毎年開催されているピアノフェスティバル。もとは若手ピアニストのためのプログラムだったのですが、1990年代からは大学や個人スタジオで教えるピアノ教師のためのプログラムと、私のようなアマチュアのためのプログラムが加えられました。さすがクライバーン・コンクールが開催される街の大学だけあって、テキサス・クリスチャン大学のピアノ科はたいへん充実していて、錚々たる教授陣がそろっているのですが、大学の教授に加えて、世界各地からゲスト・アーティストが招待され、演奏に加えマスタークラスや個人レッスンをしてくださる。今年は、伝説ともいえるPaul Badura-SkodaやLeon Fleisher、そして海老彰子さんがゲストアーティストでした。こうした人たちのマスタークラスを見ていると、「マスター」という単語の意味がしみじみと感じられます。真に深く幅広い知識をもち、あらゆる試行錯誤を経てさまざまな技術を身に付け、つねにより優れたものを志すと同時に、作曲家や作品への底知れぬ畏敬の念を抱き続け、芸術を次世代に伝えようと惜しみなく指導にあたる彼らは、顔つきから人間性がにじみ出ているのです。芸術家は往々にして独りよがりの暴君であるといったイメージがありますが、真に優れた芸術家は、謙虚でもありジェネラスでもあるのだ、と改めて感じさせられました。


プロの演奏家を目指す若手のピアニストたちがこうしたベテランの指導を集中的に受けるようなイベントは世界各地に存在しますが、アマチュアにもこれだけ充実したプログラムを提供してくれるところは他にないだろうと思います。素晴らしいピアニストたちに指導を受けられるだけでなく、普通だったらアマチュアが触る機会がないような立派な楽器(スポンサーとなっているメーカーが楽器を提供してくれるので、スタインウェイの他に、ベーゼンドルファー、ベクシュタイン、ヤマハ、カワイなどの超一流の演奏用ピアノを弾かせてもらえます)をちゃんとしたホールで弾かせてもらえるというのもすごい。私は、1989年のクライバーン・コンクールの優勝者であるJose Feghaliにマスタークラスでシューベルトの即興曲作品142第3番を指導していただいたほか(あー緊張した)、John OwingとGloria Linに個人レッスン、そしてさらに追加でPianoTexasの運営者であるTamas Ungarにレッスンをしていただきました。今回取り組んだのは、スクリアビンの左手のための前奏曲と夜想曲作品9、およびラフマニノフの楽興の時作品16の第1番と6番。ここ1年くらい練習してきて、5月のリサイタルでも演奏した曲なのですが、うーむ、まーだまだ肝心なことができていないことを実感。


ソロの他に、今年初めての試みとして、室内楽のセッションもあり、アメリカ各地から参加している若手の弦楽奏者たちと一緒に室内楽のリハーサル、マスタークラスを経てコンサートで演奏する、というオプションも設けられました。私は室内楽をほとんどやったことがないので、是非この機会にと思って、前から一度弾いてみたいと思っていたシューマンのピアノ四重奏作品47の第3楽章をやりました。いくらなんでも一度も弦楽器を合わせたことのないままテキサスに行くのもなんだと思って、ホノルル出発前に、ハワイ・シンフォニー・オーケストラの団員(ヴァイオリンはコンサートマスター、ヴィオラは首席、チェロは数年前に亡くなったホノルルで伝説的に素晴らしいピアノ指導者の娘でベテランのチェリストだったので、私なぞにはもったいないような顔ぶれ)の友達に頼んで合わせてもらったのですが、これがあまりにも刺激的で目ならぬ耳からウロコが落ちるような経験でした。今回は、初めて顔を合わせる人と一緒に、きわめて限られた準備時間で演奏にもっていかなければいけないというチャレンジがありましたが、それはそれで大変面白く、ソロとはまったく違う種類の音感の使い方を学び、おおいに勉強になると同時に楽しい経験をしました。室内楽の他に、歌曲の伴奏のセッションもあり、今回のPianoTexasはシューベルトがテーマだったので、若手の歌手たちによるシューベルト歌曲をたくさん堪能することができました。私は正直言って、シューベルトはあんまり好きではないなあと思っていたのですが、歌曲と室内楽をじっくり聴いてからピアノ曲を聴いたり弾いたりすると、今までどうもよくわからなかったことがずいぶんと合点がいくようになり、シューベルトも悪くないなあと思うようになりました(と、いかにも素人的なコメント)。


というふうに、自分自身のピアノの理解やスキル向上にはとてもよいプログラムなのですが、なんといっても一番素晴らしいのが、こうした場で育まれる仲間との絆。アマチュアプログラムに参加する人たちのレベルには結構幅があり、プロの演奏家にもまったくひけをとらないレベルの人もいれば、私のような純粋なアマチュアレベルの人もいるし、技術的には初級の上から中級の下といった人もいる。ベートーベンのピアノコンチェルトを堂々と弾く人もいれば、楽譜と鍵盤を必死に見ながらショパンのマズルカを弾く人もいる。けれど、スキルのレベルとは無関係に、なにしろピアノが好きで、どうしてもこの曲を自分なりに弾けるようになりたい、という気持ちはみな共通。その演奏から、それぞれの人生が垣間みられる。そして、コンクールと違って、演奏に誰かが優劣をつけられるわけではないので、参加者全員がよりリラックスしてお互いの音楽に心を開き、ちょっとくらいミスがあろうがなんだろうが、その人が伝えようとしていることをみんな熱心に受け止める。人のタイプも実に多様で、大きな身体をした、いかにもビールを飲みながらフットボールを見ていそうな男性が、緊張しながら一生懸命にドビュッシーのアラベスクを弾いたり、アメリカ人のステレオタイプを絵に描いたようなおおらかな男性が繊細なブラームスの間奏曲を弾いたり、これまた大きな身体をした年配の男性ふたりが椅子を並べてシューベルトのファンタジーの連弾をしたりしているのを見ると、「ああ、音楽というのはこういうものだった」と胸が熱くなります。なにしろあらゆる意味で素晴らしいプログラムですので、アマチュアピアノ愛好家のかたは、ぜひ来年以降の参加をご検討ください。


というわけで、興奮と刺激と感動に満ちた11日間が終わってしまって淋しいことこの上ないのですが、心機一転、これから8月上旬までトロントに滞在し、夏のあいだに仕上げなければいけない仕事を片付けます。

2012年6月18日月曜日

アロハ国際ピアノフェスティバル ただ今開催中

ホノルルに戻ってきてからとてつもない時差ぼけに悩まされていて、やっと夜に眠れるようになったと思ったら、明日の夜にはテキサスに向けて出発します。ハワイでの10日間にやらなければいけないことがたくさんあり、私の留守中にマンションを借りてくれる人のために部屋を掃除もしなければいけないのに、まるで準備ができておらず、本当に明日出発できるのだろうかと不安が膨らみます。


忙しい理由のひとつは、ただ今ホノルルで開催中の、アロハ国際ピアノフェスティバルというイベントの一部の企画運営のお手伝いをしていたからです。このフェスティバルは、ハワイ育ちで日米のそれぞれで演奏活動をしているピアニスト、リサ・ナカミチさんが運営しているもので、今年が7年目。子供から大学レベルまでのピアノを学ぶ生徒たちのためのコンクールや、マスタークラス、ゲストアーティストによるコンサートなど、盛りだくさんな一週間のイベントなのですが、私は去年のテキサスでのアマチュアコンクールの経験から、このフェスティバルにも大人のアマチュア部門を作ったらいいのではと思いつき、リサさんと知り合った際に提案してみたところ、自分が企画運営をすることに(本業の大学の仕事でもそうですが、なにかいいことを思いついた場合には、それを自分で遂行する意思がなければ提案すべきではないのです:))。とはいえ、今年は計画を始めた時期が遅すぎて、大勢の参加者を集めての本格的なイベントはできないのがわかっていたので、とりあえずはトライアルとして、数人の参加者による一日だけのプログラムを開催しました。エネルギッシュでもあり繊細でもあり独創的でもある演奏をするSara Buechnerによるマスタークラスに加え、コンクールの入賞者によるコンサートでもアマチュア参加者が演奏。ふだん定期的なレッスンを受けたり、人前で演奏したりする機会や時間はないけれども、ピアノを愛する気持ちは誰にも負けない、という大人たちに、こうした場を提供するのはとても意味のあることだし、実際に参加者もとても喜んでくれて、提案した甲斐がありました。なにより、こういう場でピアノを通じて生まれる新しい人間関係が素晴らしいのであります。今回のアマチュアプログラムは昨日でおしまいですが、フェスティバル自体はこれから1週間続きますので、ホノルル在住のかたはぜひコンサートやマスタークラスをのぞきに行ってみてください。来年からは、アマチュアのコンクールも含む(とはいっても、クライバーンのアマチュアコンクールのよなものとは違った趣向にするつもり)もっと大きなイベントを企画するつもりですので、ピアノ愛好家のかたは、ハワイでのバケーションを兼ねて是非ご参加ください。詳しいことが決まり次第またこのブログでも宣伝いたします。


ちなみに、このフェスティバルのコンクールの高校生部門では、カリフォルニアのJessie Wangさんと、去年このブログで紹介したミネソタでのPiano-e-competitionで4位に入賞した尾崎未空さんが優勝しました。未空さんとはパーティなどでもおしゃべりしましたが、まだ高校2年生なのにひとりでハワイにやってきて、積極的にゲストアーティストや他の参加者と交流している姿は、おおいに頼もしく、こうやってどんどん世界に出ていろいろな刺激を受けていけば、骨太のいい演奏家に成長していくことと思います。こういう若い人たちに触れられるのも、こうしたイベントに関わる喜びのひとつ。




と、企画運営の喜びをちらりと味わったところで、今度は自分が参加者としての楽しみを満喫するため、テキサスに出かけてきます。これについては、むこうに着いてからまたご報告します。

2012年6月4日月曜日

ヨルム・ソン ピアノ・リサイタル6/26(火)

兵庫の親戚を訪ねてから、週末は名古屋で学会に出て、東京に戻ってきました。私は日本ではほとんど学会に出席しないのですが、行くたびに、アメリカと発表のスタイルにあまりに違いがあるので面食らうことしきり。アメリカだって、ぼそぼそだらだら話す発表者ももちろんいるのですが、日本で私が困惑するのが、「レジュメ」と「パワポ」。なぜにああやたらめったらと文字を詰め込んだものを配布したり画面表示したりするのか。あんなものを配られたら、聴衆はどうしたって皆じーっと下を向いて文字を追わずにはいられないし、そうすると肝心の発表を聴くことに集中できない。でも、集中して聴いてみても、レジュメに書かれていることを補足したり明確にしたりするようなことは言われていないことが多い。だったら口答発表などせずに、論文なりなんなりの形で発表すれば済むことなのでは?それに、初めから与えられた時間が決まっているのに、なぜその時間内におさまる発表を準備せずに、いつまでもだらだらと要旨不明のことを話し続けるのか?聴衆になにかを伝えるという意思があまりにも欠如していて、私などはイライラを通り越して憤慨してしまうことも。など、人の発表に文句ばかりつけておいて、自分の発表はどうだったかと言われると、別にたいしたことはしていないのですが、少なくとも時間内にはおさまるようにまとめ、聴衆の顔を見て語りかけるようには心がけました!


まるで関係ないですが、昨日は新国立劇場で、平野啓一郎翻訳・宮本亜門演出の演劇『サロメ』を観てきました。サロメというと、妖艶で官能的な悪女、といったイメージが先行しますが、この演出では、多部未華子が演じるサロメは若くて清純無垢なヒロインとなっています。舞台セットも真っ白。なんとも新鮮で斬新な解釈となっていて、なかなか面白かったです。今回の日本滞在では、飲み会その他の予定が詰まり過ぎていて、コンサートや劇などを観に行く時間がなく、これが唯一の観劇でしたが、やはり行ってよかった。


さて、今朝の日経新聞に広告が載っていたのですが、ピアニストのヨルム・ソンの来日公演が今月末にあります。『ヴァンクライバーン 国際ピアノコンクール』で詳しく紹介した通り、彼女は2009年のクライバーン・コンクールで迫力と表現力に満ちた演奏をし、辻井伸行さんとハオチェン・チャンに次いで2位を獲得。去年のチャイコフスキー・コンクールでも2位に入賞。とにかくものすごく幅のある音楽性とスタミナの持ち主で、末永く聴衆に語りかける芸術家としてキャリアを築いていくことと思います。私は今週ハワイに戻ってしまうので残念ながら行けませんが(私が今月後半に参加するテキサスでのピアノ・フェスティバルでも彼女は演奏するのですが、私が参加する時期と重ならず残念)、都合のつくかたは是非とも聴きに行ってみてください。今日の時点でまだチケットが残っているそうです。これを聴かないのはもったいない!

2012年5月29日火曜日

解けた『バイエルの謎』

日本に到着してから二週間、見事なまでに毎日予定が詰まり、慌ただしいことこの上ない日々を送っています。仕事関係のミーティングをしたり、二十五年ぶりの高校の同窓会でおおいに盛り上がったり(なんと三次会がお開きになったのは午前三時半。ホントに四十代か?という元気ぶり)、その高校時代に「英語の神様」として畏怖され敬愛されていた名物先生のお宅を訪ねたり、防災訓練をしたり、スカイツリーに人混みを見物に行ったり、と盛りだくさんで刺激たっぷりです。連夜飲み会が続くので、せっかくここ九ヶ月のブートキャンプ通いで減った体重の半分近くが、九日間で戻ってしまった!トホホ。


さてさて、仕事のミーティングの際に、編集者のかたに「こんなのありますよ」と見せていただいて、私があまりにも物欲しげにするのでそのまま頂いて帰ってきてしまった(同じ話がニューヨークでもあった...私の物欲しげな表情は効果的みたい)、できたてホヤホヤの新刊が、『バイエルの謎: 日本文化になったピアノ教則本』これは、タイトルを見ただけで、「あ!」と叫んでしまうくらい、私にとっては「この本を誰かに書いてもらいたかった」的な本。


日本でピアノを少しでもかじった人ならまず誰でも知っている「バイエル」という名。たいていの人はピアノはバイエルから始めた、というくらい一般化しているバイエルの入門ピアノ教則本。私自身も、バイエルをやりました。で、私は、バイエルというのは、ドイツの大御所で、ハノンやチェルニーと同じくらい、ピアノにおいては世界で一般的なものなのだとてっきり思っていたのですが、アメリカではBeyerという名は薬の名前ならともかくピアノに関係する名前としては聞いたことがないし、去年のコンクールのときに、ドイツで何十年もピアノの世界に浸っている人物に聞いてみても、そんな名前は聞いたことがない、というのでびっくり。いったいどういうことなんだ、と不思議に思っていたのですが、この本を読むと、バイエルの「謎」は、単に「日本でやたらと有名で、日本の外ではやたらと無名なバイエルとは、いったい何者か」ということにとどまらず、次々に「?」が出てくることがわかります。


たとえば、バイエルのピアノ教則本は、いきなり連弾で始まり、しかも一番と二番はいきなり変奏曲。でも変奏曲はこの二曲だけ。曲の番号のつけかたも不規則で、番号がついていない曲もある。そして、きわめて多作な編曲家であったらしいバイエルの作品のなかで、編曲でなくオリジナルに作曲された作品はこの教則本だけ。版も多種多様な版が乱立。日本では、単なる「バイエル・ピアノ教則本」だけでなく、「子どものバイエル」「いろおんぷばいえる」「バイエルであそぼう」「バイエルによる女声合唱曲集」などなど、あらゆるバリエーションがひとつの「バイエル文化」を形成するまでになっている。いったいバイエルとは何者で、どのようにして教則本が作られ、どのようにしてそれが日本にもたらされ、ここまでの普及に至ったのか?という謎を解こうと、著者の安田寛氏が何年にもわたり、ドイツやらアメリカやらに調査旅行を重ね、一歩一歩バイエルに近づいていく。その過程でじわじわと解明されていくさまざまな「謎」の中身ももちろんたいへん興味深い(たとえば、番号のついている曲とついていない曲の関係や、日本で絶対音感教育普及のなかでバイエルの「静かにした手」が「和音を押さえる手」に読み替えられた経緯、そして本の終盤で明らかにされる、教則本が連弾の変奏曲で始まっていることの意味や、百六という番号付きの曲数の意味などは、読んでいて、「おー!」と思わず拍手したくなります)けれど、それと同じくらい、その謎を解明していくプロセスの物語が面白い。研究者の勘を頼りに資料を調べ、調べても調べてもさっぱりわからないことに出くわし、また、飛行機に乗ってはるばる調査に出かけて行ったにもかかわらず期待していた情報が見つからないこともある。勝手もわからず言葉もじゅうぶんに通じない外国の街で、十九世紀やそれ以前の資料を文書館や教会で探し出そうとするその苦労たるや、なんだかインディアナ・ジョーンズあるいはシャーロック・ホームズみたいで、途中、「安田さん、頑張ってください!」と応援したくなる。バイエル自体にとくに興味がなくても、単なる読み物として楽しめる語り口になっています。学者というのはこんな苦労をして歴史や文化の意味を探るのかと、一般読者がわかってくれるだけでも、意義があるというもの。せっかくこういう本の構成になっているので、ネタバレにならないよう、本の最後で明かされるバイエルの謎についてはここでは書きませんが、読み終わると、それまでは単なる子供が音と鍵盤の関係を覚えるための機械的な練習曲だと思っていた「バイエル」が、十九世紀のヨーロッパ文化を表すまさに「音楽」として頭のなかで響いてくるところがスゴい。


『バイエルの謎』というこのタイトル、シンプルにして非常に的確。本当に謎が解け、すっきりしますので、ぜひ読んでみてください。(本をくださったKさん、ありがとうございました!)ついでに、実家のアルバムから出てきた、バイエルを弾いていた(と思われる)頃の私の写真を掲載します。




2012年5月18日金曜日

中国のオンライン・デーティング

バタバタと学期末の採点その他の仕事を終え、13日(日)にはホノルルでちょっとしたピアノリサイタルをし(やれやれ)、一昨日日本に一時帰国しました。今回は初めて、羽田着のハワイアン航空で帰ってきてみたのですが、これは大変気に入りました。搭乗までのプロセスも、ユナイテッド航空やデルタ航空などより落ち着いているし(JALはほとんど、ANAは一度も乗ったことがないので比較できません)、機体が新しくてピカピカだし、サービスもいいし、羽田着なので都内への移動は便利だし(ただし夜遅めの時間に到着なので、羽田から遠くに行く人にはちょっと不便かも。今回は私は大森の実家に滞在なので、空港からタクシーに乗りました)、これからは毎回これにしようかしらん。


昨日は、運転免許の更新に行ったり新しくメガネを作りに行ったり(『ドット・コム・ラヴァーズ』の読者にはわかっていただけるでしょうが、友達に紹介してもらった大井町のお店で「セクシーでファンキーでかつ『なめんなよ』効果のあるメガネ」を見つけました)しましたが、いやー、やはり日本は、なにごともテキパキとした国だなあとあらためて実感。このテキパキ力に、骨太の政治力と多様性を尊ぶ精神が加われば、コワいものなしの素晴らしい国になるに違いない!


それとはまるで無関係の話題ですが、飛行機のなかで読んだ数週間前の『ニューヨーカー』誌に、中国のオンライン・デーティングについてのなかなか興味深い記事があります。そのタイトル、まさに、The Love Business。(有料購読者以外は全文が読めないようになっていますが、有料でこの記事だけ単独で読むこともできますので、興味のあるかたはどうぞ。)Gong Haiyanという女性が始めた、Jiayuanというオンライン・デーティング・サービスに焦点を当て、現代中国の恋愛・結婚事情を描写したものなのですが、さすが中国、なにごともそのスケールが違うのが面白い。まず、このサービスを始めたGong Haiyanという人物に興味がそそられる。湖南省の山間部の農村出身で、この記事によれば美人でもなければ社交的でもない彼女は、大学院時代に、まだ駆け出し段階のあるオンライン・デーティング・サービスに登録し、12人の男性を選んだものの、ひとつも返事がなく、会社に文句を言ったところ、「あなたのような不細工な女性がそんな高レベルの男性を追いかけたってムリに決まっています」との返事がきたという。この対応に憤慨して、自分の身近にいる人たちを使って自分のオンライン・デーティング・サービスを始めたという。中国でインターネット業界で活躍している他の人たちとは違い、コンピューターの専門知識をもっているわけでも、英語に堪能なわけでも、男性でもない彼女が、こうした分野に出て行くだけでもじゅうぶん感心なことだが、やがてあるソフト開発者(この人物は後にこのサイトで出会った相手と結婚したという)の投資を手に入れ、サービスを拡大するにつれ、オンライン・デーティングの需要の大きさが明らかになっていったという。一日に2千人近くの新規メンバーがサイトに登録し、2006年には登録者が百万人、そして2011にはそれが五千六百万人(!)にまで拡大し、業界では中国最大のサービスとなった。


この記事によれば、オンライン・デーティングのアメリカと中国での最大の相違は、その基本理念にある。アメリカでは、オンライン・デーティングは自分の伴侶となる可能性のある相手との出会いをなるべく広げるのが目的なのに対して、人口13億の中国では、オンライン・デーティングの目的はその反対に、自分の条件に合った相手を絞り込むことにあるという。北京では約40万人の男性登録者がいる。それを、ある23歳の女性は、血液型、身長、星座などの条件を次々に入力してようやく83人まで絞り込んだという。Jiayuanの登録メンバーが答える53の質問には、顔の形のタイプやら、性格を描写する択一式リストがあり、これがなんとも面白い。こうしたサービスの普及にともない、オンライン・デーティングでの成功の秘訣を伝授するような人物やサービスも登場しているという。そうしたアドバイスには、「立派な車の隣で自慢げにポーズをとって写真をとっているような男性には要注意」「最初のデートのときは、女性にとって便利な場所に男性が足を運ぶべき」「男性の四大アクセサリー(腕時計、携帯電話、ベルト、靴)に注目すべし」「お店で払い終わったときに、大事に領収書をしまいこむ男性には要注意」などが含まれる。


あるとき、創設者のGongの目に、ある33歳の研究者のプロフィールが目に止まり、「身長1.62メートル、容姿は平均以上、大学院卒」という条件があげられているのを見て、自分はひとつも当てはまらないと思ったものの、返事をすることにし、「あなたのプロフィールは書き方がいまひとつです。あなたの挙げている条件に合う女性がいたとしても、そんなに要求の多い男性はごめんだと敬遠すると思います」といって、プロフィールの書き方をアドバイスしてあげることにしたという。プロフィールにいろいろ手直しを加えているうちに、彼の条件に合う女性は自分の周りに4人いることに気づき、そのうちのひとりが自分だったという。そうしてふたりはつきあい始め、2度目のデートで彼がプロポーズし、ふたりは自転車に二人乗りして結婚の手続きをしにいったという、微笑ましい話も。


中国の不動産バブルや一人っ子政策などが、恋愛や結婚のありかたに様々な変化をもたらしている中国。現代のジェンダー観や人生観と、インターネットが媒介する市場関係が、どんなふうに相互に作用しているのかを、垣間みさせてくれる記事で、なかなか面白いです。

2012年5月8日火曜日

ワーグナーの夢

昨日、『Wagner's Dream』という映画を観てきました。いや〜、すごかった。


これは、あらゆるオペラのなかでも超傑作とされているワーグナーの『ニーベルングの指輪』全4部の、メトロポリタン歌劇場での新しいプロダクションの様子を追ったドキュメンタリー。監督はSusan Froemkeで、私が大好き(映画館でみてあまりにもよかったので、このあいだニューヨークに行ったときにメトロポリタン歌劇場のギフトショップでDVDを買いました)なドキュメンタリー『The Audition』の監督でもある人。


メトロポリタンでは20年間にわたり『指輪』の新しい演出はなされていなかったところに、演出家Robert Lepageが抜擢され、国境を超えたプロダクションチームが、ワーグナーの壮大な構想を実現するために実に6年間をかけて取り組んだ、芸術的・技術的な大挑戦。私は第一部の『ラインの黄金』が映画でのライブビューイングで上映されたものを観に行きましたが、たしかに斬新なプロダクションに感心すると同時に、あまりにもセットがすごいのでそちらに気を取られて音楽に集中できないな〜、などと思っていたのですが、このドキュメンタリーを観て、いやはや、あのプロダクションにかけられた、尋常でない技術や知恵や情熱をかいま見、素直に感動しました。ひとつのオペラのプロダクションに、Robert Lepageやメトロポリタン歌劇場の総支配人であるPeter Gelbのみならず、巨大なセットを作る大工さんやその移動の方法を考える技術者、スタントマン、衣装スタッフ、そしてもちろん、宙にぶら下がったり動くセットをよじ上ったり滑り降りたりしながら歌わなければいけない歌手たちの、何年にもわたる思いと労力が込められているのをみると、畏れ多い気持ちになります。そして、複雑な技術がたくさんあるからこその、本番でのハプニングもあり、6年間の努力がオープニング当日にすべて実を結ばなかった落胆を考えると、観ているこちらまでスタッフとともに悔しい気持ちになり、また、次の公演のときにちゃんとうまくいくかどうかと、こちらも手に汗握る思い。そして、並んでチケットをとり、斬新なプロダクションについて、むきになってあれこれ論評するオペラファンや、雨のなか合羽を着て何時間も座ってリンカーンセンターの広場やタイムズスクエアのスクリーンでの放映に見入る人たちの姿にも、なんだかじーんとくる。莫大な赤字を抱えていると伝えられるメトロポリタン歌劇場ですが、そのなかで芸術にこれだけ惜しみなく人力・資力・技術を投入する勇気のある人たちと組織が世の中に存在して、本当によかったと、心から思わせてくれます。私はとくに『指輪』にも詳しくないし、観るにもなかなか体力を必要とするのでちょっと躊躇していましたが、機会があったらぜひ全4作、メトロポリタンで生の上演を観てみたいと思いました。この映画、日本で上映される予定があるかどうかわかりませんが、機会があったらぜひぜひどうぞ。

2012年4月29日日曜日

別れの儀式

ニューヨーク・タイムズのサイトで、「あなたにおススメの記事」のナンバー1になっているのが、「別れの儀式」についての記事。この記事、全読者のなかで「もっともメールされている記事」のトップ10にすら入っていないのに、私には一押しでおススメされているというあたりが、なんとも複雑な気分(笑)。それはまあともかくとして、記事の内容は、私はとても共感するものであります。


要は、最近、離婚するカップルがなんらかの別れの儀式を行うことが増えている、ということ。たいていのカップルは、結婚するときには、人生を共にすることを誓う儀礼や式典をする。だったら、離婚をするときにも、その誓いから自らを解放し、結婚生活の過程で共有してきたものを讃え記念し、それに終止符を打ち、人生の新方向の第一歩を踏み出す儀式があってもしかるべし。恨みつらみや怒りをずるずると引きずっているよりも、こうした儀式を行うことで、気持ちに整理をつけることができ、プラスのものをプラスとして捉えることができる。もちろん、別れの悲しみを儀式が減らしてくれるわけではないが、いろいろな意味でひとつの節目をつけることにはなる。


カップルによっては、それぞれが反対側から万里の長城に登り、歩いて中間地点で会い、抱擁しあってから、再び別の道を行く、といった壮大な儀式をする人もいれば、ふたりで暮らしたアパートの真ん中でふたりの思い出を語り合い、お互いの幸せを願いあって別れる、といったシンプルな終止符をつける人もいる。儀式は必ずしもふたりでする必要はない。ある女性の場合は、何年も前に済んだ離婚を今でも引きずっている自分に気づき、気持ちにけりをつけるために、自分で派手な離婚パーティを開催し、ナイトクラブを借りて、親族や友達の見守るなか、ドレスを着て会場の真ん中に歩み出て、旧姓を取り戻す誓いの言葉を述べると、母親が彼女に指輪をはめて、「家族のあなたへの愛情は、いつまでも終わることがないのよ」と言ったという。笑いや涙や拍手や音楽やダンスに満ちた、明るい別れのパーティ。なんとも素晴らしい(なんだかいかにも私がやりそうなことだ〜:))。


別れる本人たちの気持ちの整理にも儀式はプラスの意味をもつけれど、とくに子供がいるカップルにとっては、こうした儀式は重要だという。両親の離婚によって混乱・困惑している子供にとって、こうした儀式を経ることは、両親の歴史や選択を理解し受け入れる機会となる。親は、儀式の場で、離婚後も子供たちはそれぞれの親にとって一番重要な存在だということを改めて子供に伝えることができる。とのこと。


私は以前から、こういう儀式があればいいのにと思っていました。離婚だけでなく、恋人同士が別れる場合でも、(私自身を含め)こういった儀式に救われる男女は多いのではないかと思っていました。もちろん、別れの状況によっては、とてもそんな儀式をする気にはなれない、という人たちも多いでしょうが、きちんとした話し合いを経てお互いの合意のもとで別れる場合には、こうした儀式は、悲しいながらも美しく重要な節目になり、気持ちの整理に役に立つのでは。また、ふたりと親しくしてきた家族や友人たちにとっても、儀式はプラスなような気がします。最近、私が親しいカップルのいくつかが別離をしているのですが、そうした場合、友達にとっては、傷ついている本人たちへの気持ちももちろんですが、カップルとしての二人との関係が消滅してしまう悲しみも大きい。ふたりの結婚を祝い、結婚生活のあれこれを共有してくれた周りの人たちに、感謝と挨拶の気持ちを表すという意味でも、こうした儀式はあってもよい気がします。私に商才があったら、別れの儀式やパーティをコーディネートするビジネスを始めるかも。

2012年4月18日水曜日

文学賞の経済学

今日のニューヨーク・タイムズで「もっともメールされている記事」になっているのが、私が大好きで以前このブログでも言及したことのある小説家Ann Patchettの論説。今年のピュリツアー賞が先日発表になったのですが、フィクション部門で「受賞者なし」となったことに異論を唱えている文章です。


昨年、最新小説State of Wonderを発表したAnn Patchettですが、自分の作品に賞が与えられなかったことに抗議しているわけではありません。この論説のなかでも、昨年刊行された小説のなかで彼女自身がたいへん高く評価している作品がいくつも具体的に挙げられ、彼女が賞の審査員であればそのうちのどれかに喜んで賞をあげたであろうことが示されています。これだけ素晴らしい作品がありながら受賞者なしというのは、審査員たちがコンセンサスに到達できなかったからであろうが、一般の読者はおそらくはそうは解釈せず、「2011年はいい小説が生まれなかった年なのだ」という理解をするだろう。ただでも人々の書籍離れが進み、出版業界や書店業界が苦しい思いをしているなかで、優れた作品が多々あるにもかかわらず賞を出さないというのは、納得がいかない。ピュリツアー賞のような権威のある賞の受賞作はテレビやラジオで取り上げられ、巷の話題となる。小説を読むことで、読者は自分以外の人物の生活や人生を想像することでより広い世界への共感を育み、複雑な物語の筋をずっと追うことで頭を使い、しばらくの時間にわたってひとり静かに思索する。現代の社会においてそうした小説はますます重要であるにもかかわらず、小説が「巷の話題となる」ことが少ない現代、一般の人々の文学への関心を高めるのにこうした賞は重要な役割を果たしているのだから、審査員同士の葛藤などで安易に「受賞者なし」などという結果を出さないでほしい、という主旨。


私は今ちょうど、The Economy of Prestige: Prizes, Awards, and the Circulation of Cultural Valueという本を読んでいる最中なので、この文章はとりわけ興味深いです。この研究は、第二次大戦後、世界中で文学・映画・美術・音楽などでありとあらゆる賞が与えられるようになった現象を分析しているものです。文学者であるJames English氏が、文化史だけでなく、あえて社会学や経済学の視点から文学賞を扱っているのがとても斬新。『ヴァンクライバーン 国際ピアノコンクール』の取材以来、音楽の世界におけるコンクールの意味や役割を考えている私にとっては、たいへん面白く、わくわくしながら読んでいます。ピュリツアー賞や影響力のある文学賞も例に取り上げられ、賞の運営者と出版業界、審査員と作家たちといった複雑な関係が綿密に分析されています。文学賞が文学という芸術分野の自律した価値観を反映するためには、賞の審査員や運営者たちは出版業界から独立した立場でなくてはいけないでしょうが、それと同時に、賞には、それが対象とする文化分野そのものを讃えることで地位を高めようとするという目的もある。文学賞(そして文学以外のさまざまな文化賞)というものがもつ経済効果だけでなく象徴資本や文化的役割が、具体的にどのように機能するかを、たくさんの事例にもとづいてさまざまな視点からとらえられていて、とても興味深いです。研究書でありながら文章はきわめて平易で読みやすいのも見事。関心のあるかたはご一読を。



2012年4月17日火曜日

大学キャンパスのセックス週間

昨日のニューヨーク・タイムズの記事のひとつが、「大学生、セックスをめぐる会話を広げる」というタイトルの記事。3月末にハーヴァード大学で、その名もずばり、Sex Week at Harvardというイベントが学生たちの企画・運営で開催され、一週間にわたり性にまつわるあらゆる話題を取り上げる講演やパネルディスカッションが行われた、とのことです。この記事で紹介されているのはハーヴァードのイベントですが、もとは2002年にイェール大学で始まり、以後全国のいろいろな大学で開催されているそうです。避妊や中絶をめぐって政治の舞台ではさまざまな議論が繰り返されていますが、このイベントではそうした政治的な話よりも、学生たちの日常生活により身近なトピックに重点が置かれ、セクシュアリティを扱う授業では取り上げられない実践的な話題が多かったとのこと。ポルノグラフィーの倫理、性と宗教、SM、同性愛のセックスなどといったトピックを扱うパネルに加え、世間で流布している現代の大学生の性生活のイメージと現実のギャップ(今の若い男女は誰とでも気軽にセックスをするというイメージとは裏腹に、実際はひと世代前と比べて今の学生はセックスをそれほどしていない、など)や、楽な気持ちでセックスを楽しみ、自分が欲しているものをきちんと相手に伝える方法などを、学生たちが率直に話し合うことが主眼。

教授や医師、宗教関係者などもイベントには参加したものの、大学そのものはイベントの公式スポンサーにはなっておらず、セックス週間が開催された他の大学でも、大学が性行為をめぐるイベントを公認することに反対する声もあるそうです。

それでも、多くの若者が大学時代にセックスを初体験し、その意識のかなりの部分をセックスが占めるのは現実である以上、オープンに性について語り正確な情報を得る場がキャンパスにあることは大事。ちなみにハワイ大学では、以前にこのブログでも紹介したVagina Monologuesが今週末上演されます。

2012年4月15日日曜日

同棲は幸せな結婚につながらない?

今日のニューヨーク・タイムズで「もっともメールされている記事」になっているのが、「結婚前の同棲の弊害」というタイトルの記事。臨床心理学者が、現代アメリカの結婚にかんするさまざまな研究とみずからの臨床経験をもとに、同棲と結婚の関係について考察したものなのですが、これ、なかなか興味深い。


アメリカでは20世紀後半から、性をめぐる道徳観の変化や避妊の普及、そして経済的要因などから、結婚前に同棲するカップルは急激に増え、現在では20代の未婚カップルの過半数が一度は同棲を経験し、結婚するカップルの過半数はすでに同棲をしている。2001年に行われた調査では、20代の人々の3分の2が、「結婚前に同棲することで、うまく生活を共にすることができるかどうかを試すことができ、結婚した後に別れることを防ぐことができる」と同棲を肯定的に捉えている、とのこと。しかし、こうした見方は、同棲と結婚の現実とは一致していない。結婚前に同棲をしていたカップルは、そうでないカップルと比べて、結婚への満足度が低く、離婚する率が高い、のだそうです。


これまでは、この現象は、同棲を選ぶカップルは結婚にかんする既成概念にとらわれていないぶん、離婚を決断するハードルも低いからだ、と理解されていました。が、同棲そのものがあまりに一般的になって、同棲という選択が宗教観や教育程度や政治観ととくに結びつけられない現在では、そうした説明は不十分。実際に同棲・結婚・離婚を経験した人たちを詳しく調査した最近の研究は、同棲そのものに問題がある場合が多い、との結論を出しているそうです。


まず、多くのカップルは、お互いの意思や動機や将来のビジョンを話し合ってはっきりとした合意やコミットメント(「コミットメント」については『性愛英語の基礎知識』をご参考に:))のもとに同棲を選択するのではなく、「デート」をしているうちに互いの家に泊まるようになり、その頻度が増え、ほとんど毎晩をどちらかの家で共に過ごすようになるにつれ、「だったら一緒に住んだほうが経済的だし」と、要は成り行きで同棲に至るというパターンをたどる。そしてしばしば、同棲がなにを意味しているかについて、男女それぞれで理解が違う場合が多い。意識的であれ無意識にであれ、女性は、同棲は結婚へのステップと考えることが多いのに対して、男性はふたりの関係の試験期間、あるいはコミットメントを先延ばしにする手段ととらえていることが多い。そうした理解の相違が、ふたりの関係への不満を生み、結婚に至った後でも「コミットメント」の低さにつながる、とのこと。


結婚よりも同棲のほうが解消しやすく、試しに一緒に暮らしてみてうまくいかなかったら別れることが可能、というのが常識となっているけれど、実際にはなかなかそうはいかない。恋人と一緒に暮らすのはやはり楽しい。ふたりで家具を選んだり、ペットを飼ったり、友達づきあいや日常の雑事を共にするのも楽しい。けれど、そうやってふたりの生活にかける「投資」が積み重なるほど、なかなか後には引けなくなり、ふたりの関係に不満や疑問が感じられても、それに正面切って向き合うことなく、成り行きで結婚してしまうケースが多い。同棲していなければとうに別れていただろうカップルが、同棲という状況から脱しにくいために、何年間も不毛な関係を続け、結婚そして離婚に至る、というケースがかなりあるのだそうです。


なるほど〜。私の友達にも、10年近く幸せな同棲生活を続けたあと、結婚したと思ったら1年で離婚することになってしまったというカップルがいます。この記事は、同棲そのものをいいとか悪いとか評価しているわけではなく、現代において同棲は急激に減ったりなくなったりはしえない現実としてある以上、同棲をするのならば、お互いの動機やコミットメントをきちんと話し合ってから、意識的な選択としてするのがよし、と提言しているわけですが、それには同感。『ドット・コム・ラヴァーズ』でも書いたように、私もボーイフレンドと同居生活をしていたことがあります。彼がいずれマンションを出て行ったのは、私たちが別れたからではなく、彼が遠いところに仕事で引っ越していったからですが(そしてその後しばらくして私たちは別れることになりましたが)、いったん同棲したらそれを解消するのは普通につきあっていて別れるよりもずっと大きな打撃になるので、ちょっとくらい不満や疑問があっても成り行きでそれを続けてしまう、というのは理解ができます。気をつけよっと。